91. 罪悪感
(……あたしは、真っ赤な嘘だ)
吹奏楽部に入ると、迷わずホルンを選んだ。花形のトランペットでもないし、ピッコロやクラリネットみたいに持ち運びが楽な楽器でもない。
部員たちからは、意外だって言われる。
――『サックスとか、フルートのが、ぼたんっぽいのに』
――『もっと目立てばいいのにさー、“赤色”なんだし』
っぽいって……どこ見てそんなこと言ってんの? って。
「ウケる……」
派手な髪色? 陽キャ仕草? 強めな正義感……?
そんなの、“私”なら、いくらでも演じられる。
「……選ぶわけないじゃん。あたし、赤じゃないし」
存在自体がデタラメなんだから……。
“ホラ吹き”の私には、ホルンがぴったりだし。
そんな意図には、誰も気付かない。疑いもしない。
それだけ信用されてる――私じゃなくて“赤色”がさ。
「鏡の前なら、言えるのになー」
朝日が差し込む姿見の前で、制服のスカーフを結んでいく。
サテンの擦れる音が、今日も私を縛っていく。
うんざりするほど雲ひとつない晴天。
覗く鏡のなかに、誰もが羨む“赤色”らしい情熱的な笑顔は――ない。
「……もう、やらかさないから」
じっと私を見つめ返す澄ました顔立ちに、冷ややかな声で応えた。
物心ついた頃には、赤色になるよう強制されてきた。
小学生のとき、それがバレて退学になったけど、パンデミックと落画鬼認知のどさくさ紛れに転校したからか、陰湿な追及も、執拗な拡散も免れた。
(それに、嘘は隠そうとするからバレるんだよ。堂々と胸を張ってればいい)
まわりから浮くのがずっと怖かった。目立ちたくなくて、いつも俯いてた――
そんな暗かった過去の私とは、髪と一緒にブリーチしまくってバイバイしたんだ。
「でもさ……」
それでも、ときどき考えちゃうことがある。
(“嘘だよ”って言ったら――君、どんな顔する……?)
鏡のなかの“あたし”が漂白されていく。別の姿に変わっていく。
いつも消えちゃいそうなくらい優しく笑う、緑色の――
「……織部くん」
周囲からどんなキツい扱いを受けても、緑色の運命から、絶対に逃げない。決して、嘘もつかない。
そんな姿を見るたび、私は“あたし”がひどく卑怯で、汚い人間に思えてくる。
緑色だって決めつけて、誰も気付かない。
彼は臆病だって嗤われるけど、本当は――私のほうがずっと、臆病なんだ。
君なら――
「受け入れようって、頑張っちゃいそ。――合成着色人間のこと……」
鏡のなかの彼は、肯定してくれてるみたいに、そっと、こっちに手を伸ばしてる。
その手を取ろうとしていた“私”にハッとして、思わず引っ込めてしまう。
……彼は、ぱっと消えた。
(……やっぱ、無理)
言えたらどんなに楽か。でも、言えない。言ったら終わる。
この秘密は、私ひとりの問題じゃない。背負うには、あまりにも重すぎる。
これ以上、緑色の彼に背負わせたら――あの時みたいに、壊してしまう。
失ってしまう。
――だから、言わない。
深く息を吐く。彼の面影を追っちゃいけない、そうわかってるのに――
それでも、目はつい鏡に向いてしまう。
……今度は、女が立っていた。
「え、こわっ!」
「……入ってますよ」
「事後報告!?」
「これでも譜面が完成するほど、ノックしましたよ」
「マジ? ぜんぜん気付かなかった……」
私は鏡ごしに、女と目を合わせる。
ぴしっとまとめた黒髪。解けば、平安ロングの長さありそう。
今様色の太めのアンダーリム眼鏡。同じ色の攻めすぎなパンツスーツ――
使用人には、ミニマルが求められるのかもだけど……。
“目立ちたくなければ、目立て”
私にブリーチするきっかけをくれた人っぽい、いかにもなセンス。
色のインパクト強すぎて、ビジュ入ってこない。
何隠してんだろって気になるレベル。
彼女のことは――『草子洗』って呼んでる。
「時間厳守ですので、僭越ながら」
そう言って、草子洗はピッチャーをサイドテーブルに置いた。
結露の向こうで、レモングラスが揺れる。
数種類の錠剤が、飲む順番どおりに並べられていく。きっちり、正確に。
私のルーティンは、ぜんぶ彼女が管理してる。
「ねえ、草子洗……」
ソファに腰かけるより先に、つい声がこぼれた。
「なんでしょう?」
私が腰を下ろすと同時に、目の前のグラスが静かに満たされていく。
ふわりと香り立つレモングラスが、ほんの一瞬、思考を止めた。
水の音に耳を預けながら、私はおずおずと切り出す。
「やっぱ……あたしの独り言、聞いてた……?」
「いいえ、何も」
即答すぎて、逆に違和感。
でもまあ――とりあえず胸を撫で下ろすと、グラスに手を伸ばした。
「……恋煩い、ですか?」
口に含んだ水が、綺麗な霧になって吹き出す。
「聞いてんじゃん!」
顔ヤバ、湯気かぶったみたい。どっから聞かれてた?
熱とせり上がる真っ赤な感情に、頭のなかが臨界点。
草子洗の、無言の圧。
心音に乗って揺らぐ水。
その波紋が静まるまで、何も言えなかった。
「そんなわけないっしょ……」
私は、諦め半分で再び手を伸ばす。
並べられたうちのひとつ――艶やかな赤を宿す、透明なカプセルに向かって。
「あたしのこと、持ち上げすぎな子がいてさ」
カプセルを指で転がしながら、私は静かに話を繋ぐ。
草子洗は、呼吸ひとつ立てず、じっと耳を傾けてくれていた。
「その視線が眩しいってゆーか、なんか、しんどいってゆーか……」
私、人騙してんだなって――強く実感しちゃうんだよね。
「だからさ、いっそバラしちゃえば、楽になんのかなーって」
「……仕留めましょうか」
急に口を開いたと思ったら、すでに意味がわかんない。
「は?」
「どちらかと言えば、そういったお役目は私の専売特許で……」
……ガチでなんの話してんの!?
「そっちのバラすじゃないしっ!?」
謎だらけのこの女中は、私の秘密を知る数少ない人で――たったひとりの味方。
……笑えない冗談が、玉に瑕なんだけど。
「織部緑光……。緑色のクラスメイトのことですね」
草子洗の切り替えは、いつも唐突。
冗談も真面目も顔色ひとつ変えず喋るから、心臓に悪い。
(……織部緑光)
彼の名前を、そっとなぞる。
織部くんは、きっと知らないんだろうな。
私に向ける眼差しが、星みたいに光ってるって……。
「あの子なら色的に、秘密守ってくれそーってさ」
その光に滲む優しさとか、誠実さとか――
あの子を利用しようとする私が、ふとした瞬間に現れる。油断できない。
「……あたしってさ、マジ性格終わってんのかも」




