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RGB:僕と浮世離れの戯画絵筆 ~緑色のアウトサイダー・アート~  作者: 雪染衛門
第九章 すべての絵師を処せ

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86. 置き去りの過去

ゲームチャットの未読メッセージ。

投稿は、二十三時すぎ――僕が寝落ちしたあとだ。


「……†檳榔子黒猫(びんろうじぐろねこ)†」


相変わらず、すごい()()()()だな。


ネットで初めてできた友だち。ネトゲに魂を宿したみたいなプレイヤーで、ランキング上位の常連。いつ寝てるのかもわからないくらい、ずっとログインしてる。


それこそ、誰とも群れないことで有名な人――だったのに、なぜか向こうから声をかけてきてくれた。


近づきがたい雰囲気(ふんいき)はあったけど、意外なほどすぐに打ち解けた。

僕も、“黒猫”って響きに惹かれていたからかもしれない。


返事をしようとキーボードに手を置いたけど、今夜は、珍しくログアウトしているみたいだった。


「……どうしたんだろう。具合悪いのかな」


東京に住んでる同世代くらいの少年――それしか知らない彼を、こんなにも気にかけている自分が、少し不思議だ。


お互いに、魂の色(ソウルカラー)を知らないから、対等でいられるのかもしれない。

現実で出会っていたら、きっとこんな風にはなれなかった。


()()でいられるこの世界が、好きだ。

色に囚われずに済む、唯一の場所だから。


「東京、か……」


浮夜絵師(うきよえし)の需要は、大都市に集中している。

父の情報を追うなら、なおさら上京は避けられない。


僕のことを想って東京を捨てた母に、「東京に行きたい」なんて言ったら――きっと泣かせてしまう。


……お母さんの“青色”は、誰よりも優しいから。


「……なんて、切り出そう」


でも、その前に、ちゃんと考えなきゃいけない。

僕が父を追うことは、本当に使()()なのだろうか。


父は、家族を優先する人だ。だから、守るために姿を消した。


なら――残った僕が、母と祖母を守ることこそ、本当の使命じゃないのか。


このまま父を追って、僕は後悔しないだろうか。

僕が浮夜絵師になることを、父は望むだろうか――


――『嫌いになったのかい?』


「……え?」


――『絵を描くことだよ』


唐突に思い出される父の言葉。

やがて、それは誰か別の声に重なっていく。


――『絵を嫌いにならないで。絵は必ず君の力になってくれる』


実葛(さねかずら)さんに刺激されたせいかな。

置き去りにしていた過去が、次々に引き出されていく。


僕がまだ東京に住んでいた頃に出会った、名前も知らない高校生の言葉だ。


――『世界にはね、絵を操って戦う英雄(ヒーロー)がいるんだ』


彼は、近所の外壁に落書きしようとした僕の手を、そっと握ってくれた町絵師(まちえし)だった。


――『俺はその英雄(ヒーロー)になる。だから、君がこのまま落書きをしたら、俺たちは、敵同士になる。そんなのは悲しい』


当時、僕は四才。

夢は願えば、勝手に叶うと信じていた。

星が導いてくれるものだと思い込んでいた。


だから、あの町絵師――少し大人で、まだ大人じゃない彼の、硬い拳に秘められた決意の重さなんて、僕には想像もつかなかった。


――『絵描き好き同士、人を笑顔にする絵を一緒に描こうよ』


夢を抱き、追い求める熱量を守り続けることが、こんなにも難しいなんて――


“正義”の理想と現実の狭間(はざま)で、あの人はどんな答えを見つけているだろう。


「……あの人は、浮夜絵師になれたかな」


僕たちは、敵同士……かな――諦めを含んだ笑みがこぼれ、僕は眼鏡に手をかけた。


突然、机の引き出しが、静寂(せいじゃく)を突き破る。

その音に、心臓をつかまれたような気がして、僕は小さく跳ねた。


淡い星明かりが、僕の頬を照らす。ぼやけた光を頼りに、眼鏡を掛け直した――


「つ、ついてきちゃったの……!?」


実葛さんが描いた浮夜絵(うきよえ)だった。


実葛(さねかずら)さん、今頃探してるかも。はやく連絡しないと……でも、この時間は迷惑かな。いや、でも、起きてそう……」


僕がひとり(あわ)てふためくなか、浮夜絵は、星粒(ほしつぶ)みたいな手で引き出しを引っ張っている。

ただ、その小さな体では、びくりともしない。


すると、あの“破壊力”でまた――懇願(こんがん)するように見上げてきた。


(めっろ、かわいすぎるっ! お目々きゅるきゅるだし……かわいさが鬼……(とうと)っ……!)


僕のなかの()()()が大渋滞してる。

守りたい、この小さきいのち……。


さっきは実葛さんがいたから、じっくり観察できなかったけど――


「……ちょっと、もう一回……触らせ……じゃなくてっ」


ゆるんだ頬に軽く平手を打って、気持ちを引き締める。


「あ、開けてほしいの……?」


小さな浮夜絵は、こくこくとうなずいた。


僕は机の引き出しに手をかける。

ゆっくりと開けると、隅にはタコ糸でぐるぐる巻かれたクロッキー帳が追いやられていた。


薄く積もった(ほこり)。ダブルリングには、小さな蜘蛛(くも)の巣――まるで時間まで巻き込んで、封印していたみたいだ。


小五の夏から、一度も開いていない。


中学入学式の日、アナログ撤廃(てっぱい)に伴って設けられたリサイクルボックスに、思い切って投げ入れようともした。……無理だったけど。


そっと手を伸ばしてみる――指先が勝手に震えてる。

認識した瞬間、全身から汗が吹き出すような感覚が襲ってきた。


「……やっぱり、ダメだ……」


頭ではわかっていても、心がそれについていけていない。

知識ばかり(たくわ)えたって、心が追いつかなきゃ、意味なんてないんだ。


「……僕に、我力(がりょく)があるとは……到底……」


固まった視線の先――星の光が、封印された時間を紐解(ひもと)こうとしている。


「だ、だめだよっ……!」


止めようと手を伸ばしても、浮夜絵は無邪気に首をかしげる。

……まるでわかってない。

タコ糸をおもちゃみたいに引っ張っては、はしゃぎ回って――体中、すっかり埃だらけだ。


「……僕の絵が襲ってきたら、危ないからっ」


無意識に突き出た言葉で、実葛さんの言葉がよみがえる。


――『君は絵が描けないんじゃない。描かないんだ。

あれ以来、絵を描くと浮き出してしまうと理解したからだろう?』


否定したいのに、身体はもう知っている。


とにかく、実葛さんに連絡しなきゃ――スマホに手を伸ばしかけた。

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