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RGB:僕と浮世離れの戯画絵筆 ~緑色のアウトサイダー・アート~  作者: 雪染衛門
第八章 赤恥をかくのはごめんだ

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79. 既視感

「……せっかく、助かったのに……なん、で……」


百里香(ゆりか)は、退紅(あらぞめ)から影のように広がる死の色に、目を離せなかった。

いや、離せないというより、焦点が合わない。見ているのに、何も見えていない。

ぼうっとしたまま、時間だけが過ぎていく。


片喰(かたばみ)が最後の力を振り絞った意味は――


青ウサギも間に合って、形勢は逆転しかけていたのに。


(バグ)”は、どうするのよ――


(……なんで死んだ? なんで、死んじゃったのよ……)


いくつもの問いが脳裏に渦を巻き、思考の端からじりじりと焼け(ただ)れるように歪んでいく。


「死なれちゃったら……私、ネットで叩かれまくるじゃない……」


人として最低だとわかってる。

それでも止まらない。やるせなさが、怒りとも悲しみともつかない熱に変わり、胸を呑み込んでいく。


呑まれきる直前――頬を撫でる風が百里香を打った。

羽音とともに、濁った思考が一気にかき消される。


戦乙女が、視界を切り裂くように飛翔する。

その風は、落画鬼(らくがき)たちの鈴や細工を贅沢にあしらった髪飾りをも揺らす。

(あで)やかな笑みを(たた)えた三体の遊女――その姿は、“尾もいらん”ほどの美貌を誇っていた。


(たばか)るような笑みを崩さぬまま、三体が一斉に戦乙女へ飛びかかる。


(こんな時、こんな風に思うのは……間違ってるかもしれないけど)


百里香の身体が小刻みに震える。

恐ろしいはずなのに、美しくて目が離せない――こんな光景、いままで見たことがなかった。


絵空事に惹き込まれていく自分が怖い――目を見張った、その瞬間。


一体目が舞うように振袖を(ひるがえ)す。

無数の(かんざし)が光を弾くように飛び交った。


戦乙女は青い風を巻き起こし、簪を弾く。金属音が跳ねる。


間髪入れず、二体目の落画鬼の帯がうねった。

(たわ)むようにしなりながら、戦乙女の肢体(したい)を裂かんと鋭利な風切り音を立てる。


戦乙女は、雌雄(しゆう)二振りの宝剣を交え――その一撃を流す。

刃先が帯を(はし)るたび、摩擦がきらめき、火花が細く軌跡を描く。


「……綺麗」


色と光が交錯する光景に、百里香は我慢できず、場にそぐわぬ言葉を漏らした。

自分でもおかしいとわかってる。それでも――現実逃避しなければ、もう保てそうにない。


(それとも……本当はもうとっくに壊れてる……?)


百里香の心を見透かすかのように、三体目がくすくすと(わら)いながら煙管(きせる)を咥える。

その鮮やかな紅を引いた唇から、はだけた白い肩まで――

すべてが、緩やかな輪舞(ロンド)を描くように、美しく流れていた。


そのまま死を(いざな)うように、ゆっくりと、息を吸い込む。


「……っ!」


百里香の喉がひゅっと鳴った。


()(りん)()(りん)

蝶が舞うように(まと)紫紺(しこん)の炎。


戦乙女を呑み込もうと吐き出された――その刹那。


空気がねじれ、何かが走る気配がした。


けたたましい鳴き声が閃く。

理想的ではあるが現実味のない四肢(しし)を持つ猟犬たちが、滑るように戦乙女の前へと躍り出る。


肉の焦げる匂いはない。(あぶら)が焼ける音もない。


それは、“生き物”を模しただけの、消費されるだけの命――(A)(I)仕掛けの浮夜絵(うきよえ)


燃えながら、ただの構成図のように、淡く分解されていった。


戦乙女は、静かに燃え朽ちていく猟犬たちを見つめている。

その仮面の奥に、慈愛(じあい)の色が(にじ)む――百里香には、そんな風に映った。


戦乙女はすぐに口を結び、剣を構え直す。


落画鬼たちは連携しつつ、少しずつ狐鼠(きつねねず)のもとへ近づいていく。


戦乙女は、阻まんと応戦するも、多勢(たぜい)に無勢。

分身ゆえか、三体の連携には隙もない。


このままでは、いずれ突破されるのは明白――百里香は周囲を見回した。


青ウサギは、いっしょに躍り込んできた騎士風のコスプレ男と、見すぼらしい出っ歯男のうち――後者の動きから目を離せないようだった。


百里香はさらに視線を巡らせる。


(――あの子は……)


無機質で無垢な、人間をなぞるだけの被造物(ひぞうぶつ)


退紅(あらぞめ)亡骸(なきがら)を、触れるでもなく、かといって無視するわけでもなく、ただ静かに見下ろしていた。


恐れ、迷い、哀しみ――あるはずのない色を、その姿から感じ取れた気がするのは、人間のエゴだろうか。いや……。


「……あんた、大丈夫?」


百里香が声をかけると、AI術士の側頭部に淡い光が走る。まだ動けるようだ。


「はやく逃げたほうがいいんじゃない?」


加勢しろとは言えなかった。

退紅の言葉通りならば、このAI術士はいずれ分解・再構築される運命にある。


それどころか、あの状況では、青ウサギの目には“暴走したヒューマノイド”にしか映らなかっただろう――

この場に留まれば、処分されるのは時間の問題かもしれない。


「任務は継続中です。私は警視庁刑事部所属の人工知能・浮夜絵師(うきよえし)。任務放棄の選択肢は存在しません」


「そんなこと言ってる場合?

さっきの約束、果たせなくなるって理解できないの?」


「警告:この状況下での任務中断は非推奨。最適解の検索を継続」


AI術士がゆっくりと百里香を見やる。

冷たいはずの横顔に、一瞬、慈愛の光が、ふと――重なった気がした。


百里香のなかで(くすぶ)っていた“既視感”が、まばゆい一条(いちじょう)となって突き抜ける。


(……ああ、そっか)


点として散らばっていた像が浮かび上がっていく。


(似てるんだ……。

青ウサギの英雄画(ヒーローイメージ)と、AI術士の面影が)


気のせいなんかじゃない――でも、なぜ……?


考えかけた思考を、汚い嗤い声が吹き飛ばす。

時折、洩れ出る空気の音から、歯並びの悪さが容易に想像できた。

思わず、目が吸い寄せられる。


「ようやっと本領発揮よぉ」


青ウサギを振り切った――見すぼらしい出っ歯男。

赤いライトから、“筆”を取り出し、高く掲げていた。

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