第13話 ざまあみなさい、王太子殿下
王宮の廊下を駆け抜ける途中、いくつもの部屋が見えるが、中には王太子の取り巻きらしき貴族たちが隠れるように座り込んでいた。彼らは公爵家の姿を見た瞬間、蜘蛛の子を散らすように逃げ惑う。そんな様子に、ギルベルトは苦笑して槍を振り上げ、
「おいこら、卑怯者ども、逃げてんじゃねえよ!」
と一喝するが、止まる者はほとんどいない。むしろ床にしがみついて泣き言を言う者や、部屋の隅に隠れようとする者まで現れる始末だ。リディアは鼻を鳴らして、
「わたくしをあれほど蔑んでいたのに、なんというみっともなさ……」
と呆れた口調でつぶやく。
さらに奥へと進むうち、豪華な扉が目に入った。王太子が私室として使っている場所だという噂がある。周囲には守衛の姿もなく、扉は閉ざされているだけだ。ギルベルトが躊躇なく蹴り破ろうとしたところ、扉ががちゃりと開いて、中から王太子エドワードが青い顔で姿を現した。
「や、やめろ! 扉を壊すな、壊すな……!」
その姿を見て、リディアは一拍遅れて含み笑いを漏らす。王太子の髪は乱れ、寝巻きのような姿で、取り巻きもほとんどいない。恐らく後ろ盾だった貴族たちは逃げ出したか、役に立たないかのどちらかだろう。
「お久しぶりです、殿下。ずいぶんとお疲れのご様子ではありませんか?」
「き、貴様……いや、その……リディア。どうして……こんな、ばかな……!」
エドワードは後ずさりし、壁に背をつけて震えている。確かに、まさか本当に公爵家が王都まで攻め込んでくるなど思わなかったのだろう。
「どうして、とは面白い質問ですね。あなたがやったことをお忘れではないでしょう? わたくしを婚約者の座から追い出し、貴族の面前で笑い者にした。その結果がこれです」
「そ、それだけで……こ、こんな馬鹿げた……!」
「それだけ? その言い方、まだまだ学んでいませんね。公爵家を侮った代償は、あなたの想像を遥かに上回るものだったということです」
リディアの声には怒りを通り越した冷ややかな響きがあった。彼女の背後でギルベルトが槍を小突き、ガチンと床に固定すると、エドワードは悲鳴のような声を上げてうずくまる。
「ま、待て! お前たちが何を求めてるのかは知らないが……わたしを殺したら、国は混乱するぞ……!」
「殿下を殺すなど、一言も言っていません。ただ、わたくしが受けた侮辱をきっちり返させていただきます」
リディアが片眉を上げると、エドワードは唇をわななかせる。
「返すって……お、お前はいったい……!」
「例えば、王家のすべてを譲り渡すとか、あなたが下僕になるとか、いくらでも手はありますよ。あるいは、この国の実権を公爵家がすべて掌握して、あなたには名目上の地位だけを残すか」
そう言いながらリディアは周囲に視線を巡らせる。高価な調度品が並び、豪勢な暮らしをしてきたであろう痕跡がそこかしこに見られる。それを守るだけの力もないのに、よく大言壮語を吐けたものだと改めて呆れる。
「し、死んだ方がましだ……! いや、その……わたしは、王家の権威が……」
「殿下がどう思うかなんて、わたくしの知ったことではありません。もう一度言います。あなたがわたくしに何をしたか、それをどれほど軽んじたか――その結果がこれですよ」
リディアの目にはかすかな冷酷が宿っている。こんなにも情けない相手を前にして、かつては多少なりとも期待をかけた自分を思い出すと、笑えてくるほどだ。
「娘よ、早く決着をつけちまえ。あんまり長引かせると退屈だ」
ギルベルトが口をはさみ、エドワードに向かって槍を軽く突きつけた。エドワードは顔を強張らせ、壁際で身を縮こまらせる。しかし、もはや逃げ場はない。
「ど、どうすれば……どうすればいいんだ……!」
涙声を混ぜた王太子の訴えに、リディアは静かに微笑んだ。
「どうすれば、って。あなたが選べる道は二つでしょう? すべてを差し出すか、ここで破滅を迎えるか」
「そ、そんな……!」
「わたくしは優しいですから、すぐに命を取ったりはしません。でも、あなたが何か企むようなら、遠慮なく潰すだけですよ」
その言葉の重みを理解したのか、エドワードは声も出せずに肩を震わせる。かつては取り巻きに囲まれ、威張り散らしていた王太子。その姿は見る影もない。
「そもそも、あなたは公爵家に恥をかかせるだけでなく、この国の人々にとっても大したことをしてきませんでしたね。だからこそ、こんなにあっさりと王都が陥落したのです」
「くっ……!」
「これが婚約破棄の代償よ。――わたくしに恥をかかせた報い、存分に味わいなさい」
リディアが高らかに言い放つと、エドワードは膝から崩れ落ちた。その姿をじっと見つめ、リディアは背筋を伸ばす。もうこれ以上、彼から得られるものは何もないだろう。
「ざっとこのくらいで許してあげる。あとは国中の前で、あなた自身がどれほどの失態を演じたかを告白していただきます。もちろん、あなたの取り巻き貴族も連座よ」
そう告げると、ギルベルトが楽しそうに槍を回しながら「さあ、外へ出ろや」とエドワードを促す。エドワードは顔面蒼白のまま抵抗もできず、よろよろと立ち上がる。廊下に出ると、取り巻きと思しき貴族が数名、へたり込んでいたが、ギルベルトは構わず一喝した。
「お前らもまとめて出ろ! 公爵家の軍が王宮を制圧したんだ。もうお前らに逃げ場はないぜ!」
遠くから副官たちの足音が響き、すでに兵が王宮の主要な部屋を制圧し始めているのがわかる。リディアは剣を軽く振り、「さあ、外でみんなに聞かせてちょうだい」とエドワードたちを先導する。王宮の門前には公爵軍が整然と並んでおり、その中央に彼らが放り出される形になった。
「お嬢様、お疲れ様です。こちら側の制圧はほぼ完了しました。少し目立った抵抗はありましたが、大勢に影響はありません」
副官が報告し、リディアは満足げにうなずく。何人か軽傷を負った兵はいるものの、死者は出なかったようだ。多くの民衆が集まる中、王太子はうなだれたまま何も言えずにいる。その取り巻き貴族も、それぞれに慌てふためくばかりだ。
「殿下……と言うべきかはわかりませんが、どうぞご自由に弁明なさって。民衆が聞いていますよ」
リディアが手をひらひらさせると、エドワードは震える声で「い、言い訳など……」とつぶやくが、すぐに詰まってしまう。どのみち逃げる場所などない。ギルベルトは槍の柄を肩に乗せながら、「こいつら全員、王宮の奥深くに幽閉してやってもいいぜ?」と提案する。
「そうですね。民衆への影響を考えれば、一度公の場で『自分は降伏する』と宣言してもらったほうがいいかもしれませんが……本人にその度胸があるかしら」
リディアは軽くため息をつきつつ、あたりを見渡した。街中から駆けつけた一般市民が遠巻きに様子を見守っている。もしかすると、この場に集まる群衆の前でエドワードが無様を晒す姿こそ、最大の「けじめ」と言えるかもしれない。
「ふん、ここで黙りこくっても構わんが、それでお前らの立場はどうなるんだ? 何も言わんのなら、俺たちが国の実権をすべて握るだけだぞ」
ギルベルトが大声で言い放つと、市民たちの中から「それでいいぞ!」「公爵家様万歳!」という歓声が上がる。民の不満が王家に溜まっていた証拠だろう。驚いたエドワードは汗をだらだら流しながら視線を彷徨わせる。
「ど、どうして……わたしが……こんな目に……?」
「自分で考えなさい。あなたがどれほどみんなを苦しめ、わたくしを怒らせたか」
リディアの言葉に、エドワードは何度か口を開きかけたが、結局声を出せないままうなだれる。ここに至っては、もはや何を言っても意味を成さない。最初から公爵家を敵に回すべきではなかったのだ。
「さて、ここでひとまず幕引きとしましょうか。わたくしたちが王都を制圧した以上、あなたには引退していただくしかありませんね」
リディアは淡々と告げる。傍らで聞いていた取り巻きの貴族が悲鳴のような声を上げるが、リディアは「あなたたちにも責任はあります。まとめて裁きましょうね」と冷ややかに微笑む。
周囲の兵たちからは歓声と拍手が起こった。ギルベルトはさらに大声で「おい、聞いたか野郎ども! 俺たちの勝ちだ!」と叫ぶ。野次馬として集まった市民まで「終わった……」「これでやっと……」と口々につぶやき、安堵の気配が広がった。
「ざまあ……とまでは言わないけれど、こんな結果になるなんて、ご自分でも信じられないでしょう?」
リディアがエドワードの耳元でそっと囁くと、彼は悔しそうに顔を歪めている。けれど何も言えない。自分が撒いた種である以上、どれほど取り巻きにそそのかされたと主張しても、今さら後戻りはできない。
「公爵家が勝利した以上、明日からはこの国のあり方も変わるでしょう。あなたがた王家の人間は、しばらく謹慎していただいて、その後はどうするか……ゆっくり決めて差し上げます」
それを聞いたギルベルトは「いっそ国のトップに俺たちが座ってやるか?」と冗談めかすが、兵たちからは「それもいいかもしれませんね!」などと無責任な声が飛んで笑いを誘う。
リディアはそんなやり取りを聞きながら、ゆっくりと深呼吸をする。これで、長かった「けじめ」の戦いはほぼ完結だ。舞踏会の夜から始まった怒りが、王都を陥落させるほどの大事に発展し、今まさにクライマックスの瞬間を迎えた。振り返ってみれば、かなりの強行策ではあったが、こうしてほぼ無血に近い形で完勝を収められたのは、公爵家の圧倒的な力と、自分たちの士気があってこそ。
「これが婚約破棄の代償。――王家や貴族たちにとっては、大いなる『痛い思い』になりましたね」
その言葉に、ギルベルトが大きくうなずいて手を叩く。「痛い思いどころか、国の舵取りを根こそぎ変えちまうぜ!」と声を張る。兵たちは「おお!」と盛り上がり、エドワードやその取り巻きは完全に意気消沈したままだ。
やがてリディアはエドワードを見下ろしながら、最後に口元をゆるめる。
「それでは、殿下――あえて『殿下』と呼んであげますが、今後はわたくしの下僕のように振る舞うもよし、静かに追放されるもよし。どちらがあなたにとって幸せかは、ゆっくり考えることね」
「く……ふ……あ、ああ……」
エドワードは力なく目を伏せ、言葉にならない声を漏らす。その恨めしそうな目を見ても、リディアの心はこれっぽっちも動かない。自分を傷つけたことへの応報は、きっちり果たさせてもらった。今の王太子には、それ以上の価値が見いだせないのだ。
「とにかく、今日のところはご苦労さま。あなたが失ったものは多いでしょうが、それだけのことをしたということです――」
リディアはその言葉を最後に、ぱちんと剣を鞘に納めた。周囲の兵たちは大歓声を上げ、見物の市民たちも「やったぞ!」と口々に叫んでいる。公爵家の旗が高々と揺れ、朝日を浴びて耀く。それは、この国にとって新しい時代の到来を告げる象徴のようでもあった。
ぎくしゃくと動いていた歯車が、一気に流れ始める――そんな感覚を胸に、リディアは手綱を握り直す。後はエドワードを押さえ込み、取り巻きの貴族たちを捕縛し、国のかたちをどう変えていくかを考えるだけだ。まだ手間はかかるが、その先にあるのは、自分が望む新たな秩序。
「父上、ここでひと区切りですね。残りの掃討は早めに済ませましょう」
「おう。娘のおかげで、一番面白いところを堪能できたわ。じゃあ残りはサクッと終わらせるか」
ギルベルトは朗らかにうなずき、エドワードたちを睨みつけるように一瞥した。周囲の兵たちもそれに従い、王宮の出入り口や廊下をしっかり固めている。命じられるまでもなく、彼らがやるべきことはわかっているのだ。
こうして、王都への突入と王宮の制圧は、あっけないほど一方的な形で幕を下ろした。公爵家を敵に回したことで、王太子はすべてを失い、取り巻き貴族たちも尻尾を巻いて逃げ惑うばかり。国中に知れ渡るほどの大事件となることは間違いない。しかし、それこそがリディアの望みだった。王家が何をしてきたのか、公爵家を踏みにじるとはどういうことか――見せしめとして、これ以上に明快な結末はない。
陽光が差し込み始めた王宮の中庭。そこに立つリディアは、肩の重荷が下りたかのように一息つきながらも、まだ高揚感を残していた。これで終わりというよりは、ここが新たなスタート。自分のプライドを守るために起こした戦が、結果として国全体を変革へ導くなら、それも悪くはない。
「さあ、これからのことはゆっくり考えましょう。父上、兵たち、皆さん……本当にお疲れ様でした」
リディアがそう呼びかけると、公爵軍の面々は「お嬢様こそお疲れさまです!」「こんな痛快な戦は初めてだ!」と口々に応える。ギルベルトは誇らしげに腕を組んで、
「やっぱり俺の娘は最高だな! お前が本気になれば、王家ごとひっくり返すなんざわけもねえってこった!」
と高らかに笑い声を上げた。兵たちはそれに続いて歓声を轟かせ、石畳の宮廷に地鳴りのような活気が満ちる。
「ええ、わたくしもそう思います。――これがわたくしの、そして公爵家の『勝利』ですよ」
リディアは微笑みを湛えながら、足元で震える王太子と取り巻きたちを一瞥する。手ひどい仕打ちにも見えるが、これは彼らが自分たちで呼び寄せた結末だ。
こうして、王宮への突入という大勝負は、公爵家の圧勝に終わった。ここまで続いた因縁の戦いの終着点において、リディアが感じているのは、達成感と爽快感、そして少しだけ残る次への期待である。
かくして国の中心を掌握した彼女の物語は、まだ少しだけ続きがある――だが今は、ひとまずこの勝利を味わうのも悪くない。王都の朝に新しい風が吹き込み、民衆が呆然としながらも拍手や歓声を上げ始める。その声を耳にしながら、リディアは心の中で小さく囁く。
「ざまあみなさい、王太子殿下――」
これで、すべての局面は一応の結末を迎えた。しかしエドワードとその取り巻き、そして従来の権力構造がどう変化していくのかは、これからの話だ。リディアはその全てを、自らの意思で決めていける立場に立った。痛快なまでの勝利によって、彼女は公爵家の令嬢という枠を超え、真に自由な存在へと至ったのだ。
王宮の大広間へと続く回廊を、大勢の兵がわいわいと通り抜けていく。打ちひしがれた王太子を引き立てて、貴族たちを順に取り押さえる者もいる。混乱が落ち着いたら、しっかりと王都再編の段取りを進めなくては――そう胸に刻みつつ、リディアは堂々とした足取りで前へ進む。視線の先には新たな未来と、思いのままに変革できる可能性が広がっていた。
こうして、婚約破棄から始まった一連の波乱は、王都陥落という痛快な結末を迎える。だが、リディアとギルベルト親子の物語はまだ終わらない。これからエドワードたちをどう扱い、どう新しい国を作り上げるか――それは彼女の自由意思と底知れぬ才覚に委ねられている。
ひとまず今は、晴れやかな勝利を噛みしめる。それが、王太子に突きつけた復讐の余韻というものだった。




