第15話 重なった迂闊
「あらまあ!」
どうやら気が付いていたのはエレオノーラのほうだけではなかったらしい。
声のほうを向くと、ちょうどアノルド夫人が馬車から離れてこちらい歩いてくる。
「どうもこんにちは、アノルド夫人」
「やっぱり、こんにちはハルザート夫人、今ちょうど貴方がお店にいらっしゃるのが見えた気がしてたの」
「ほんとうに奇遇ですね、今日は焼き菓子の買い物ですか?」
「ほほほ、今日は違うの、頼んでいた首飾りの細工が上がったと連絡があったのよ」
確かに菓子店の隣は宝飾店だ。つまり、このままアノルド夫人が菓子店に入ってリオネルと鉢合わせる可能性は低くなった。話し方からしてまだ菓子店の中にいるリオネルにも気が付いていないらしい。
エレオノーラは、アノルド夫人が菓子店を背にするように立つ。
「まさかこんなところでお会いするなんて、ねえ、ハルザート様はお元気? お仕事でお怪我をしたと聞いたでしょう」
「ええ、はい、ありがとうございます、もうすっかり良くなっています」
「あらそうなの、珍しい症状かもしれない、なんて聞いたから私とても心配で、お手紙も出したけれど、お返事すら頂けないでしょう、だったらこれはと」
「お返事をしたいと思ってはいたのですが、色々忙しくなってしまい」
エレオノーラは極力余計なことを言わないようにしながら、なんとか相槌を打つ。対してアノルド夫人はエレオノーラから、リオネルの話を聞き出す気満々に見える。
早く宝飾店に追い立てなければ、リオネルが店から出てきてしまう。
意図を悟られないようにしながら、言葉を探す。
「あらためて、お手紙で詳しくお返事しようと思っておりました、今日はそれで菓子店に」
「まあ! そうだったの、流石はハルザート様だわ、素敵ねえ」
菓子のことをチラつかせれば案の定、アノルド夫人は上機嫌な笑顔を浮かべている。
一刻も早く夫人は宝飾店に押し込み、それからリオネルを連れてここを離れたい。
しかしちっとも動く気配がなく、エレオノーラの焦りはつのっていく。
「お話中のところ申し訳ありません、アノルド様」
「ええ、どうしたのかしら?」
そこへ別の声が掛けられた。どこか聞き覚えはある声だが、ハキハキとした口調が違和感となっている。
「あちらの馬車はアノルド様のものでしょう。移動をお願いしているのですが、構わないでしょうか?」
視線を向けると、デリックが申し訳なさそうな表情を浮かべて立っていた。騎士団の制服を着ているところを見ると、どうやら巡回中らしい。
「あらやだ、すぐに済ませるつもりだったの、でもハルザート夫人に声を掛けられてしまうなんて思っていなかったから」
声を掛けたのはアノルド夫人のほうなのだが。まあ立ち去ってくれるならば、それはこの際どうでもいいことにする。
「すぐに済むのでしたら、今回だけはお願いのみで黙認いたしますが?」
「わかりました」
デリックにじろりと睨まれ、アノルド夫人は首をすくめるようにしてから誤魔化すように笑った。それからさらにその笑顔をエレオノーラへと向ける。
「ハルザート夫人、お手紙お待ちしているわ、相談ごとなど気軽にしていいのよ、いつでも待っているわ、ね?」
「は、はい、この度は本当にご心配をお掛けしました」
「それではごきげんよう」
アノルド夫人はそう言うと足早にその場を離れて宝飾店へと入った。
待っているのは菓子とリオネルの情報だろう。相談などすればどんな尾鰭を付けて広められるかわからない。
たいした会話はしていないが、なんだかどっと疲れてしまった。肩を持ち上げてから吐く息とともにすとんと一気に下ろすと、力が抜けて楽になる。
視線を上げると、宝飾店にアノルド夫人が入る姿を注意深く見ていたデリックが、視線をエレオノーラの方へ動かしてにっこり笑った。
「こんにちは、ありがとうございましたデリックさん」
「はー、もー、奥様はなんーでこんなところで絡まれてるんですかー」
デリックのハキハキとした口調が解け、いつものどこか間伸びした様子になる。
そののんびり口調、わざとだったのね。
心の中でそう思ったが、余計な指摘はしないでおく。どうやらデリックなりの線引きというか、振る舞いがあるようだ。
「挨拶しないわけにはいかなくなったけれど、話が思ったより長引いてしまって困っていたの。声を掛けて頂いて助かりました」
「そーんなことだろうと、思いましたー」
どうやらデリックはエレオノーラが困っていることを察して、声を掛けてくれたらしい。おかげでアノルド夫人に余計な話をしないで済んだ。
「リオネル様のことはまだ具体的には知らないみたい、アノルド夫人も悪い人ではないのだけれど、どうも噂を面倒ごとにされてしまう気がして」
「まー、騎士団がやーんわり隠してるから、余計に興味があるんすよー」
興味など持たれても困る。これは手紙を出す時も注意して書かなければならない。なんだか考えるだけで憂鬱だ。
エレオノーラの考えは表情になって出ていたのだろう。デリックは片足に重心を乗せるようにして斜めに立ちながら苦笑を浮かべた。
「奥様はしっかりしているようで、どこかぼーんやりしてるからー」
「ぼんやり……」
そんな風に思われていたなんて思わなかった。エレオノーラとしてはきちんと振る舞っているつもりでも、やはり頼りないと感じられてしまうのか。
複雑に感じていると、デリックは飄々と続けた。
「そういうところがいいって、あの人は思ってるんすよー」
「あの人とは?」
「決まってるじゃあなーいでーすかー、ねー」
デリックの視線を追うように動かすと、ちょうどリオネルが菓子店から出てきたところだった。菓子店での買い物が終わったのだろう。
今どう考えているのかは分からないが、かつてのリオネルはエレオノーラを快く思ってはいなかった。成り行きで拾ってしまった、書類上だけの妻なのだから。
ただそれを他人に悟られていない程度には、妻らしく扱われていたということだ。
「なんだか誤魔化されてしまった気がするわ」
「いいからいーから、いてくれるだけでー俺らは助かるんでー」
助かるとは一体どういうことなのか。笑顔のデリックからは聞き出せる雰囲気ではないし、なによりここに長時間居るわけにはいかない。
ちらりとリオネルのほうを見ると、彼は思ったより近いところにいた。どうやら店を出て駆けてきたらしい。エレオノーラとデリックを見ると、さっと眉を寄せた。
それからやや低い声でデリックを睨む。
「随分と楽しそうだな、こんなところでサボりかデリック」
「いえいえー、ちゃーんと仕事してまーす」
ちゃんとかどうかは怪しいが、巡回をしていたからこそ気が付いてくれた。そういう意味では仕事はしている。
ただリオネルはなにか誤解をしているようだ。眉を寄せたままの表情でエレオノーラを見た。
「急に店の外へ出たから不思議に思っていたが、こいつが居たからか」
「え?」
言われたことが分からないので、すぐには否定も肯定も出来ない。そうこうしているうちに、リオネルの思考はどんどんよく分からないほうへ向かっている気がした。
しかしここでリオネルに、折角追い払ったアノルド夫人の話はしたくない。
なんと答えたらいいのか分からずにいると、デリックが代わりに返してくれる。
「もー、副団長、そんなわけないじゃないですかー」
「俺はお前のそういう軽薄な面を信用していない」
「うっわ、ひっどー」
デリックには申し訳ないが、ありがたいことに話がどんどん逸れていく。リオネルもそれ以上追求する気はないらしく、表情が少し和らいだ。
「俺だって分かってますよぉー、人妻に手なんて出しませーん」
大袈裟にひらひらと手を振ったデリックは、へらりと笑って誤魔化した。
「……人妻?」
リオネルはそう呟いてぴたりと動きを止めた。




