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RGB:僕と浮世離れの戯画絵筆 ~緑色のアウトサイダー・アート~  作者: 雪染衛門
第十章 真っ赤な嘘

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92. 合成着色料

カプセルが、手のひらでじわじわ温まってく。

赤の膜越しに、嘘が透けて見える気がして、息が詰まった。鼻の奥がつんと痛む。


(泣いちゃダメ。絶対、泣かない……)


鼻下を押さえた指先を、草子洗(そうしあらい)の手が、そっと包む。

優しく、でも無言で。慰めるでもなく、ただ受け止めるだけの温度。


魔性の女(ファム・ファタル)――そう、お開き直りくださいませ」


「フォローになってないって」


草子洗の視線は一切揺れない。

私が涙をこぼさないよう、あえて無機質に徹してるんだと思う。


そのまま、私の膨れ上がった罪悪感を切り分けるように淡々と言った。


「幼少期から、ご自身を偽り続ける生活を強いされてきたお嬢様が、人を利得で測るのはごく自然なこと。秘密が露見する危険と、人間関係の価値を(はかり)にかけるのは、防衛本能にすぎません」


……そう。私にとって、まわりは“赤色らしさ”を飾るための存在。

学生時代の人間関係なんて、通りすがりの風景。使い捨ての茶番――“友だち”と呼ぶことさえ、()()()()()


無意識に視線を落とす私を、草子洗は逃さない。


「“演じる自分”を補強する。それがために築く交友は、決して裏切りなどではございません」


正当化だって、わかってる。退学の一件で、嫌というほど思い知った。割り切ったつもりだったのに――織部(おりべ)くんの前だと、赤を着こなせなくなる。


「よろしいのでは? 彼に共有してしまっても」


思いがけない言葉。私は弾かれるように顔を上げる。


草子洗は、私の視線を捉えると、薄い(わら)いを浮かべ、挑発的に言い放つ。


「追い詰められた()()のことです。お嬢様の秘密を死守する姿が目に浮かびます。人畜無害のはけ口として、さぞかし従順に立ち回ってくれるでしょう」


心の奥がひりつく。草子洗に言語化されると、より実感してしまう。


やっぱり、私も織部くんのこと――誠実で立場の弱い“緑色”として見てるんだ。


そういう目も、彼はきっとすぐに気付く。

気付いた上で、懸命に受け止めてくれる。

私にとって都合の良いサンドバッグ、軽くなるのは私だけ。


どこまでも独りよがり。


「ガチ笑えないんだけど。ぶっちゃけたって、なんも変わんないし」


秘密を打ち明けたところで、赤色やめられるわけじゃない。

だって、この『真っ赤な嘘』は、私個人の問題じゃないんだから。


嘘に嘘を重ねて、戻れなくなる。そんな世界に織部くんを引きずり込んで――“誠実さ”さえも搾取して……。私が生きてる限り、彼の優しさを食い潰していくだろう。


そんなの、桃山(ももやま)たちより、よほどタチが悪い。


(だから、あたしは嘘を……つき通さなきゃならない)


「……独りのほうが、楽……」


頭おかしいけど、友情にカタチがあるのなら、私にはこれしかできない。


「差し出がましいことを申し上げますが、私はお嬢様さえ……」


「……だから、やなんだって」


言葉より先に、怒りが胸を焦がしていく。


“正義スイッチ”なんて言われてるけど、そんな綺麗なもんじゃない。

もうどうなってもいいやって――破壊衝動が、血管を伝って根を張っていく。

抗えない、抑えられない。


(はやく、飲まなきゃ……)


ポケットを探る前に、草子洗が錠剤を差し出していた。その目に、狼狽(ろうばい)の色はない。


「副作用……ご不自由なことです」


普段ならしないような――ひったくる勢いで、錠剤を取った。そんな自分に驚く暇もなく、口のなかへ押し込む。わざと奥歯で砕いた。怒りを噛み潰すように。


「申し訳ございません。少々、悪ふざけがすぎました」


背中をさする草子洗の手から、体温は伝わってこなかった。


「謝る必要なくない? ()()()()、説教三時間コース確定だし。そっちのがダルいわ」


いつになく、考えすぎてた。

通りすがりとか使い捨てとか、飾り立ててた“あたし”どこ行った? ってくらい。


草子洗の意地悪な冗談がなかったら。()()にすり替えてくれなかったら。

私は――罪悪感に呑まれてた。

自分が許せなくなって、悔しさに歯止めがきかなくなって、()()()()


いままでの努力を、水の泡にするところだった。


気を取り直して、真っ赤なカプセルを水で一気に流し込む。

喉の奥に、拒絶の残響が広がる。


『合成着色料』――魂の色(ソウルカラー)を変える、(たましい)の整形薬。


一日三回、決められた時間に服用する。高カカオチョコみたいな、苦いとも酸っぱいともつかない、えぐい味。口に入れた瞬間、背中に冷たい棘が走る。


何年経っても、この異物感には慣れない。

身体はとっくに知ってる。毒だって、ちゃんと認識してる。

でも――そんな悲鳴を、まわりの大人は無視してる。私も、ずっと無視してる。


「ゆっくりで構いません。どうぞ、並べた順に」


草子洗に促され、震える唇を噛み締めながら、整列した錠剤に視線を落とす。


ひとつ、またひとつ。喉に流すたび、胸の奥で何かが(きし)んだ。



この薬が“夢のリセマラ”と呼ばれてた時代を、私は知らない。

()()()()()()になれる、やり直せるって――希望だと信じて飛びついた人も少なくなかったらしい。


でも、現実は甘くなかった。


合成着色料は、十八歳になる前の、未成熟な身体にしか定着しない。

しかも、血や涙で成分が体外へ流れ出す欠陥つき。


たった一滴の涙で、せっかく染めかけた魂の色(ソウルカラー)も、あっけなく色褪せてく。


子どもなのに、外で走り回ることも、泣くことも許されなかった。

痛みも、悲しみも、喜びさえも――涙を誘う感情は、“悪”だった。


磁器人形(フィギュリン)みたいに、意思も体温も凍らせて、生きていくしかなかった。


――ただ、それより厄介なのは、()()()だ。


どんなに“良い子”でいたって、身体は正直だった。

発熱で汗を、感情の暴走で涙や怪我を誘って、薬を拒絶する。

“嘘”を、体のなかから吐き出そうとする。


ポケットには常に安定剤。副作用を抑え込むための必需品(おまじない)


“子どもらしさ”の欠片もない生活。()()だって騒がれるまでに時間はかからなかった。生まれ持った色が一番だとかなんとかで……。


やがて、欧米諸国で使用禁止されたのをきっかけに、日本でもタブー視され、忘れ去られていく……はずだった。


アジア圏では、いまもこっそり流通してる。

莫大(ばくだい)な維持費を払える、ほんのひと握りの富裕層の間で――


(……涙の数だけ、弱くなる)


私も、()()()()レベルの涙一滴に震えながら暮らしてる。

例えるなら、(さい)河原(かわら)で石積みしてる感じ。文字通り――地獄。



最後の一粒を口に含み、水で流し込む。

火照るような熱が、全身にじわりと帯びていく。

これは、薬の効果じゃない。きっと、胸の奥に仕舞い込んだ、やり場のない()()なんだ。


いまの私には必要だった。怒りだけが、弱さも迷いも吹き飛ばしてくれる。


“赤色は怒りっぽい”と言われてるだけあって、怒りは私に馴染(なじ)んだ。嬉しさや悲しさに呑まれるより、怒っていたほうが涙を堪えられる。

だから、“正義感”に身を任せるようになった。


「秘密が普通に――変わるまでの辛抱です」


草子洗の言葉と同時に、チリっと視界に電流が(はし)った。

手鏡を覗くと、瞳の色が赤く色めき立っている。


「……嘘が、真実(ガチ)に。変わる日……」

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