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RGB:僕と浮世離れの戯画絵筆 ~緑色のアウトサイダー・アート~  作者: 雪染衛門
第七章 この世から青色が消えたなら

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68. 人を呪わば穴二つ

(……嘘でしょ)


 色んな感情が一気に押し寄せる一方で、割れる音までそのまんまなのかとやけに冷静な自分もいる。砕け散った鏡はもちろん元に戻る様子もなく、ただただ百里香(ゆりか)に現実を突き付けた。


「……片喰(かたばみ)、くん……」


 目の前で()つん()いになっているそれを、かつての名で呼ぶのは気が引ける。片喰が片喰でなくなってしまったのは一目瞭然(いちもくりょうぜん)だった。


(ぜんぜん弱ってない。……いや)


 片喰に言われた通りにはできなかった。とは言え、まったく外したわけではないらしく、(くすぶ)る肩を毛づくろいするように(あご)で擦っている。後ろ足が痛むのか時折バランスを崩している。


片喰(かたばみ)くんが弱らせてくれてたから、私はまだ無事なのかも……でも……)


 地面に散った欠片の数だけ、青ざめた百里香が一斉に見つめ返してくる。


(本気で……これで終わり……?)


 本物の鏡そっくりとはいえ、浮夜絵(うきよえ)なのだ。拾い集めればもしかしたら元に戻るのではと、伸ばす指にコンパスが当たる。


「まだ助かると思ってる? やっぱ能天気なんじゃないの?」


 狐鼠(きつねねず)がゆっくり百里香に近づいていく。


「“人を呪わば穴二つ”って言うじゃない。いい加減、諦めなよ」


 そう言ってほくそ笑む狐鼠を、百里香は拒絶するように睨み上げる。


「私は、あんたの悪事を暴く、ために……」

「オネーサン、自分の行いを正義かなんかと勘違いしてる?」


 狐鼠は瞳をギラつかせながら、百里香を見下ろす。


「考えなしに飛び込んできただけだろ、たかだか瞬間風速レベルの名声欲しさに、さ!」


 その足が、百里香の手ごと散らばった鏡を踏みつける。悲痛な叫びが地下通路を貫く。


犯罪者(オレ)のせいにすれば、オネーサンはなにをしたっていいと思ってる?」


 狐鼠が踏みしめるたび、鏡の破片が(うめ)きに似た鈍い音を立て粉々になっていく。その間に挟まれた百里香の手。引き抜くこともできず、ひたすら歯を食いしばる。


「正義と承認欲求を履き違えるなよ、クソ(アマ)


 狐鼠の口から冷たく言い放たれた言葉、より一層の力が込められる足。激痛に耐えきれなくなった百里香は、絞り出すように訴えた。


「……痛い、無理。無理無理……やめて、もう無理」


「姑息だよ。反論できない存在(モノ)をやり玉に挙げて保険をきかせながら、自分は好き放題やりたい放題だ!」


 狐鼠は声を荒げながら、百里香を蹴り飛ばした。その弾みでスマホが勝手にライブ配信を再開する。


「そうやってオレは、オレの絵は……!」


 突然の静寂に包まれる。時が止まってしまったのではないかと、百里香は思わず狐鼠を見る。


「無実の罪を着せられたんだ」


 途端、吐き出すように語る狐鼠。刹那的ではあったが、どこか遠くを見つめる彼の表情から狂気が消える。悲しく、苦しく、孤独で……不思議と同情すら覚える。


「絵のせいにすれば、そりゃ楽だよなあ。絵は口なんて利けねえからなあぁ」


 そう続ける狐鼠の目は血走り、笑みは口が裂けてしまいそうなほど歪んでいる。


「ゲームにアニメに……漫画に! 洗脳されたとでも適当に(うそぶ)けば! 精神に異常ありと判断されれば! 減刑されるヌルゲーな世の中だからなああぁ!?」


 百里香の心にずっしりとくる言葉の重み。狐鼠本来の顔つきをここまで変えた壮絶さが理解できた気がした。


「なにかのせいにしておけば、責任から逃れられると思ってる。放棄しても許されると思ってるんだ、そうだろ?」


 狐鼠の恨みつらみが紡がれるたび、コメントが潮に揺られる様々な海藻のように一斉に流れていく。


「さんざん依存して、思考も判断もぶん投げておいて、まずくなったらすべて押し付ける。自らを省みようともしない」


(……依存)


 共に放り出されたコンパスが百里香の目に留まる。無事だ。頑丈だと認識していても、手を犠牲にしてでも守りたかった。守ったところで、片喰は……。こみ上げる喪失感。(わら)にも(すが)る思いで片喰との記憶を辿ると、再び突き刺さる彼の言葉。


――「行動基準が“お母さん”になってることに」


 ずっと、母と同じにならないことにこだわってきた。母が好きなものを嫌いになり、嫌いなものを好きになった。


 母にスカートが似合うねと褒められた翌日からパンツ一択になる。母が難色を示すことほど積極的にチャレンジし、母が「やっぱり青色には敵わないわね」と笑って諦めてきたことも達成してみせた。


 百里香にとって青色は憧れであり、いつか越えるべき目標だ。そのはずだった。


(それでも、私は日に日に母さんと同じになっていく……)


 御三家色との実力差を見せつけられるたび「やっぱり敵わないなあ」と媚びへつらうフリでヘラヘラ笑い、その場を誤魔化すしかない自分。青色と比較されるプレッシャーに疲れ果てたとき、無意識に手にしているのはキャラメルマキアート。


(母さんのせい……にして、私は自分と向き合っていない……?)


――そもそも私、どうしてこんなに母さんが嫌いなんだっけ……?


 百里香のスマホ画面を流れていく大量のコメント。狐鼠の演説も虚しく「絵のせいだ」といった趣旨の感情は収まらない。


「“絵のせいだ、絵のせいだ”。そうやってオレらのせいにするのは勝手だけどさ」


 狐鼠は百里香とそのスマホに顔を近づけると、腹に力を込めた低い声で囁いた。


「でも誰のせいにしようが結局、決めてんのはお前らだろ?」


 背筋も凍るほどの憎悪によって、現実に引き戻される百里香。(せき)を切ったように激痛が走る。細かいことを考える余裕はない。無我夢中でスマホに向かった。

ここまでお読みいただきありがとうございます!


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