61. 六人目
「……誰か、助けて……!」
夜の帳が下りた頃。
夕暮れ時の寂寞たる色に似た照明が点在する地下通路。微かに響く悲痛な声。百里香はスマホ画面に目を落としながら、かつてない恐怖に顔を歪ませている。
助けを求めるライブ配信は、途絶えることなく拡散されていく。百里香がスマホを覗くとき、世界もまた百里香を覗いていた。
だが、絶え間なく流れるコメント群に、彼女を心から心配する者はいない。
――おい、手ブレすごww しっかり映せwww
――配信者無事? 後ろになんかいない~?w
インカメラ越しに目が合う。百里香の背後には、目が虚ろでどこか様子のおかしい男が立っている。
「動絵のせい……」
男が譫言のように呟いた瞬間、コメントの流れが加速する。
――やばいw これポルノ・グラフィティじゃね?
――絵師が無能なせいで、また人が死ぬの草。
(人が、死ぬ……?)
死。
その一言で、生命危機の解像度が一気に上がる。
百里香は、ようやく事の重大さを理解した。それまでライブ配信さえしてしまえば、浮夜絵師も警察だってすぐに駆けつけてくれると思い込んでいたからだ。
自身が死ぬ可能性など本気で想像していなかった。
(どうして、私がこんな目に……。誰かの死を願ったりした罰だっていうの?)
◆◆◆
いまから二時間前。――
「はやく新しい動画出さないと……」
今日も、太陽がビル群に突き刺さるように沈んでいく。伸びる影が濃くなるごとに、一晩で五桁に増えたチャンネル登録者数がみるみる減っていく。
それで一分一秒、絶えず時が流れていることを知る。百里香は焦っていた。
『青ウサギの浮夜絵師』
百里香はその動画をバズらせたことがきっかけで、誰もが羨むエリート街道を捨て、撮れ高に生きることに決めた。
さっそく退職金で機種変した最新スマホ片手に、意気揚々と夜の街に飛び出したのだが、浮夜絵師をまるで捉えることができていない。
それどころか“夜のひとり歩きは危険”だと、親から都知事に至るまで散々叩き込まれ、ろくすっぽ夜を知らずに暮らしてきたのに、その元凶である落画鬼一匹遭いやしない。
いつか、若気の至りと笑い飛ばすはずの夜遊び、花火大会ではじまるひと夏の恋……すべて諦めてきた十代はなんだったのか。うっかり真面目に生きすぎた。
「私は誰もやらないことを成し遂げて、青色よりすごいって世間に見せつける」
思えばこの瞬間から、百里香の魂の色である“橙色”が指し示す、より良い未来から道を踏み外しはじめていたのかもしれない。――
橙色の魂を持つ者は、明朗快活で親しみやすく、世話好きで社交性が高い。最大の魅力はチャレンジ精神が旺盛なところ。その影響か職業面では、橙色が最も得意な飲食店やサービス業をはじめ、様々な分野で満遍なく活躍する。
一見、青色と同じくオールラウンドな魂の色のように見られるのだが……。
青色と違い、落ち着きがなく我が儘、大雑把な面が徒となり、俗に“勝ち組色”と呼ばれる者たちと、いま一歩及ばない器用貧乏な色だった。
百里香は、悔しくてたまらなかった。努力を重ね続ければ、勝ち組色 ――すなわち“御三家色”とも渡り合えるはずだと信じていた。
そんななか飛び込んだ動画配信の世界。
自虐的な笑いを取ってまで名乗る必要はないし、御三家色に引け目を感じることもなく、百里香がありのままで輝ける場所だ。やっと見つけた天職を失うわけにはいかない。
百里香は、コメント履歴に目を落とす。
――これからも、浮夜絵師の密着動画うp待ってます。
お気に入りのコメントだ。誰かが百里香を必要としてくれている。結果を出せていないいまは、どこぞの一言にしがみつくしかなかった。
(期待に応えたい。目立ちたい。私はほかの橙色とは違うんだって認められたい)
西の空がゆっくりと不安な色に染まる。ふと恐ろしい言葉が口から零れた。
「人が死ぬとこ、ばったり出くわせないかな……」
いやいやさすがに駄目でしょ。これはきっとあまりにも寂しい夕陽のせい……。すぐさま罪悪感に言い聞かせる。人の死を望むなんて不謹慎にもほどがある。
……でも。
新たな犯行現場をライブ配信すれば、事件解決に貢献できる可能性は高い。
(そのために多少の犠牲はつきもので、仕方ない場合もあるんじゃないのかな)
ぐらぐら沸き立つ欲求に、正当性を言い聞かせながら、玄関の扉に手をかける。
「今夜は、もしかしたら……」
百里香が扉を開けると、それを拒むように立ちはだかるひとつの影。
「えっ、片喰くんっ!? なんでここに……!?」
「あー、えっと……」
頬を掻きながら視線を逸らす彼は、辞めた職場の後輩。新卒研修で顔を合わせた当時から、知ったかぶりで無神経、いかにも黄色を極めたような性格を見せつけられ、第一印象は最悪だった。
ただ、“職場の地縛霊”と呼ばれる百里香を聞きつけるや否や、適当な理由を付けて出社し、甲斐甲斐しく家まで送り届けるような好青年だと知る。このアポなし訪問も、突然辞めた百里香を心配し、わざわざ様子を見にきたのだろう。
クソ暑い真夏でも首元を隠すファッションを好むこと以外、どこにでもいる無害な年下男子だ。
「散歩してたらなんか偶然、先輩んちに」
「そんなわけないでしょ」
百里香の手慣れたツッコミに、片喰は即観念した様子で居直した。
「ユリカ先輩だったんすよね?」
片喰が背にする夕陽が酷く眩しく感じられる。百里香は目を細め、言葉を待つ。
「こないだ、万バズした青ウサギの動画撮影したのって……」
百里香を見透かすような真っ直ぐな視線。
――夜を待ちわびる者の表情は、どうしてこうも歪なのだろう。
片喰の明け透けな表情からそんな声が聞こえる。百里香は思わず顔を押さえた。
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