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RGB:僕と浮世離れの戯画絵筆 ~緑色のアウトサイダー・アート~  作者: 雪染衛門
第八章 赤恥をかくのはごめんだ

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70. “余白”

ショウは薄暗い地下通路を見渡した。

破壊された橙色の照明が、不気味に明滅している。

(ねずみ)がちょこまかと足元を横切るたび、乾いた音が笑い声のように響く。


ここで間違いない。

ライブ配信の影響か、地上ではパトカーのサイレンが鳴り響いている。

だが、誰の姿もない。あるのは自分の足音だけ。

配信で見たグラフィティも、ここにはない。


接触不良の照明と鼠以外、動くものは何もなかった。


照明すら整備されないほど危険とみなされ、人の目が届かないこの場所。

落書き犯(スクリブラー)が好んで寄り付くはずなのに、タグひとつないのは却って不自然だった。


「……“余白”、か」


ショウは腰のホルスターからGペンを取り出し、咥えようとする。


《ショウくん忘れちゃったの!?

『町絵師のお手伝いしてたら、たまたま落書き犯(スクリブラー)にエンカしちゃった作戦』よっ!?》


首元の通信機から、勿忘草(わすれなぐさ)の悲鳴じみた声が響く。


《お手伝いも何もそこ、落書き(タギング)ひとつないでしょ!》


「言ってる場合かよ」


ショウはわかっていた。


人感センサーを搭載するAI術士。その網をかいくぐる落書き犯(スクリブラー)

他人のグラフィティを修復し、落画鬼(らくがき)を憑依させるという異常な行動。


地下空間そのものを掌握し、“英雄画風(ヒーローエリア)”と同等の“余白”を創り出している――


“余白”は、落画鬼が最も活性化する場所だ。

教科書の端に描かれた落書きのように、現実から切り離された空白。

そこには計画も筋書きもなく、何が起こるかは未知数。


即興で描き込まれる“余白”ほど、恐れられるものはない。にも拘わらず――


「外部にバレねえよう、落画鬼の異能で隠してやがる」


そう言いながら、ショウの胸に違和感が残った。

なぜ今回はそこまでする?


だが、考える間もなく、勿忘草が割り込んできた。


《今回の落画鬼に対抗できる“適任者”が無力化された!

なら、俺が代わりに頑張っちゃうぞ~ばちこーん☆彡って思ってるでしょ?》


イラっとするほどウィンクをキメた表情が想像できる。

この状況でどういう神経(メンタル)してるのか。


《気持ちはわかるけど、いくらショウくんでも限度(リミット)があるよ》


Gペンを持つ手に力を込めるショウを見透かすように、勿忘草の声が諭す。


《浮夜絵師は、自分の身を削って絵を描く。

浮夜絵は、血と汗と涙、あと(へき)(小声)の結晶ってこと!》


雑味混じりの言葉に、ショウは眉をひそめたが、突っ込む余裕はない。


《だから英雄画(ヒーローイメージ)クラスの浮夜絵をぽんぽん描いてたら、身がもたない。ぶっ倒れちゃうよ!?》


唐突に途切れるサイレン。

静寂に包まれた地下通路に、ショウの声が響いた。


「危険に晒されるのは承知の上だ」


《なら残酷な光景を……望まない結果を目にする覚悟も持ってほしい》


いつぞやの夜に言われた言葉を、再び口にする勿忘草。


「俺たちがいますべきことは、これ以上、落画鬼の犠牲者を増やさないことだって、言ったのはあんただろ」


いつも冷淡に聞き流すショウだが、向けられた言葉は覚えている。


《“適任者”が失敗した時点で、無策でキミを突っ込ませるわけにはいかないよ》


「……構想はある。俺なら、やれる」


確かに、彼にはひとりでやれる力がある。

ただ、命を計算に入れないからこそ強い。

だからこそ、勿忘草は若すぎる浮夜絵師の“目付役(おもり)”になった。


《私には、一か八かで前途ある若者を特攻させる趣味はないのよねー》


ショウの感情は表に出ない。


しかし、ショウの内に渦巻く力が、不発のまま毛を逆立たせる。

それを察した勿忘草が、すかさず釘を刺す。


《ダメ、絶対。お沙汰があるまで、待機ったら待機~》


ショウは大きく息を吐き、ホルスターに右手を戻す。


《それにショウくんも気付いてるよね?

目くらましなら落画鬼の“憑依”だけで十分なのに、なんで今回はグラフィティまでカモってるんだろうって》


これまでの事件では、ポルノ・グラフィティは該当者(キズモノ)以外が見ても影響はなかった。

なのに今回は、なぜか誰の目にも触れないよう隠されている。


「配信で場所特定が早まった分の時間稼ぎ……いや、無駄だな」


落書き犯(スクリブラー)が配信されても動じないのは、落画鬼の異能に絶対の自信があるからだ。

隠すことに労力を割くなら、さっさと逃げるほうが合理的なはず。


隠す(カモ)、ねえ……》


勿忘草のトーンが下がる。

通信機越しなのに、声だけで胸が焼けるようにひりつく。

ただならぬ空気を感じ、ショウはなぜか親近感を覚えた。


《やだ、私ってば。鬼の形相浮かべちゃってた?》


「知るかよ」


戦闘服(ギア)には、ホログラフィックの映像通信もあるが、わざわざ顔を突き合わせるのはハイテクの無駄遣いだ。

そこまでしなくても、表情筋の動きからコンディションまで伝わってくる。


「心当たりでもあるのか?」


《ちょっとね。なーんか、ほかに悪さしてるのがいるんじゃないかな~って》


鼠が鳴く。ショウは視線を走らせたが、人の気配はない。


「どういうことだ、勿忘草(わすれなぐさ)


《……あ、でもまだ確信はないよ!? それこそ、上から緊急連絡(エマジェ)でも飛んでこないと……って、着てたわ!》


「はやく出ろ」


《ショウくん、いい? 私がそっち着くまで待機だからね! 一歩でも動いたらお尻ぺんぺ――》


ショウは通信を切り、ホルスターに手をかける。


「なんだってんだよぉ。彼岸はとっくに終わったはずだろぉ」


背後から悪態が飛ぶ。ショウは反射的に動いた。

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