第12話 結婚は唐突に
ロベルトが頷いても、当の本人であるエレオノーラはなんら承知していない。
確かにリオネルは見目も整っており、仕事も屋敷もある。しかしそういうことではない。突然決められたって困るばかりだ。
「リオネル様っ、一体どういうことか説明してください、気遣って頂いているのならここまでして頂くわけにはいきません」
大声で訴えるのも憚られ、袖をそっと引きながら小声で訴える。
するとリオネルはようやく振り返った。淡い青色の瞳はやはりその奥の考えが見えない。
「嫌かもしれないが、君は住む場所を得られるし、俺にも利がある」
「その利というのはなんでしょうか?」
「君に話す必要は感じられない」
曲げる気はないということだけを含んだ冷たい感情を向けられ、エレオノーラはそれ以上強く言い返せなくなった。
それから用意してもらった部屋は、急遽整えたとは思えないくらい寝心地のいいふかふかのベッドで、危うく寝過ぎるところだった。
目覚めた時、リオネルは既に騎士団に戻ったらしく屋敷に居なかった。夜通し起きていたのにまだ働く気らしい。真面目がそのまま人の形になっているようだ。
エレオノーラにはきちんと朝食が用意されていた。一人で食事をしながら、リオネルの言葉の意図を考える。
(本当に、利なんてあるのかしら?)
彼のほうが年が上といっても、その年齢差はあり得ないわけじゃない。しかし家柄には相当な開きがある。ハルザート家といえば王都でもかなりの名門なのだ。それはエレオノーラだって知っている。
しかし数日経ち、リオネルは本当に結婚証明の書類をエレオノーラの前に出したのである。そこでもやはり説明はなかった。
婚約だってしていない。頑なに拘るわけではないが、あまりに早すぎる展開に唖然とする。
彼はただ淡々とした様子で、書類にある妻が署名をするべき場所を指し示した。
「この通り、君の署名が必要だ」
「そう言われても、私はリオネル様のことをなんら知りません。せめて、理由を説明して頂けないでしょうか」
なるべく穏便に説明を求めてみたのだが、その鋼のように頑なな表情は崩せない。せめてもう少し笑いかけるとか、求めるような表情を浮かべるとかないのだろうか。
なんだか、この家柄も良く顔立ちも整った彼が独り身でいる理由に、徐々に近づいていくような心地がしてきた。
「理由がなければ承諾は出来ないか?」
「それは、当たり前でしょう」
エレオノーラだとて一応年頃の娘だ。今の自分の状況は身に染みているし、条件が上等なのもわかる。
ようやくリオネルの表情にわずかな変化があった。なんだか戸惑っているようにも見える。
「君は、どうも変わった女性だな」
「一体どういうことでしょうか?」
「俺の利が分からずとも、俺の家柄や見目を考えれば頷く価値は大いにある。少なくとも俺に纏わりつく者は大抵そう考えていた」
それはつまりそれだけ己の容姿が整っているということか。
(貴方が結婚できないの、そういうところだと思いますっ)
喉の手前まで出かかったが、なんとか飲み込む。
「俺には君が必要だ、結婚して欲しい」
なんだかとても淡々とした表情で、求婚された。
その言葉は、そんな怖い顔で伝えるものではないと思う。
拒み通すという選択肢はあったはずだが、結局エレオノーラは婚姻の書類に署名した。彼の言う通り、住む屋敷やこれからのことを考えると条件が良過ぎたから。
彼のいう利については全く分からないが、このまま路頭に迷うよりは良いと思うしかなかったからだ。
そこから二年間、リオネルとエレオノーラの夫婦らしいことといえば、その書類くらいだった。
***
依然としてリオネルは若返った状態のまま過ごしている。
ただ日々の暮らしは、彼なりにではあるがもうすっかり順応しているようだ。
「エレオノーラ、これからどこかへ外出かい?」
「はい、休日なので買い物に行ってこようと思います」
ちょうど出掛ける準備をしていたところで声を掛けられた。
スカートの裾の揺らしながらエレオノーラが振り返ると、廊下の向こうから歩いてきたリオネルは足を止めた。しばらくこちらを眺めていたかと思ったら、さっと眉が寄り表情が強張る。
「そんな格好で、いったい誰と出掛けるんだ?」
「おかしな格好ではないと思いますが、どこか変でしょうか?」
お気に入りの外出用のワンピースは、シンプルながら裾のフリルが凝っていてとても可愛い上に着やすい。髪もメリルと相談して、念入りに梳かした上で結った。
買い物以外の用事はないが、凝ったお洒落をしているというだけで心がはずむ。
メリルはとても可愛いと褒めてくれたのだが、どこがおかしいのだろうか。
スカートと髪を揺らしながらもう一度確かめるが、問題はないように思える。
疑問に疑問で返したからだろう。リオネルは口籠もりながらも言葉を並べていく。
「おかしくは、ない、ただ君がそこまで着飾って出掛ける理由が、気になっただけだ」
「メリルとロベルトさんと一緒に、買い物に行くだけですよ。ハーブティーなど普段はお任せしているのですが、たまには直接選びたいと思いまして」
今の彼ならば、きちんと説明すれば分かってもらえるはず。そう思ったので、一人ではないことと目的をはっきりと示す。
するとリオネルは、数回瞬きをしてからはっきりと主張した。
「俺も行く」
「ええと、えっ!」
聞こえた言葉を頭で理解して驚くまでに、僅かに時間が掛かる。
するとリオネルは、やや早口で言葉を並べていく。
「今日は俺も休暇で時間があるから買い物ならば一緒に行こう、すぐに準備をしてくるから少し待っていてくれないか」
それからこちらの返事を待たずに素早く踵を返した。そのまま自室へと戻っていく。
どうやら本当に一緒に行くために着替えに戻るようだ。
取り残されたエレオノーラは、その後ろ姿をぼんやりと見つめた。
「まさか同行すると言い出すなんて、こんなことは初めてだわ」
やはり若返ってからなにかがおかしい。
一緒に行くと言い出す理由に心当たりがないのだが、来なくていいと伝える理由もない。よくわからないが、ここは待つしかないだろう。
勢いよく彼の自室の扉が閉まった音が屋敷の中に響き、馬車の確認に行っていたロベルトが戻ってきた。
「エレオノーラ様、旦那様がいらしたようですが、どうかされたのでしょうか?」
「リオネル様が一緒に行くそうなの、少し待てと言われてしまったわ」
ありのままを伝えると、ロベルトは「なるほど」と呟き納得してしまった。表情がわずかに動いただけというその様子からして、心当たりがあるらしい。
「では本日は、お二人で行ってはどうでしょうか」
「二人で……って、私とリオネル様の二人で買い物に行くということ?」
「そうです、私どもは屋敷で待っております」
まさかそんな提案をされるとは思っていなかった。思わずおろおろと戸惑いながら、ロベルトに訴える。
「でも、そんなのしたことないわ、ロベルトさんだって知っているでしょう」
「ですからこそ、本日はお二人で行ってきて欲しいのです。旦那様のためにもどうかそうしてください」
「それなら尚更、ロベルトさんたちがいるほうがいいのではないかしら?」
リオネルのためにも。ロベルトが口にしたその言葉の意味は、エレオノーラにはよく分からない。執事として付き合いも長く、リオネルの性分を知っているロベルトのことだから、確かなことを言っているのだろう。
それでも今までのことがあり、エレオノーラは素直に頷けない。




