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第2話 父上、王家に宣戦布告します!

 こうしてリディアは公爵家へと戻っていく。扉が閉まると同時に、さきほどまで必死に抑えていた感情が少しずつ吹き出し始めた。ドレスの刺繍(ししゅう)を握り締める手には力が入り、ヘンリエッタが気づいて声をかけようとしたが、リディアは唇を結んで首を振るだけだった。


 馬車の揺れに任せていると、思い出すのは幼い頃から刷り込まれてきた婚約者という立場だ。公爵家と王家の繋がりは、国にとっても大事な関係。周囲の大人たちが当然のように「将来は王太子と結婚するのだから」と言い含めていた。どんなに自分が気が強かろうと、王家にとっては必要な存在である――そんな妙な自信すら芽生えていたほどだ。だが、あの舞踏会での仕打ちはどうだ。随分とあっさりしたものではないか。


 やがて公爵家の広大な門が目に入る。馬車が止まると、リディアは憤怒のままに扉を開け、足早に邸内へ向かった。玄関先で待っていた執事が声をかける間もなく、一直線に父ギルベルトの執務室を目指す。ギルベルトは何やら分厚い書類の山に囲まれていたが、娘の形相に気づくと椅子ごと振り返った。


「おお、リディアじゃねえか。随分早かったな。舞踏会はどうした?」

「――父上、王太子が……わたくしの婚約を一方的に破棄すると言い放ったのです!」

「なに? あの脳味噌足りないお坊ちゃんが?」


 ギルベルトは一瞬目を丸くすると、次の瞬間にはガハハと笑い飛ばす。リディアは唇を噛んで、その態度をさらに憤慨させた。


「笑い事ではありません! あれほど見下された言い方をされて、わたくしは……わたくしは!」

「いや、悪い。だが面白いじゃねえか。公爵家を侮るとは、随分いい度胸だな、あの馬鹿王子め」


 ギルベルトは書類をどさりと床に放り出すと、すっくと立ち上がった。その顔には怒りとも喜びともつかない複雑な感情が見え隠れしている。


「いいか、リディア。公爵家はな、ただ金と土地があるだけの家じゃねえ。お前も知っての通り、俺たちには圧倒的な軍事力がある。そいつを存分に使う日が来たってだけだ」

「……それは、つまり?」

「馬鹿どもに思い知らせてやろうじゃないか。王太子だかなんだか知らんが、娘をここまで侮辱してただで済むと思うなってな。痛い目に()わせるには、一番効くやり方があるだろう?」


 ギルベルトはそう言うと、机の上に転がっていた地図を手に取った。王都と公爵領の位置関係を示す軍事用の古地図で、そこには公爵家が(よう)する要塞や軍隊の編成をメモした跡が記されている。


「ほら、ここを見てみろ。王都への道は真っ直ぐだが、その先にいるのは王太子やら貴族連中だ。うちの兵力を見せつけりゃ、あっという間に泣きついてくるだろうさ」

「父上……まさか、本気で?」

「当たり前だろう。お前がどれほど憤慨(ふんがい)してるか、その顔を見ればわかる。ならばやるしかない。王国に喧嘩を売るんだよ」


 その言葉を聞いて、リディアの胸にいまだ燃え盛る怒りに、さらなる燃料が注ぎ込まれる。婚約を投げ捨てられた屈辱、その屈辱を国中にさらされた苦痛――すべてを払い戻させるのに、これほど手っ取り早い方法はない。


「わかりました。父上、わたくし、やります」

「おお、言ったな。いいぞ、お前なら一瞬で王都を(ふる)え上がらせることだって造作もねえ」


 ギルベルトはがっしりとリディアの肩を掴み、無骨な笑みを浮かべた。その瞬間、リディアははっきりと自覚する。いま自分の中にあるのは、底なしの怒りだけでなく、まるで高みに立つような昂揚感(こうようかん)だった。


「そうと決まれば準備だ。公爵家には強力な私設軍隊がある。騎兵も弓兵も、最新装備を整えてるし、要塞も抜群の立地だ。あっちがどう思おうが関係ない。『王家VSヴァルフォード公爵家』、やってやろうじゃねえか!」

「父上、言葉が少し下品ですわ」

「いいじゃねえか。豪快なくらいでちょうどいいんだよ」


 ギルベルトはケタケタと笑い声をあげながら、机の上を片づけ始める。その背中にはまぎれもない自由奔放さが漂っていた。


 リディアはそんな父親の姿を見ながら、思わず苦笑する。だが、それは嘲笑ではない。幼い頃から何度も見てきた光景だ。危ういほど大胆で、けれど周囲の者にはない行動力とカリスマで、戦場を渡り歩いてきた男。奇人と恐れられながらも、兵たちに(した)われる公爵。それがリディアの父、ギルベルト・フォン・ヴァルフォードだ。


「それにしても、王家に堂々と宣戦布告なんて、本当にやるんですね」

「ああ。うちの軍隊が動いたら王都はひとたまりもねえ。もっとも、あっちが観念してくれりゃあ話は早いが……まあ期待しないでおこう」

「上等ですわ。わたくしを侮辱した代償、必ず払わせてみせます」


 リディアはドレスの裾を翻して椅子に腰を下ろした。怒りで熱くなった頭を一度冷やすように深呼吸し、自分の中にある「プライド」を再確認する。この誇りは踏みにじられるためにあるのではない。誇りがあるからこそ、行動を起こすのだ。


「父上、まずは王太子への正式な宣戦布告を用意しましょう。口頭だけでは、あの方たちには通じませんもの。公文書なり使者なり、きっちり形にしてお届けしなくては」

「おお、それがいい。さすがだな。では、さっそく人を手配するか。騎馬隊の先遣隊も用意しておくぞ」

「ええ、頼みます」


 ギルベルトは肩をぐるぐる回しながら、「久しぶりに腕が鳴るなあ」と愉快そうにつぶやいた。リディアにとっては忌々しい出来事がきっかけとはいえ、この父親の豪快さに背を押されると、いつの間にか気持ちが晴れやかになっていくのだから不思議だ。


 そうはいっても、一度決めたからには後戻りはできない。王太子エドワードとの婚約破棄を宣言された以上、リディアの立場は完全に変わってしまったのだ。もしこのまま泣き寝入りすれば、「あの公爵家といえど、王家には歯向かえなかった」と言われるに違いない。そんな屈辱を甘んじて受けるくらいなら、やれるだけやってやろう。相手が王家だろうと、国そのものだろうと構わない。


 屋敷の外には、見渡す限り広大な庭園が広がっている。夜闇が迫る中、遠くに見える厩舎では公爵軍の騎馬隊がいつでも出動できるよう、日々訓練されている。兵たちはギルベルトに心酔しており、公爵家のためなら命すら惜しまない覚悟を持った猛者(もさ)ばかりだ。リディアはその光景を窓辺から眺め、「ああ、彼らがいれば王太子など怖くない」と改めて実感する。


 ふと、ヘンリエッタが遠慮がちに執務室のドアをノックし、中に入ってきた。


「失礼いたします。お嬢様のドレスをお部屋に戻しておきました。先ほどの舞踏会の件で、何か私にできることがありましたら……」

「ありがとう、ヘンリエッタ。でも大丈夫。わたくしが片づける問題だから」


 リディアはやわらかい笑みを向け、侍女を気遣う。ヘンリエッタはその笑顔に少し安心したのか、「はい、お嬢様……」と小さく頭を下げて部屋を出て行った。


 ギルベルトはゴソゴソと紙とペンを取り出し、何やら宣戦布告書の下書きを始める。殴り書きのような走り書きはとても貴族のものとは思えず、リディアは呆れて言う。


「もう少し上品な文面にしていただけませんか?」

「細かいことは気にするな。どうせ喧嘩状みたいなもんだ。むしろわかりやすいほうがいいだろう?」

「……まあいいですわ」


 こうしてリディアは急転直下の決断を下すに至った。王太子からの婚約破棄。屈辱と怒り。だが、それをただの不運と片づける気はさらさらない。自分を貶めた者たちには、存分に思い知らせるつもりだ。公爵家の力がどれほどのものなのかを――。


 まだ心のどこかに、昔のままの思い出が引っかかる。かつて、ほんの子供の頃には、エドワードも純粋に笑顔を見せていた。王太子という重責から解放された、普通の少年のような表情を。それを懐かしんでいた部分が確かにあるのも事実だった。だが、いまの彼の姿はどうだ。周りの取り巻きに流され、自らの言葉で語ることすら放棄しているかのようだった。そういう男だと知ってしまえば、未練など抱く余地もない。


 激しい怒りに燃える自分と、そんな男と婚約関係だったという現実。リディアは扇子を手に取り、ぱちんと閉じる。これまで舞踏会の場などで涼やかに扇ぎ、笑顔を振りまきながらも、どこか緊張の糸を張り続けてきたが、もうその必要はない。次にこの扇子を手にするときは、どんな場面になるだろう――ふと想像するだけで、どこか底抜けの昂揚感が湧き上がってくる。


 王太子の結婚相手として矯正されてきた日々が無意味だったわけではない。礼儀作法も身に着けたし、貴族社会の(みにく)い駆け引きだって嫌というほど見てきた。だが、それが今の自分を卑屈にする道理にはならない。むしろ、その知識と経験を駆使して、彼らを滅ぼす糧に変えてやる――。リディアは眼差しをきらりと光らせた。


「さて、そろそろ書き終えたぞ。どうだ、リディア?」


 ギルベルトが手をひらひらさせて示す紙には、乱雑な字でこう記されている。


 ――ヴァルフォード公爵家は、王家による不当な婚約破棄を受け、これより宣戦を布告する――。


「ふふ、やはり父上らしい、まるで剣を振り回すような文章ですね。もう少し丁寧に書き換えて、王城へ送らせましょう」

「おう、そうしろ。まだまだ暴れ足りねえしな。遠慮は要らんぞ」


 ギルベルトがそう言って高笑いすると、リディアはゆっくりと肩の力を抜き、深い呼吸をする。これですべてがはっきりした。あの夜、王太子が舞踏会の場で宣言した破棄こそ、決定的な分岐点となったのだ。


 不遜な王太子に対し、圧倒的な軍事力を背景に一泡吹かせる――そんな展開を、いったい誰が想像しただろう。だが、少なくともリディアにとっては、それが当然の報いなのだ。王家が相手でも容赦をしない。この屋敷に集う公爵家の兵士たちにとっても、いつか来るべきときが来たに過ぎない。


「父上、まずはわたくし、お部屋に戻ります。明日に備えて作戦を考えなければ」

「おう、存分にやれ。兵士の配置は俺が考えとくから、お前は好きなように計画を立てるといい」

「頼りにしていますよ、父上。……それでは」


 リディアは軽く会釈をして執務室を出た。廊下を歩く足取りは、疲れなど微塵(みじん)も感じさせない。むしろ先ほどまでの怒りが確固たる意志へと変わり、背筋が伸びているように見える。


 階段を上がり、絢爛豪華な自室へ到着すると、侍女たちが心配そうな面持ちで出迎えた。リディアは「大丈夫よ」と一言だけ伝え、部屋の扉を閉じる。やがて大きく息を吐き出し、ふと鏡に映る自分の姿を見た。そこには、怒りで朱に染まった頬と、冷徹に見開いた瞳がある。熱い血潮が全身を駆け巡っているのを感じて、リディアは小さく笑った。


(あなど)ってくれたわね、王太子……。いいわ。存分に後悔させてあげます」


 自分に言い聞かせるようにそうつぶやいたあと、リディアはドレスの帯をほどき、決然とした面持ちで机に向かう。王都に宣戦を告げる以上、無計画では話にならない。地形、兵站(へいたん)、相手の動向――すべてを把握しなければならないのだ。机には既に父から譲り受けた軍事資料が山のようにある。


 公爵家は、長らく国内外の脅威に備える要の存在として、独自の軍を保有してきた。実戦経験を積んだ者も多く、かつての戦争では中心的な役割を果たしたという。それだけに王家のほうも、まさか自分たちに矛先が向けられるとは想定していないだろう。おそらくエドワードや取り巻きたちは、「女一人が騒いだところで大事にはならない」と考えているに違いない。


「甘い。あの人たちは何もわかっていないわ」


 資料を手にしたリディアの顔に、ふっと笑みが浮かぶ。これまで王族側からは、対等に扱われていたとは言い難い。華やかな場面ではリディアを引き立て役にし、政略結婚の道具にしようとしてきたのだから。だが今夜からは違う。誰が誰を「道具」にするのか、思い知るといい。


 窓の外には夜の闇が降りていたが、その中に燃え上がるような意志が宿る。明日すぐにでも使者を王宮へ派遣して、正式に宣戦布告をするだろう。リディアの胸に去来するのは、怒りをはるかに超えた決意。そして、復讐というにはあまりにも大胆な、破天荒な戦の始まりを予感させる昂揚感(こうようかん)だった。


 こうして、公爵家の令嬢リディアは、王太子エドワードからの婚約破棄を機に大きく動き出す。まるで、長い眠りから覚めた巨大な獣のように。きらびやかな舞踏会の余韻が残る王都が、まさか公爵家の怒りの矛先になるなど、誰もが想像していなかったであろう。――だが、その静まり返った夜に、すでに戦乱の火蓋は切って落とされていたのだ。

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