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RGB:僕と浮世離れの戯画絵筆 ~緑色のアウトサイダー・アート~  作者: 雪染衛門
第八章 赤恥をかくのはごめんだ

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80. 鼠つぶし

「……させねぇ……っ」


ショウは矢を構え、ねずみ男がこれ見よがしに掲げた“筆”に狙いを定めた。

何を差し置いても、奴にあれを(ふる)わせてはならない。直感がそう告げている。

だが、指先が震え、(つる)を引く力が抜けていく。


意識が遠のく感覚に抗いながらも、肩が、腕が、ついに重みに負けかける。

視界が(かし)ぐ――その瞬間。


勿忘草(わすれなぐさ)が、ショウの腕をすくい上げた。


「ヤバいね、さっきの。どこのバンドの曲っ!?」


ふざけた口ぶりだが、声色は真剣そのものだった。


「あれ、歌武伎(かぶき)だよ……。簡単に言えば、浮夜絵(うきよえ)の音楽スタイルって感じ。

絵と違って、聴く人ほぼ全員に影響しちゃうし、コントロールなんてまず無理。

悪党ですら、躊躇(ためら)うくらい」


勿忘草はそう言って、ねずみ男を一瞥(いちべつ)する。


「……おかげで、ヤツにも逃げられちゃった」


その目だけが、冗談の皮を剥いだように、冷たく光っていた。

ロリポップ型の飴を取り出すと、ショウの口元へなかば強引に押しつける。


命の前借り――とも言える無理を、連日重ねてきた。

限界すれすれの身体に、歌武伎が重なれば、こうもなる。

勿忘草は、せめてそれを口に含ませたかった。無論、ただの()()()()ではない――


「……俺にかまうな。ねずみ野郎を止めろ……!」


ショウは、勿忘草を振り払ってGペンをかざそうとする。

だが、その手首は、再び強く握り止められた。


「死んじゃうよ」


静かな制止。

抗うように、ショウは勿忘草を睨みつける。


青色特有の、凍てつくような瞳――容赦なく心を(えぐ)るが、勿忘草は手を離さない。

彼の眼差しには、遠い記憶の影が揺れていた。

ショウに、かつての誰かを重ねているかのように。


その間にも――不吉なざわめきが湧き上がる。

煮えたぎるような音が、地の底から這い上がり、耳の奥を焦がしていく。


「くそっ……!」


ショウは奥歯を噛みしめる。掴まれた腕は重く、振り払う力さえ残っていない。


視線の先――

ねずみ男の筆は、すでに地面へ押し付けられていた。

毒々しい花が咲くように、潰れた毛先から、暗い鼠色(ねずみいろ)がじわりと拡がっていく。


ショウは喉を焼くような息を吐き、戦乙女に向かって叫んだ。


「……人を、守れっ!」


空気を震わせた声とともに、戦乙女が舞い上がる。

周囲で倒れていた警察官たちを抱え上げ、一陣の風のように宙を駆ける。


まだ何も起きていないはずの空間に、静かな緊迫が走った。


同時に、ねずみ男が勝ち誇ったように(わら)う。

湿った地下に、その悪意が高らかに染み渡る。


「これが俺ちゃんの“鼠つぶし”よ」


滲んだ色が波紋を描き、筆の先から、()()の波が溢れ出す。


鼠――(おびただ)しい数の蠢動(しゅんどう)が、津波のように地下通路を呑みこんでいく。

ショウの身体も、瞬く間に奔流(ほんりゅう)に呑まれた。


暴食の鼠に(さら)われながらも、その目は、一点を鋭く捉え続ける。

落画鬼(らくがき)の腕に抱かれ、密かに退路を切り拓く狐鼠(きつねねず)の姿――


「……逃がさねえ……」


重力ごと逆らうように、意志だけが腕を持ち上げた。

Gペンを虚空に走らせる。


四色の(ぬさ)が風を裂いて舞った。

そのうち、青が疾風(しっぷう)の如く狐鼠たちを追っていく。


それを見届けた瞬間、視界が鼠色に染まり、全身から力が抜けていった。



◆◆◆


地下通路から遥か上空。

赤と黄の輝きが交錯し、夜空を鋭く裂いていた。


「あら大変だわ」


優雅な佇まいの女――流麗な黄の燐光(りんこう)を纏う隠密行動戦闘服(ステルス・ギア)は、一番星すら霞ませるほど。

通信網に耳を澄ませつつ、赤色の男に話しかけた。


「青ウサギの坊やの言う通り、ネズミ駆除はわたくしたちに押し付けられそうよ」


燃えるような赤の電子光を纏う男は、空を見下ろすなり、豪快に笑った。


「よし、じゃあ燃やすか!」


その一言が、夜空に弾けた。


「まあ猩々緋(しょうじょうひ)さんったら。フットワークがまるで天災ね」


女は美しい所作で、くすっと笑う。


「元より、予測されていたこと。俺の役目だからな。

君は地下通路に向かわなくていいのか、女郎花(おみなえし)


猩々緋は、地下通路の方角を一瞥し、軽く(あご)をしゃくった。


「君の弟子(アシスタント)が安否不明なのだろう? ……片喰(かたばみ)と言ったか」


「ふふ。なんて素敵な提案なのかしら」


女郎花は透き通るような笑顔を浮かべる。

だが、微笑の奥に、針のような硬さが覗いていた。


「でも忘れてはいけないわ。わたくしたちはあくまで絵師。

神だ嵐だと()(はや)されているけれど――できることは案外少ないもの。

正義の味方と錯覚して、(おご)ってはいけないの」


殊勝(しゅしょう)な心掛けだな!」


「わたくしだって心を痛めてはいるのよ」


女郎花は、眼下に目を落とす。

鼠色が、一色に()られた版画のように街を塗り潰していく。

あちこちから反響する、悲鳴や緊急車両のサイレン。

女郎花はそっと眉をひそめる。


「ただね、“鼠つぶし”……鼠の大量発生は、国が転覆(てんぷく)するときの不吉な前触れ。

優先順位を見誤ってはいけないわ」


女郎花の指が、無意識にガラスペンを強く握る。


「だから――気持ちには、そっと鍵をかけておくの」


それが黄色(うそつき)らしい美しさの秘訣、とでもいうように。


猩々緋は、それ以上何も問わない。

代わりに満足げな笑みを浮かべ、ひと言短く告げた。


「そうか!」


猩々緋は、威風堂々(いふうどうどう)と大筆を振りかぶる。

筆は意志に応え、宙を裂くような巨体へと伸張する。

勢いよく振り抜いた筆先が、燃える軌跡(きせき)を空に走らせた。


昼のような明るさが鋼色(はがねいろ)の宵を溶かしていく。


「ならば、まずは“当てなしぼかし”で周辺の鼠を一掃する!」


轟く閃光が鼠の奔流を焼き払い、嵐にも似た爆風が都市の鼓動を揺らす。

まさに天災。抑えも躊躇いもない、烈火の一撃。


照り返す紅蓮の揺らめきが、彼の隠密行動戦闘服(ステルス・ギア)に“猿”の影を刻む。


「あらあら、お手柔らかに」


女郎花は微笑を(たた)えたまま口元を軽く抑えると、天を(いさ)めんばかりの雷鳴を描いた。

その光をガラスペンで反射させながら、紅蓮の軌道を優美に制御していく。


「取り戻そう、自由な夜を!」


赤と黄に輝く光は、それぞれ鼠の奔流めがけて、宵闇(よいやみ)に散った。

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