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RGB:僕と浮世離れの戯画絵筆 ~緑色のアウトサイダー・アート~  作者: 雪染衛門
第九章 すべての絵師を処せ

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90. 正夢

部屋に戻るなり、僕は迷わず机の引き出しに手を伸ばした。クロッキー帳を押し込んだ、あの場所へ。


指が触れる寸前――机のスマホが震えた。

連動する疑似アクアリウムの金魚が、ぱっと散る。

代わって、ネットニュースのテロップが流れはじめた。


「……東京で、脱獄……? (ねずみ)の大量発生……?」


明け方の部屋に、不穏な空気がじわじわと広がっていく。


嫌な予感がして、開きっぱなしだったネットゲームにマウスを滑らせる。フレンドリストの『†檳榔子黒猫(びんろうじぐろねこ)†』は、いまも灰色のまま――


(何かあったんじゃ……)


ニュースの活字を目で追う。

鼠の大量発生は神絵師(かみえし)によって早期に制圧され、人的被害は最小限に留まった。

ただ、都心ではいまだ大規模な停電が続き、脱獄犯は姿をくらましたまま――


「鼠……神絵師が絡むってことは、もしかして……」


真っ先に脳裏(のうり)をよぎったのは、落画鬼(らくがき)犯罪組織“四十八茶(しじゅうはっちゃ)百鼠(ひゃくねず)”だった。


SNSを開くと、すでに情報が錯綜している。

“自業自得”、“承認欲求乙”、“日本滅亡”――穏やかとは程遠いワードが、トレンドを容赦なく塗り潰していた。


僕はタイムラインを掘るようにたどっていく。


鼠大量発生の混乱のなか、“ポルノ・グラフィティ連続通り魔事件”の六人目の犠牲者が出たという。救出に向かった警察官が殉職したらしい。


発端は、動画配信者(ストリーマー)だった被害者の“軽率な行動”――


トレンドに浮かぶワードの大半は、被害者を責め立てるもので埋め尽くされている。

傷口を探しては、そこに塩をすり込んでいく――誰かを叩ける理由さえあれば、あとはどうでもいい。そんな空気が、画面いっぱいに広がっていた。


(……え?)


それは不意に現れた。

海の底から浮かび上がる(くじら)の孤影のように。

静かに、でも圧倒的に、トレンドを呑み込んだ。


()()()()()()()()()


殴られたような衝撃に、吐き気すら覚える。


「なんで……」


無意識に、声が漏れた。

くり返し見る、明晰夢(めいせきむ)――そこで、いつも(うた)われていた、あのフレーズが。


目の前が――無彩色(むさいしょく)に染まっていく。

血の気が引き、心臓の音だけが全身に響き渡る。


「……正、夢……?」


僕は画面を見つめたまま、ふたつの事件を思い返す。

特に、鼠の大量発生を引き起こした脱獄犯は、読み通り――“四十八茶百鼠”の絵憑師(えつけし)。国家指名手配級の危険人物で、神絵師がふたりも動員されたほどだ。

それでも取り逃がした。


正体が絶対にバレないという傲慢(ごうまん)さにつり合う狡猾(こうかつ)さ。

落書き犯(スクリブラー)を装い、一般刑務所に収監されていたのも、きっと遊び半分だったのだろう。


都心では現在も厳戒態勢が続き、各地に検問が敷かれているらしいけど……。

断片的なネットの情報を見るだけでも――捕まえるのは、たぶん無理だ。


“ポルノ・グラフィティ”の落書き犯(スクリブラー)も、すでに都内から逃げ延びたという憶測(おくそく)まで飛び交っていた。


すべてが、後手に回っている。


増える犠牲者と、膨らみ続ける不安に、世論の怒りは最高潮に達していた。


「……“無能”?」


タイムラインの一文が、喉の奥をざらりと引っかいた。


浮夜絵師(うきよえし)は、なんの役にも立たないと。

統制できない政府が悪い、と政治批判に飛び火する声すら出ている。


「“だったら、絵師を消してしまえばいい”……だって……?」


落画鬼を生み出すのは絵師なのだから。

絵師がいるから、()()()()に変わり、罪を生む。

この世から絵師を排除すれば、すべての憂いは消えるはず――


極論(きょくろん)は、いつしか“正義”に化けて、タイムラインを支配していた。


「そんな……」


ただ、“絵師”であることだけを理由に、罪なき創造が吊るし上げられ、絵そのものが否定される。人格さえも、無遠慮に踏みにじられていく。


顔が見えないことをいいことに――人はどこまで残酷になれるのだろう。

現実では口にできない言葉が、タイムラインを黒く染めていった。


「言葉は剣よりも強し――」


アッシリアの賢者(けんじゃ)・アヒカルの言葉が、呼吸に焼き付き、胸を突く。


(絵師がこの世から消えてしまったら……)


僕の知っている絵師は、いつだって誰かを笑顔にしてきた。

保育園で、手の甲に小さな動物を描いてくれた先生。

夏祭りで、好きなキャラクターを飴に模ってくれた屋台のおじさん。

その何気ないやり取りが、忘れられない。

いまも灯火のように、僕の記憶に息づいている。


あんな風に誰かを笑顔にできるなら、僕も絵を描く人になりたいと思った。


僕の知っている絵は、背中を押す力を持っている。

挫けそうな夜には、主人公(ヒーロー)が寄り添ってくれた。

信じたい気持ちを、代わりに叫んでくれる漫画(ドラマ)もあった。

自分を見失いそうな時ほど、ページの向こうから支えてくれた。

“緑色”に迷い続けた日々でさえ、絵は僕を嫌わなかった。


絵はずっと、僕のそばにいてくれた。

そんな絵を、僕も描きたい。誰かの明日を照らせるように。


そして、僕が知っている浮夜絵師は――

僕が目指すべき光で、越えなければならない影。

夢であり、(とが)であり……あの日、生かされた理由だ。


見失いかけていた本当の自分と向き合うために。

“色”に染まらない僕を見つけるために。


何度もやめようと思った。

でも、僕は。それでも僕は……。


嫌いになったことはない――


ずいぶん時間がかかった。僕にも“心”があるって、気付くまで。


だからこそ、たった一時の衝動で吐き捨てられた“言葉”が、

“正義”の顔をしてまかり通る世界なんて――


想像するだけで、胸が張り裂けそうだった。


「……すべての絵師を、処せ……」


この言葉を見て、画面の向こうの絵師たちはどんな顔をしているのだろう。

どれほどの想いで、胸に刻んでいるのだろう。

命を懸けて戦っている浮夜絵師は――


――『僕は浮夜絵師になりたい! 僕の描いた絵でみんなを笑顔にするんだ!』


幼い僕が、()()()に祈った――心からの願い。


僕の願いが叶うことで、誰かを泣かせてしまうくらいなら……ずっと、それが(かせ)になっていた。

でも、願いを飲み込んだって、誰かが泣くのなら――


僕は、僕の願いを叶える。

その力で、ひとりでも多くの人を笑顔にする。


()()じゃない、()()でもない、

“僕だけの色”で――もう、僕は()()()()


絵は、描き手のすべてを物語る。

筆の(ふる)い方ひとつで、人の運命がいとも簡単に変わる。


なら――


「僕が浮夜絵師になる。泣いてる誰かの物語を、幸せな結末(ハッピーエンド)に導いてみせる」




タイムラインを埋め尽くす、罵詈雑言(ばりぞうごん)断罪(だんざい)の群れ。

そのなかに、()()()()()――異質な色を放つ言葉があった。


――“夜明け”だ。


その一文に触れた緑の瞳が、()てつくように、そして焼きつくように鋭く(きら)めく。


少年は、クロッキー帳に手を伸ばした――

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