96. 赤くなる
織部くんとはわかり合えると思ってた。
もっと話したら、ウケるくらい共通点もたくさんあるんだろうなって。
“真っ赤な嘘”を打ち明けても、きっと受け止めてくれる。
一緒に背負ってくれる。
だからこそ、守ってあげなくちゃ――ずっと、そう思い込んでいた。
だって、彼に自己投影すれば、苦しさも和らぐし、涙も堪えられるから。
「そっくりなのは、あたしじゃ、ない……」
胸の奥からくり返し響く“あっちゃん”の記憶が、織部くんと重なっていく。
あの頃は理解しきれなかった、答え合わせみたいに。
「僕は赤でも黄色でもないし、青の人が見る景色も知らない。緑色はタイパもコスパも悪いんだろう。……違う色に生まれていたら、もっと楽な未来があったかもしれない。いまだって、そう考えることはあるよ」
教室がざわついた。
「おい、あれ……」
「……傷?」
初めて目にした驚愕そのままの声がひそひそと飛んだ――織部くんが額に手を当てたんだろう、とドア越しに察した。
「でも、遠回りしたからこそ気付けたことがある。その“思い出”が、僕を強くした。……僕だけの武器になったんだ」
額を隠すために、前髪をわざと伸ばしていることを私は知ってる。
その隙間から覗く大きな三本傷が、本人は語らずとも壮絶な過去を想わせるから。
「この武器で、僕は弱さと闘う。困難に挑むのは、こうありたいと願う自分のためだ」
“緑色”なのに、どうしてこんなにほっとけないんだろう――
そんな疑問がずっと心に灯ってた。
それは、織部くんが私にとって“あったかもしれない”もうひとつの未来だからなんじゃないかって。
無意識に、もう同じ道は進めないとわかってて……彼を守ることで、私が“あたし”でいる理由を必死に肯定しようとしてた。
「生まれつきの魂の色が未来を決めるんじゃない。これからの生き方が、その色のこれまでを変えていくんだ。だから、“いま”をどう選ぶかなんだよ」
(……“いま”を、選ぶ……)
「自分の弱さを緑色のせいにしたくない。僕が紡ぐ未来で、新しく塗り替えたい」
私の選べなかった道を、織部くんは踏み出してる。
眩しいくらいに。
嬉しくて、寂しくて――結局、どこまでも私の独りよがり……。
(……あたしなんて、いなくたって……)
沈んでいく感覚を、どうしても止められない。
耐えてきた副作用の意味さえ、見失いそう。
「ろくでもねーな、ガチで」
それまで黙り込んでいた桃山が、業を煮やしたように声を荒げた。
「緑のせいにしたくない? 塗り替える? 無責任なんだよ!」
「無責任でいい」
目の前が漂白されていくようだった――あまりの白さに、目を開けていられない錯覚に襲われた。
教室から響いた声は、数日前に私が口にした言葉。
いま、織部くんの口から紡がれてる。
「僕は、自分の力で答えを出す。信じるって心から笑ってくれた人に応えたいから」
(心から笑ってた……あたしが……?)
織部くんは息を呑み、迷いを振り切るように――答えを出す。
「僕は、緑色が……好きだから」
“好き”を言える強さ――私がどこかに落としてしまったもの。
そのはずなのに、心が透き通る。
あの笑顔が浮かんで、どうしようもなく嬉しくなって、もっと聞いていたくなる。
「織部くん……」
鏡に映った私みたい。
すごく似てるのに、動きは正反対――鏡越しでは、決して同じにはなれない。
ありのままを許されない私は、鏡から抜け出せない。
だからきっと、望むことと反対の選択ばかりしてしまうんだろう。
でも――
(君なら、あたしには征けない景色に辿り着けるんじゃないかって……)
それなら、やっぱり私は笑っていよう。
見失いそうになっても、道を照らす東雲色でいられるように。
紫色のままじゃ、それはできなかったけど――
「……いまの赤色なら、できる」
気付けば、爪が手のひらに食い込んでいた。
燃え上がる衝動に押され、唇を噛む。
教室を開けた瞬間、刺すような空気の色が喉をひりつかせた。
その先は曖昧で――血のめぐりに感情が呑まれゆくなか、ただ全身を焦がすような想いに身を委ねていた。
(……ああ、いいな。あたしも、そうなれたらな)
我が儘が募るほど、心が真っ赤に染まる。
突きつけられる、私は“ホラ吹き”。
この赤色らしさだって、誰かの影をなぞった真似でしかない――
「お前の解釈は、ほとほと呆れる。もう死ねよ」
桃山の見下す声と同時に、織部くんが突き飛ばされる。
反射的に手を伸ばし、抱きとめた。
頬の真っ赤な腫れが目に焼き付いて――心臓がきしむ。
閃光が視界を裂き、瞳が赤く色めき立つ。
――“正義スイッチ”。
「……し、東雲さん。待っ……」
織部くんの声を振り払い、気付けば桃山に馬乗りになっていた。
「おい桃山、マジでナメすぎじゃね?」
振り上げられた拳の下で、桃山は情けない声を漏らし、すくみ上がる。
床に張り付いたままの奴に、とどめを刺す勢いで睨めつけた。
「“ぶっ飛ばす”って、言ったっしょ」
喉の奥から噴き出したこの言葉すらも、“あっちゃん”――推しの真似事。
もういまさら軌道修正なんてできっこない……。
自分を他人だと思え――それが泣かない秘訣。
――私が嘘をつくことで喜ぶ人がいる。
涙を堪えれば、誰かの助けになれる。
だから私は推しの口癖をお守りにして、怒りを味方にする。
これが、私が“あたし”になるまでの物語――




