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RGB:僕と浮世離れの戯画絵筆 ~緑色のアウトサイダー・アート~  作者: 雪染衛門
第九章 すべての絵師を処せ

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85. 仮説

「……誰が、そんなこと」


「警視庁――上層部からの命令だったそうだ」


「警察……まさか、そんな……」


言葉にならない動揺が、頭のなかをぐしゃぐしゃにかき乱す。


「表向きには、落画鬼(らくがき)が再び顕現(けんげん)する危険性を考慮してとのことだったが……」


実葛(さねかずら)さんは、どこか釈然(しゃくぜん)としない様子で続けた。


「幹部連中は、それこそ浮夜絵師(うきよえし)の起源から本質まで熟知している。彼らがそんな稚拙(ちせつ)な判断を下すとは、とても思えない」


そう言って、静かに目を細める。

険しさが滲んだ横顔に、僕は思わず息を呑んだ。


「……どうも、警察内部あるいは政府側に――

お父さんの指名手配を解除したくない者がいる。

絵憑師(えつけし)”にしておかなければ、都合が悪い連中がいる。そんな気がしてならない」


僕の知らないところで、父はずっと“都合のいい悪者”として扱われている――そんな現実が、背中のリュックをさらに重く感じさせた。


絵の具の色が重なっていくように、真実が少しずつ姿を現していく。

同時に、疑問も生まれる。


特異な絵師の()だとか、いくら実葛さんが“赤色”であることを考慮しても、一方的な感情だけで父を信じているとは思えなかった。


「……実葛(さねかずら)さんは、何か見つけてるんですか……?」


実葛さんは、織り込み済みだったとでも言いたげに、フッと目元を和らげる。


「やはり君は鋭いな。

ここまできたら渋る理由もない……君のお婆さんのおかげだよ」


「僕の祖母、ですか……?」


「和紙の断片を預かったんだよ。

事件当時、警察の目を盗んで拾い上げてくれていたらしくてね」


祖母が事件直後、現場に立ち会っていた話は、僕も聞かされていた。


「それを信用筋(しんようすじ)で調べさせた。

結果、残された色は、大鼠生成に使われた違法塗料とは異なっていたんだ」


実葛さんの言葉を待たず、僕は目を見開く。


「お父さんの魂の色(ソウルカラー)、そのカラーコードと完全に一致したんだよ」


――お父さんは、絵憑師じゃない。


それだけで、胸に食い込んでいた荊棘(いばら)が、ほんの少しほどけた気がした。


実葛さんは、指先で静かに万年筆を転がすと、「僕の仮説はこうだ」と口火(くちび)を切る。


「大鼠の落画鬼は、君の父を狙った第三者によって仕掛けられたもの。それが、“和紙”を巡ってのトラブルか否かまでは不明だが、絵憑師絡みの組織犯罪に巻き込まれていた可能性は、十分にある。

君の父はすべてわかったうえで自らを(おとり)にし、そして姿を消した。

……警察も頼れない身の上だったからだ」


「父は……犯罪組織だけじゃなく……警察、いや政府にとっても……」


続きを言い(よど)んだ僕に、実葛さんは真剣な目を向ける。


「消しゴムを所有していない現状、浮夜絵師だとも言い切れないからね」


そのまま、一呼吸おいてから、言葉を継いだ。


「念のため、浮夜絵師のデータベースも調べてみたが、案の定、お父さんの特徴と一致する画号(データ)は、登録されていなかった」


遊んでもらっていると勘違いしたんだろう――

小さな浮夜絵(うきよえ)は、僕の手のひらで楽しそうに跳ね回っていた。

でも、沈んだ僕の肩に気付くと、ぴたりと動きを止める。


「データベースにない以上、制度上は“無許可の能力者”とみなされる。

……警察は、()()しかないんだ」


あどけない、小さな星の手が、鼻先をぺちぺち触れてくる。

僕は力なく笑いながら、光の(またた)きを見つめた。その瞬間――


――『自分よりほかの誰かを考えてしまう。家族を、優先したくなるんだ』


父の言葉が、光のなかで息を吹き返す。

僕は、はっと口を開いた。


「……父が行方不明な理由って」


僕たちを守るため――きっと、それは、目に見えない“優しさ”だった。


(そう教えてくれたのは、他の誰でもない――お父さんなのに……)


膝が崩れ落ちる。僕は両手で口元を押さえた。


小さな浮夜絵は、僕の肩にすとんと降り立つと、今度は頬をぷにぷに押してくる。

対照的に、実葛さんは僕の沈黙を破ることなく、ぽつりと続けた。


「いまもどこかで、ひとり闘っているのかもしれない。

多数決の正義でも、法律でもなく、“自分の正しさ”を信じて」


胸の奥が、じわりと熱くなる。


「だからこそ、君が浮夜絵師になって、自分の目で確かめる必要がある。

このままじゃ、お父さんは“極悪人”のまま捕まってしまう。

……真相を明らかにできるのは、君だけだ」


力強い声に呼応して、小さな浮夜絵が、家の玄関へと光の尾を引いていく。

まるで星の導きのように……。


「助けるんだ、君が。お父さんを」――



◆◆◆


反芻(はんすう)の余韻を引きずったまま、ぼんやりと部屋の片隅を見つめた。

飼い猫がよく爪を研いでいた柱には、いまも小さな傷痕が残っている。


あの頃は、ちょっとした悩みの種だったけど――いまは、ただただ……愛おしい。

小さな意志が、確かにここに生きていた証。


どこにでも()()()したがるやんちゃな君。

僕たちは、よく似てたんだ。


(……クロ)


僕が納屋に描いたクロの落書きが、鬼になって襲ってきたんじゃないか――

最悪の想像を、あの日からずっと、心の奥に抱えて生きてきた。


大切なクロを、僕の手で“落画鬼”に変えてしまったんじゃないかって。


僕の願いが、すべてを傷付けてしまったんだって……。


「落画鬼にならなくて、本当に、良かった……」


クロを想うたび、込み上げてくるもの――いままでずっと、(ふた)をしてきた。


涙が、止まらなくなるから……。


長いかぎ尻尾に、目の覚めるような黄色い瞳。

宵闇(よいやみ)に命を吹き込んだような、しなやかな肢体(したい)


失うことを恐れ、逆に遠ざけてしまったクロの温もり。

想像してたより、ずっと……ずっと傍にいてくれたんだ。


「クロ……」


心が色立(いろだ)つ――


今日、実葛さんと話して、多くの疑問が晴れた。

でも、ひとつだけ――


――クロの落書きは、いったい、どこへ?


その問いだけが、胸の奥で淡く燻り続けていた。


……ふと、パソコンの画面端に赤く表示された通知に気付く。

僕はそっと、上体を起こした。

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