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第1話 婚約破棄は突然に

 聖セレスタ王国の宰相府が主催する大舞踏会は、年に一度、貴族階級の社交シーズンを彩る最大の華やぎの場である。総大理石張りの床に加え、天井から垂れ下がる豪奢(ごうしゃ)なシャンデリアが会場を(きら)めかせ、音楽隊の流麗な調べに合わせて色とりどりのドレスが舞う。そんな中、王国中の視線を一身に集めていたのは、公爵家の令嬢リディア・フォン・ヴァルフォードであった。


「もうすぐエドワード殿下がいらっしゃると聞きましたわ。リディア様、今宵も美しくていらっしゃいますね」


 リディアの(かたわ)らに控える侍女のヘンリエッタが、気を利かせてリディアのドレスの(すそ)を整える。その声を耳にしながら、リディアはどこか不機嫌そうに扇子をはたいた。


「ええ、そうね。殿下には何もかもきちんと教えて差し上げるつもりよ」


 そう答える口調もどこか(とが)っている。先刻、ちらりと視界に入った王太子の取り巻きらしい若い貴族たちが、リディアのほうを見てくすくす笑っていたからだ。


 リディア・フォン・ヴァルフォードは、公爵家の一人娘として生まれた。金や名誉だけでなく、兵力と政治的影響力まで兼ね備えた名門の令嬢である。だが、近ごろ王宮に出入りするたびに妙な噂が飛び交っていた。「気が強すぎる」「公爵家の力にあぐらをかいている」など、失礼極まりない陰口を叩かれることもしばしばだ。もちろんリディアはそのどれにも心当たりがないわけではなかったが、「強い」という評価を揶揄(やゆ)されるのは面白いものではない。


 この日も、他愛のない社交辞令に混じっては嫌味を投げかけられ、リディアの不機嫌は募るばかり。周囲が笑おうと冷やかそうと構わない――そう胸に決めて扇子を閉じ、背筋を伸ばしたちょうどそのとき、入り口付近がざわつき始めた。王太子エドワードの到着を告げる声が響き、場内の注目は一気に扉へと向かう。


「お待たせしたね、皆の者」


 のっそりと入ってきたエドワードは、絹のスーツを纏い、さも得意げな笑みを浮かべている。取り巻きの貴族数名を従えて、いかにも「自分が主役」といった雰囲気を放っていた。リディアは扇子をもう一度開き、軽く視線を送りながら一礼してみせる。


「殿下、本日はご機嫌麗しゅうございます。わたくしどもに何かご用件でも?」

「ふん、よくぞ聞いてくれた」


 エドワードは不自然なほど大きな声で応じ、場内の耳目を完全に集めたあと、わざとらしく咳払いをしてみせる。すると取り巻きの貴族たちが意味深ににやりと笑うのが見えた。


「ヴァルフォード公爵家の令嬢リディア。そなたとの婚約は、ここに破棄させてもらう!」


 一瞬、言葉の意味を理解するのに時間がかかった。豪奢(ごうしゃ)な宴のただ中で、殿下が何を言っているのか。だが次の瞬間、リディアの胸を鋭い痛みが突き刺す。周囲から(かす)かなどよめきが起こり、貴族たちの視線が集中するのがわかった。


「破棄……? それはどういう意味でしょう、殿下」


 リディアはあくまで冷静に、しかし冷たい響きをはらんだ声で問い返す。エドワードはふんぞり返って、


「そなたは品位に欠ける。公爵家の権力をかさに着て、大事な社交の場で好き放題しているのも聞いている。よって、王太子妃に相応しくないと判断した」


 得意気なエドワードの言葉を聞きながら、リディアは(ふる)えるほどの怒りを覚えた。周囲の誰かの入れ知恵であろうと、よくも面と向かって侮辱してくれたものだ。何より、そんな重要な宣言を大勢の前で、一方的に――。


 場内は一瞬にして「面白いものを見た」という空気に包まれ、貴族たちは皆それぞれに含みのある笑みや嫌味ったらしい視線をリディアへ投げる。扇子を握るリディアの手は小刻みに(ふる)えていた。決して恐れではない。これは怒りだ。


「本当に……覚悟がおありなのでしょうね?」


 リディアの声は低く、小さく。しかしエドワードをはじめ取り巻きたちは、(あなど)るように鼻で笑う。


「もちろんだとも。そなたのような強情な令嬢が、王太子妃として振る舞うなど考えただけで恐ろしい。ここで縁を切っておけば、我が王家の名誉も守られる」


 エドワードは最後まで大仰な口調を崩さない。取り巻きの貴族がすかさず拍手でもするかのように嬉々としているのが、リディアの神経を逆撫でする。


「殿下。周囲の方々が何を吹き込んだかは存じませんが、今のわたくしを侮辱する行為が、いかに愚かなことか、後悔なさらないでくださいましね」

「強がっていられるのも今のうちだけだ! ここで公爵家との縁は終わりだ。さあ、もう下がりたまえ」


 エドワードは手を振ってリディアを追い払おうとするが、リディアは一歩も動かない。やがてぱちんと扇子を閉じ、殿下に向けて優雅に一礼だけしてみせた。


「よくわかりました。ならば、そちらから関係を絶つのですね?」

「そうだ。さあ、舞踏会を乱さないように退場したまえ」

「では――わたくしもしかるべき手段を取らせていただきます」


 静かな宣言だった。だが、その一言に宿った冷たい刃のような決意を、どこまでの者が感じ取ったか。少なくともエドワードはまるで意にも介さない素振りで、勝ち誇った顔をしている。取り巻きたちも、「これであの生意気な娘とはおさらばだ」という表情だ。


 リディアはくるりと背を向けると、取り乱すことなく堂々と舞踏会のフロアを後にした。背後でひそひそと囁かれる声は、「あれで終わりだな」「滑稽(こっけい)だ」という冷淡なものばかり。だがリディアはそのすべてを黙殺した。こんなところでみっともなく泣き喚くわけにはいかない。自分には誇りがある。ヴァルフォード公爵家の名を汚すことは、絶対にできない。


 王城を出ると、車に乗り込みながらヘンリエッタを振り返る。


「わたくし、帰るわ。父上に報告しなくてはならない」

「お、お嬢様、その……本当に婚約破棄になってしまったのですね?」

「ええ、そうよ」


 ヘンリエッタは苦しそうな顔で口ごもる。だがリディアは、視線をまっすぐ前に向けたまま、はっきりと言い切った。


「大丈夫。少し騒がしくなるだけの話。むしろ、わたくしに恥をかかせた彼らこそ後悔するでしょう」


 そう言いながら、リディアの胸には激しい怒りと、裏切られたような苦い思いが渦巻いていた。しかし、それを外にさらすよりも先にやるべきことがある。彼女は車窓から遠ざかっていく(きら)びやかな王城を(にら)みつけた。

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