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RGB:僕と浮世離れの戯画絵筆 ~緑色のアウトサイダー・アート~  作者: 雪染衛門
第六章 蛙の子はカエル

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50. 眼鏡男子

暮れ(なず)む頃になると、落画鬼(らくがき)の出現に備えて巡回パトカーの数が増える。

ただ、都会と違って田舎では、その警戒もどこか緩い。


このド田舎では、犯罪そのものが少ない。今夜も何事もなく巡回を終えるだろう。


実際、緑光(ろくみつ)の通う中学校の校門前では、すでに一台のパトカーが所在(しょざい)なげに佇み、帰宅途中の生徒たちの視線を集めていた。


とはいえ、落画鬼が広く知られるようになってからというもの、部活動は朝練のみ。

日中は短縮授業、自宅学習はタブレット主体――夕方まで残る生徒はごくわずかだ。


「落画鬼が出たのかな」


生徒たちは緊張気味にひそひそ囁きながら、空気の色を震わせている。


緑光も、長引いた進路相談の成果がないまま、いまだ驚きの白さを放つ進路希望調査票に視線を落としていた。

だが、校門前の違和感に気づくと、自然と歩調も速くなる。


ちょうど、パンダ模様の車体の後部座席が開き、スーツ姿の男が手を振った。

その場の視線が、一斉に緑光へ注がれる。


思わず眼鏡を二度掛け直した。

人目を避けるため、わざとダサい眼鏡を掛けてはいるが、視力の低下は父の心配どおり現実になった。

厚みを増したレンズが、それを雄弁に語る。


間違いない。見覚えのある人物だ。


(確かに、近いうちに会う約束はしてたけど……なんでパトカー?)

いつもは自分の車で来るのに――


緑光は戸惑いを隠せず、苦笑いを浮かべながら頬を掻いた。すると。


「やっぱり()()、だから……?」


誰かの無遠慮な囁きに、緑光は条件反射で声を張り上げる。


「そ、そんなんじゃないからっ!」


そのまま、さわやかな笑顔の待つパトカーへと、小走りで向かった。


実葛(さねかずら)さん!」


「やあ緑光(ろくみつ)くん。この時間のグラウンドは、ずいぶん広く感じるね」


閑散とした校庭を、どこか寂しげに見つめる実葛。

目の下には、濃い隈ができていた。


「部活を頑張る君の姿を、いつか見られたらと思っているんだがね」


落画鬼の影が、それを許さない――

(はかな)げな微笑みの奥に、疲労がにじむ。


それでもスーツをきっちりと着こなした姿からは、背筋が伸びるような警察官としての矜持(きょうじ)と、大人の清潔な香りが感じられた。


「今日はどうして、パトカーで……?」


緑光は、周囲の目を気にしながらそっと耳打ちする。


「ああ、すまない。少々目立ってしまったかな」


実葛は申し訳なさそうに目を細め、続けた。


「ここ数日、職場に缶詰めでね。寝不足続きで自分の車も出せないから、

地域課のパトロールに便乗させてもらったんだよ」


「ズラさん、高くつくっすよー」


運転席から、巡査が手をひらひらさせながら茶々を入れる。


「……ズラ」


緑光の視線が、控えめに実葛の頭頂部へ向かった。


「そんなことないからね?」


三十代も後半ともなれば、髪の話題は実に繊細(センシティブ)らしい。

実葛は光の速さで自分の頭を両手で押さえ、疑惑の眼差しを遮断する。


洗柿(あらいがき)くん、その呼び方はふたりきりの時だけにしようか」


何がツボに入ったのか、洗柿は大爆笑。


実葛がげっそりとした笑みの奥で、本気で嫌がっているのを察した緑光は、スマホの会話履歴を掲げる。


「お、お話ってなんですかっ!?」


緑光の咄嗟(とっさ)の機転に、実葛も我に返る。

咳払いひとつ、姿勢を正してから言った。


「久しぶりに時間が取れてね。君とふたりきりで話したくなったんだ」


「この人、寝不足で使いものにならないから、追い出されたんですよ」


ワライダケでも食ったかのように笑い続ける洗柿を横目に、実葛は肩をすくめた。


ふと、緑光の背負う橙色のリュックに指が触れる。


(……相変わらず、亀のようだ)


事件のショックからだろう、緑光の成長は同年代より明らかに遅れている。

だが、時は残酷で、少年のペースに合わせることはない。


背負うものばかり増える日々――その象徴のように、リュックは年々膨らんでいく。

重たい甲羅を背負う亀の姿が、そこに重なった。


ふと目に入ったカエルの刺繍。手製だろうか。

息子の“帰り”を願う母の想いが、そこに縫い付けられていた。


どんなに“緑色”が蔑まれようと、ただ我が子として愛す人がいる――そんな証のように。


数秒、視線を落とした実葛は、そのまま静かに言った。


「もうこんな時間だ。ひとりで帰るのは危ない。話しながら家まで送ろう」


緑光は、静かに頷いた。


「ひと通り巡回したら、また迎えに来るんでー」


さっきまでのバカ笑いはどこへやら。

洗柿はエンジンをかけ、拡声器を手に取る。


「おめらもはーうぢさけぇれ。鬼めが出っから~」


電気自動車や(カーボンニ)バイオ燃料車(ュートラル)の時代に逆行するガソリン車が、排気をまき散らしながら走り去る。

そのテールランプを、実葛は黙って見送った。


緑光はそっと一歩近づくと、躊躇(ためら)いがちに口を開く。


「……あの」


“警視庁”という肩書きで、地方に馴染むのは難しい。

その気苦労から解放されたのか、髪の件か――おそらく両方。


「“君たちもすぐに家に帰りな。鬼が出るから”って意味で……」


緑光は、それが通じているとわかっていながら、あえて“通訳”のふりをして言葉を添える。

疲れの色が隠せない実葛に、緑光なりのささやかな気遣いだった。


「ああ、親切にありがとう。大丈夫。配属されてかれこれ五年だからね」


実葛は、緑光の父の失踪を受けて、この町へ出向してきた。


「最近の方言翻訳AIはすごいんだ。もう少しはやく欲しかったよ」


いまでは、年寄りレベルの強い(なま)りでなければ、聞き取れるようになった……らしい。


その笑みに、緑光はほんの少し、心を緩めた。

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