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RGB:僕と浮世離れの戯画絵筆 ~緑色のアウトサイダー・アート~  作者: 雪染衛門
第十章 真っ赤な嘘

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95. 正しさと幸せ

“好き”ってなんだろう――意識もしないほど簡単なはずの言葉なのに、織部(おりべ)くんの口から出ると急に難しくなる。

わかりそうで、わからない。理解しようとした瞬間、幼い頃に引き戻されるみたいで……叱られる気がして、心がすくんだ。


「もう、魂の色(ソウルカラー)を理由に僕の心から、目を逸らすのはやめる」


廊下まで響く織部くんの声は、いつもとは別人みたいに()み渡っていた。


「心のまま、正直に生きたいんだ」


正直に生きるって――それは、()()()じゃないの?

素直になれば、傷付くだけ。だから人は嘘をついたり、隠したりして、自分を守ってるんじゃないの?


「それが険しい道でも……嘘をついて生きるよりマシだ」


まっすぐな響きに、耳がびくりと震えた。


――『自分のやりてぇこともできねーくらいなら、死んだほうがマシだ』


そこにいるはずのない“あっちゃん”の声が、教室の奥から重なって聴こえた気がして――


「僕は、どうしても嘘はつけないよ」


ビー玉を放り込まれたみたいな衝撃が走る。


(あたしって、こんなに空っぽだった……?)


その衝撃は、空洞(くうどう)のなかをくるくる転がり続けていた。


「化けの皮がはがれたな、()()


張りつめた空気のなか、桃山(ももやま)だけが(わら)った。


「やっぱ()()診断通りだ」


掲げられたタブレットに“緑色”のページ、大きく刻まれた二文字――『怪物』。


「怪物は主役の引き立て役だ。怪物が勝つ漫画なんてない。怪物に勝てないゲームは、ただのバグだ」


「この世界は漫画でもゲームでもない。()()を見ろって言ったのは、君だろ」


織部くんは一瞬も迷わず言い返した。

その速さに、桃山が思わず大きなため息をつく。


「聞いたか、お前ら」


静まり返った教室に、桃山の声が一気に広がる。

たちまち全員を抱き込むような圧で響いた。


「こうして秩序は乱れ、犯罪が増える。……緑光(ろくみつ)、お前みたいに魂の色(ソウルカラー)に歯向かう“色”があるからだ」


「僕は……自分が()()で良かったって、思ってる」


声は震えていた。でもそれは、勇気を振り絞った証として、廊下まで届いていた。


「緑光、俺はお前に同情してるんだぜ?」


桃山の声に、妙な安堵(あんど)が滲んだ。臆病な織部くんが戻ってきたと思い込んで、さらに語気を強める。


「まともな親なら、緑色が生まれる可能性は潰すだろ」


その一言を合図に、教室中から便乗の声が湧き上がった。


「緑色で良かった? 冗談えぐいて」

「御三家色しか勝たんっしょ」

「親ガチャ敗北者の負け惜しみか~?」


渦巻く嘲笑に、織部くんの()()()が吞み込まれそうで――胸がざわついた。


両親を(おとし)められた彼の怒りは、痛いほどわかる。

でも私は、“良い子”を選ぶしかできなかった。望まれる色に染まっていった。


織部くんも、きっと私と同じに――


「僕の両親を侮辱(ぶじょく)するな」


低く(うな)るような声に、思わず耳を疑う。

……織部くんだと気付くまで、息が詰まるほどの間があった。


彼は強い。見えないものを見ようとしてる――それでも“緑色”には限界がある。

まわりは他人に可能性なんて見出さない。人の価値は、生まれ持った色で決まるから。


魂の色(ソウルカラー)”で未来まで可視化された社会は、あまりにも正確で、誰も疑わない。

色を見ただけで知った気になり、他人の気持ちを理解しようとする思考が欠けている。……欠けていることさえ、きっと誰も気付いていない。


でも、私は気付いてる。()()として見られているからこそ。


入学式の日、織部くんが一度だけ見せた屈託のない笑顔を憶えてる。

“好き”を語ったときの純粋な輝き――私の知らない、私にはできない笑顔。


“好き”って、難しい。けど、私まで嬉しくなって、もっと見ていたくなる。

安心する理由を知りたかった。


……その笑顔は、わずか三年で“社会の色”に塗り固められていった。

緑色の(かせ)に縛られて、奪われたもの、刷り込まれたもの――


「だから、お前は“緑色”なんだ」


桃山の声には薄笑いが混じってる。

強がっているはずなのに、どこか焦りが(つの)っているようにも感じられる。


魂の色(ソウルカラー)()()()。従っていれば間違いない」


桃山の口からこぼれる言葉は、植え付けられた子守歌みたいに機械的で――そこに彼自身の意志は感じられなかった。


「与えられた色に従え。言われた通り、間違えないことが正解な生き方――」


「色のせいにして、思考を止めるなよ」


桃山の言葉を遮る織部くんの声は、叫んだわけでもないのに空気をも震わせた。

直後、物音ひとつ立たない静けさが広がる。


その理由は恐怖じゃない。

ただ言葉にできない何かが胸の奥を掻き立てた。


クラス全体の息が止まった気配が、ドア越しにも伝わってくる。


永遠にも感じられる沈黙を静かに取り戻したのは織部くんだった。


「その()()()は、君を本当に幸せにしてるの?」


織部くんの言葉は、桃山をまっすぐ射抜きながらも、芯の強さとともに寄り添う優しさを響かせる。


「“勝ち組色(エリートカラー)”に生まれたからって、その人にとって幸せとは限らないじゃないか」


胸のなかを転がり続けていたビー玉が、ふいに止まった。

奥に、人影が透けて見える。蘇芳色(すおういろ)を思わせる深赤の瞳――


――『勘違いすんな。赤だからって、なんでも上手くいくとは限らねぇんだよ』


一度目の錯覚よりも鮮明に、その声が(よみがえ)った気がした。


「……あっちゃん?」


けれど掴む間もなく、ビー玉は砕け、余韻だけが胸に染み込んでいく――

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