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RGB:僕と浮世離れの戯画絵筆 ~緑色のアウトサイダー・アート~  作者: 雪染衛門
第七章 この世から青色が消えたなら

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67. 能天気な橙色

 コンパスを手放した途端、片喰(かたばみ)(うずくま)って苦しみだす。百里香(ゆりか)は彼に近づくことも、逃げることもできない。座り込んだまま見つめることしかできない。


「……そんな。いきなり言われたって。私には……」


 震える手をそっと内ポケットへ押し込む。片喰の温もりが微かに感じられた。


「なるほどね、これがチートのからくりか」


 狐鼠(きつねねず)は、喜々としてコンパスを拾い上げる。舐めまわすように眺めては、空に向かって振り回してみる。


浮夜絵師(うきよえし)にしか反応しないってやつ?」


 見た目は、アナログ時代に出回っていた製図用コンパスと変わらない。だが、へし折ることもできない。あからさまに肩を落とす狐鼠。


「つまんな」


「……浮夜絵師」


 狐鼠が吐き出した言葉で、弾かれたように顔をあげる百里香。


「そうよ。青ウサギの浮夜絵師がもうすぐ……」


 なけなしの希望をかき集める彼女に、狐鼠はコンパスを持て余しながら、あっさりと答える。


「あー。もうきてるよ」


 百里香はすかさず周囲を見回すも、人の影すらない。訝し気な表情で視線を戻すのと、狐鼠がコンパスを(なげう)つのは同時だった。コンパスの針先端が、膝元ギリギリの地面に突き刺さる。


「オレはオニーサンと違って、嘘つかないよ?」


 狐鼠がラッカースプレーを空中に向かって噴射する。ビビットカラーの粒子が、赤いライトに照らされキラキラと輝く。その微細な光と影のなかに浮かび上がったのは、紛れもなく“青ウサギの浮夜絵師”だった。


「青ウサギさん……!」


 百里香は身を乗り出して、その名を叫ぶ。フードの陰から覗く青色特有の冷たく澄んだ瞳が、(すが)る心に突き刺さる。職場でも散々向けられてきた、人を見下すような目だ。橙色というだけでほかはなにも見ていない。百里香を見てくれていない。


 嘆きにも似た夜風の音とともに、青ウサギは百里香の横を通り過ぎていく。


「待って!」


 どこかあどけない面影を残す少年。その背を一心に見つめながら、百里香は声を張り上げる。大きな声を上げればあげるほど、小さくなっていく姿。怯えきった手を一心不乱に伸ばしてみるが、震えは増していくばかり。


 狐鼠は、愕然とする百里香をニヤニヤと見下ろしながら言った。


「見つけられなかったら、意味ないよね」


 やがて宙を舞っていた粒子が霧散すると、映し出されていた青ウサギも消える。消える。希望も消える。


(……本当、エグい……)


 地下通路に書かれたグラフィティ一帯に憑依することで、地下空間を支配した落画鬼(らくがき)“ポルノ・グラフィティ”。この“余白”においては、幻覚、分身なんでもござれといわば無敵状態に等しい。どんなに助けを呼んでも無駄だ。


(やらなきゃ……私が……やらなきゃ……)


 青ウサギに気付いてもらうには、片喰に託された和鏡で落画鬼の憑依を解くしかない。


(……わかってるのに)


 ポケットに入れた手は凍り付いたまま……。


 持ち前のバイタリティだけで生きてきた橙色は、自分にできることなんて実はそんなにないという自覚があった。でも「できない」とは言えない。


――だって、“青色”なら……。


 心に棲みつく青色への意識が、特別になりたい橙色の弱気を許さないからだ。


「無理だな。できない」


 百里香の葛藤とは逆に、軽々と諦めを口にする狐鼠。百里香の頬がピクリと動く。反発心に突き動かされた勢いで和鏡を掴む。


(……普通に本物っぽい)


 百里香が初めて触れる浮夜絵(うきよえ)に気を取られている間も、狐鼠は青ウサギが霧散した虚空を見つめている。そして、忌々しげに言った。


「あのスカした青二才(あおにさい)も地獄へ堕としてやりたいけど、オレもバカじゃない」


 達観したような諦め声に、百里香の身体がふつふつと熱を帯びていく。


「いまのオレには、あの青色は倒せない、敵わない」


「青色には、敵わない……?」


 百里香は掴んだ手に祈りに似た力を込めながら、狐鼠を睨みつける。


「イカれたあんたでさえ、そんなこと言うの?」


 皮肉めいた笑みで「()を名乗るくせに()も狩れないとか」と吐き捨てる百里香。その様子に、狐鼠は“あっ……(察し)”と閃いたように言い放った。


「オネーサンってさ、()()()な橙色?」


 百里香は頭を殴られたような衝撃を覚える。


 自分の色(オレンジ)は、好きだ。ほっと温かい気持ちになれる素敵な魂の色(ソウルカラー)だ。だから、うまくいかないことを色のせいにしたくなかった。――



――「母さんはね。本当はデザイナーに憧れていたの。都会の中心にあるおしゃれな高層ビルで、ちょっとお高いキャラマキ片手に、優雅にね」


 母は諦めた夢を語るとき、決まって「でも橙色じゃねー。やっぱり青色には敵わないわね」と笑って締め(くく)る。なぜそんな楽天的に語れるのか百里香には理解できなかった。結果的に「橙色で良かった」と母はくり返すが、そう言い聞かせているだけに決まってる。


 私は逃げた母と同じにはなりたくなかった。魂の色(ソウルカラー)のせいにして、己の可能性を潰した母と同じ“能天気な橙色”だなんて認めたくなかった。


「私は能天気なんかじゃないっ!」


 怒り任せに、和鏡を突き出す。それがどこにも爪痕を残せない百里香の夢のように、すぐに散ってしまうものだなんて、想像できるわけがなかった。

ここまでお読みいただきありがとうございます!


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