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第19話 思い出の昼食

 こういった場合、いったいどうしたらいいのか。それさえも分からずエレオノーラは立ち尽くす。

 すると、黙って見ていたコーディがデリックとリオネルを纏めて馬のほうへ引き戻した。


「二人とも、時間もないのに朝から揉めるな」

「分かっている」

「じゃあエレオノーラさま、俺たちは行きますのでー」


 邪魔にならない少し離れたところで、エレオノーラは見送りのために手を振る。

 馬上から此方を見るリオネルの口元には、まだ少しの不満が残っていた。


「行ってらっしゃいませ、リオネル様」


 だからというわけではないが、三人を見送る時に敢えて名前を添える。すると口元の不満が消えて、嬉しそうに口角が引き上がった。


「ではエレオノーラ、昼前に迎えに行くから」


 そう告げて片目を瞑ったリオネルの合図は、いまいちなんなのか分からない。

 しかしエレオノーラは、心に温かさが満ちていくよう感じていた。


(想っても辛いことになるかもしれないのに、私はどうして……)


 溢れそうになる不安は、ため息と共に溢れ出さないようにそのまま飲み込んだ。



***



 朝に告げたとおり、リオネルが昼前に中央治癒院へやって来た。


「リオネル様、私は行きたい店があるのですが、一緒に行きませんか?」

「もちろん、エレオノーラに誘われて断る理由もない」


 中央治癒院は、入院している患者や勤めている職員のために食堂がある。だが、エレオノーラはそこではなく、外で食事をしようとリオネルを誘った。


 馬車を出してもらって向かったのは、ハルザート家の屋敷でも大通りに面した洒落た店でもない。停めやすい場所で馬車を降りて、そこからしばらく歩く。

 リオネルはエレオノーラの希望を叶えようとずっと黙っていた。だがエレオノーラが、いよいよ酒場が何軒か並ぶ繁華街へ差し掛かったところで口を挟んだ。


「エレオノーラ、この辺りは巡回さえしているが、あまり治安がいいとはいえないんだ。俺が一緒だとはいえ君には薦められない」


 その通りは酒場や露店が並び賑やかな場所ではある。だが酒場独特の雰囲気は、呑まれると碌なことがない。

 しかしエレオノーラは気にしないとばかりに、一軒の店の前で立ち止まった。


「ええと、お店はここです。昼食には定食も出していて美味しいんです」

「エレオノーラ、俺の言ったことを聞いていたろう?」


 エレオノーラが向かったのは、通りのなかでも端のほうにある小さな酒場だった。

 早速入ろうとするエレオノーラは、困ったような表情のリオネルに止められる。


「大丈夫ですよ、リオネル様が付いていますし」

「そうだが、しかしそこで分かったと頷けると思うか」


 小さな酒場は、規模の割には客で溢れそうになっており、知る人ぞ知る人気店といった様子だ。中からは美味しそうな匂いが漂っていて、食欲は唆られる。


 もうここに決めているのだと、店の前から動こうとしないエレオノーラの様子に、困惑しきっていたリオネルもついに折れた。


「ここでなくてはならない理由は、説明してもらえるんだろうか」

「もちろんです、さあ入りましょう」


 困惑しているリオネルを連れて店に入ると、壮年の女性店員がちらりと見たが、特になにも言われない。

 エレオノーラはちょうど空いていた丸テーブルの席へ向かうと、そこにリオネルへ座るように促した。


「君がこんなに頑固で強引だったとは、思わなかった」

「ふふふ、この店は少し思い出があるんです、あの時座っていたのもちょうどこのあたりの席でした」


 訪れたのは二年以上も前だ、店は同じだが微妙に物の置き場所や机の配置が変わっている。しかしこの小さな酒場の独特な雰囲気は、当時のままだった。


「むかし私は、この店でリオネル様と会ったんです」

「俺と?」

「はい」


 その小さな酒場は、かつて酔っ払いの男たちとエレオノーラが飲んでいた店だった。

 エレオノーラには年上の夫であったリオネルとの思い出などは殆どない。あの日、一晩中飲み食いしたこの店は、本当に数少ない思い出だった。

 本当ならあの時食べた思い出の味を頼みたいが、あの時は一緒に飲んでいた男たちが注文をしたので、よく分からない。

 仕方がないので、エレオノーラは素直に尋ねることにした。


「以前来た時は、おすすめを出してもらったのだけど、今日のおすすめはなんでしょうか」

「おや、昼に来たのかい?」

「いいえ、夜だったわ」


 先ほどの女性店員に声をかけると、目細めてエレオノーラを見てから歯を見せてにこやかに笑った。きちんと注文をして、支払えばあとは気にしないのだろう。


「今の時間じゃあ定食だね、料理は日替わりのうち任せになるけれど、美味いことは保証する」

「じゃあその定食をふたつ出して欲しいわ、それから果実水もふたつ」

「はいよ、任せな。前払いだが構わないね」


 二人分の定食と果実水代を支払って注文を終えると、女性店員は忙しそうに厨房に戻っていった。

 他の客はちらちら興味深そうに見てはいるが、リオネルも同席しているし堂々としていれば絡まれることもない。そもそも広くない上に昼時なので、どの客も目立って騒ぎをおこそうなんて思わずにいる。

 注文した定食が届く間、エレオノーラはあの時のことを思い出しながら話す。


「実家に居場所がなくなってしまった私は、この店で酔っ払いのおじさんたちと飲んでいたんです」

「うーん、ここでそういう展開になる状況がまず俺には分からないんだが、それで?」

「そうしたら巡回中だったリオネル様が、すごく怖い顔でやって来て。私が男たちに脅されていると思ってくれたんです」


 若い娘が酔っ払いの男たちに囲まれている。エレオノーラ当人が開き直っていたとはいえ、巡回中のリオネルが通ったことはなにより幸運だったろう。


「それは、今の俺が通ったとしても声は掛けるだろう」

「確かに通りから丸見えですものね」


 小さな酒場は、机と椅子を置くために両開きの戸が外されていた。そのため店内の様子はよく見える。そして美味い匂いは、通りから人を惹き寄せている。


「結局、行く場所も一人で泊まる場所もなかった私に付き合って、その酔っ払いのおじさんたちと五人で明け方まで飲みました」

「明け方まで、飲んだ?」


 リオネルの言葉にも視線にも、困惑が目一杯混じっているのがわかる。なにしろエレオノーラ自身だとて、とんでもない話だと笑ってしまうくらいだ。


 それでも落ち着いて考えると、当時のリオネルは、エレオノーラの状況と落ち着かない気持ちを察したのだろう。静かに朝まで付き合ってくれた。


「もちろん私とリオネル様は果実水でしたよ」

「そういう問題ではないと思うが」


 リオネルが大きく息を吐いたところで、注文した果実水がどんという良い音と共に二つ机に置かれた。エレオノーラは杯を持つと、にっこりと笑って促す。


「ほらほらリオネル様、乾杯しましょう」

「俺は一応この後検査があるし、その為に騎士団の仕事を免除されている状態なのだが」

「かんぱーい」


 リオネルが形式だけとばかりに杯へ指を添えたので、エレオノーラは小さな声で告げて杯をこつんと合わせた。

 ひとくち飲んだ季節の果実水は、あの時飲んだものとは別のものになっている。だが甘く冷たい心地良さはあの時と変わらない。


「あの時のリオネル様は、無理矢理家に連れ戻すでもなくどこかへ保護するでもない。かといって見捨てることもなくただ一緒にいてくれた」


 果実水の杯を覗き込むと、その中にはエレオノーラとあの時よりもずっと若いリオネルが映っている。馬車の中で夫であるリオネルの話をしなければ、エレオノーラもこの店のことは忘れていたかもしれない。



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