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RGB:僕と浮世離れの戯画絵筆 ~緑色のアウトサイダー・アート~  作者: 雪染衛門
第九章 すべての絵師を処せ

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87. 深夜の問題作

「へぶしっ!?」


小さな星形が、勢いよく僕の顔面にぶつかってきた。

鈍い音と同時に、眼鏡のレンズが外れ、床に円を描くように転がっていく。


攻撃された……? いや、たぶん――

クロッキー帳が勝手に開いて、その反動で浮夜絵(うきよえ)が吹っ飛んできたんだ。

自分でも、何を言ってるかわからないけど。


「……あいたた」


痛みに顔をしかめながら、目を開ける。

枠だけになった眼鏡越しに映る、天井。


見えているようで、見えていない――

僕は、自分の力じゃ、何ひとつ見えてない。

奥歯を()()め、ぐっと(こぶし)に力を込める。


すぐに起き上がり、ぼんやりと放つ浮夜絵の光を頼りに、手探りで床を()う。


「……だ、大丈夫? どうした、の……?」


指先がやっと光に触れそうになった、その時――

へたり込んでいた浮夜絵が、糸に引かれるように宙へ浮かんだ。

誰かにつままれているのか、不自然な角度で持ち上がっていく。


僕は、その背後にある気配に、思わず息を呑む。


「なんだ、らくがきか」


聞き慣れない声だった。つままれた光の先を追い、僕はその方向を見上げる。


――誰か、いる。


ぼんやりとした輪郭(りんかく)が、浮夜絵の光を受けてゆらゆらと揺れる。

男の人……? でも、家には僕以外に男なんていない。


(……まさか強盗(ごうとう)? いや、もしかして……お父さんが……)


期待と不安がせめぎ合う――

目が見えない分、心が見たいものを願ってしまう。


(ほこり)まみれで、ばっちいではないか!」


……違う。こんな(しゃべ)り方、お父さんじゃない。

声色(こわいろ)も、似ているようで、どこか違う。


(あん)ずるな。このオレが、お風呂に入れてやる!」


そう言いながら、浮夜絵を連れ去ろうとする。

僕は喉に張り付いた声を、どうにか吐き出した。


「待……って……」


「あ……?」


男はようやく、僕の存在に気付いたみたいだ。


「……這いつくばって登場、だとっ!?

お前はいいのか、それで。そんな歴史の刻み方で」


なんだか、かなり大仰(おおぎょう)な言い回しだ。


「オレに早々ひれ伏すとは見どころまみれだが!

あまりに地味すぎて、危うく腰が抜けるところだったわっ!」


男は、僕の前にしゃがみこむ。

ぼんやりとしか見えないけど、まるで品定(しなさだ)めされているような居心地の悪さだけは、はっきり伝わってくる。


「もう少し人生の主役っぽく振る舞っても、バチは当たらんぞ?」


(そんなに影、薄いかな、僕……)

なんて(よぎ)ったけど――

いまは、ネガティブに浸ってる場合じゃない。


目が見えない僕には、これしかない。

思いきり息を吸い込んで、助けを――


「大きな声を出すな!」


パシンッ、と乾いた音が部屋に響く。男の手が僕の口を塞いでいた。


(やっぱり、強盗……!?)


そう身構えたんだけど――


「ご近所さんの、ご迷惑になるだろう!」


……めちゃくちゃ、周囲に配慮(はいりょ)してる。

そもそも、ここは山のなかの一軒家(いっけんや)だ。近所なんて、あるわけがない。


それも知らないなんて――この人、いったいどこから来たんだ?


「お前もお前だ。うら若き青少年がこんな遅くまで夜更かしするんじゃないっ。

身長止まっても知らんぞ!」


なぜか、僕は見知らぬ男の人から説教されていた。

……絶対に知らないはずなのに、初対面って気がしない。


「ちゃんとお布団に入って寝ろ。お腹は出すんじゃないぞ、風邪を引くからな」


僕は、底が抜けた眼鏡越しに、その人をまじまじと見つめた。

目をこらしたって、見えやしないのに――


見えないくせに、僕の心だけは“知っている”と言わんばかりに、懐かしさに吸い寄せられていく。


「オレの前で、そんな不景気な顔をするな!

悩みでもあるのか? 話せ! いくらでも聞いてやる!」


……いい人、なのかな。


「あ、あなたは……誰……?」


「いきなりオレの名を聞くとは。不敬(ふけい)なやつめ!」


ずいぶん(えら)そうだけど……一理ある。

人に名前を(たず)ねる時は、まず自分から名乗るのが礼儀だって、よく――


「いいか、一度しか言わないからな!」


……お、教えてくれるんだ。


「オレの名は、エ――」


緑光(ろくみつ)、起きているのかい?」


「……え?」


突然、部屋の外から声がした。

思わずドアへ向けた視線は、そのまま窓へと流れる。空が、白みはじめてる。


(……お婆ちゃんが、起きたんだ)


まずい。この状況を見られたら、祖母は間違いなく腰を抜かす。

ただでさえ腰が弱いのに、そんな目に()わせては絶対にダメだ。


とにかく、ふたりを――


咄嗟(とっさ)に振り返る。


「あれ……?」


……いない。浮夜絵も、あの変な男の人も。


部屋に残されていたもの――


疑似(ぎじ)アクアリウムの光を、ぼんやりと反射する牛乳瓶(メガネ)厚底(レンズ)


そして、タコ糸から()かれたクロッキー帳――

紙面を床に向けて、ぽつんと転がっている。


それだけだった。

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