49. 恋だね
アオの一言に、またも少年は納得した様子で押し黙る。すぐ感情を剥き出しにするが、脊髄反射するだけの馬鹿ではないらしい。
(これが“乙女のたしなみ”効果、なのか……?)
結果的に、黙らせることに成功したアオはだいぶ大きな勘違いをしたまま、少年に背を向ける。
いつもソロプレイなアオが、残りの除去をついさっき出会ったばかりの他人に任せることは珍しい。これ以上、関わりたくないという理由が九割なのだが、それでもだ。不思議と、ごく自然に任せられる雰囲気が少年にはあった。
「おい」
雑に呼び止めようとする声を、アオはさっぱり無視したが、すぐに立ち止まらざるを得ない状況になる。
「テメー、マジで人間か?」
少年を目の端で捉えつつ、思わず目を細める。少年は壁に向かったままだが、その横顔は至って真剣だった。からかっているようには見えない。
「……お前、なに言ってんだ」
「オレもわかんねえわ。けどな」
直感に従い続けた結果、タメっぽい女からいよいよドン引きされている……。
さすがに目の前の少女が大きな秘密を抱えた浮夜絵師だとまでは見抜けていない。いくら勘が良いとはいえ、所詮ごく普通の少年なのだ。もう恥ずかしいを通り越して、開き直るしかない。
「さっきから、被りモンでもしてるように見えるぜ」
アオは、右手をそっと腰に回す。勿忘草にも気づかれなかったその僅かな挙動を、少年は敏感に感じ取っているようで、ほぼ無意識にアオを横目で一瞥する。
張り詰める空気。グラフィティが一掃される反響音がやけに耳に響く。
先に動いたのは少年だった。大きく息を吐き出すと一気に肩の力を抜く。
「化粧でもしてるだけか」
「お前……」
少年はあくまで引き際とやらを見極めたつもりだった。恐らく野郎が踏み込むのはマズい、女のプライバシーとかいうヤツなのだろうと。さっさと切り上げるため適当な言葉で誤魔化し、このままやり過ごすつもりだったのだが……。
「ひょっとして見えてんのか?」
少年は弾かれるように見返す。まるでわかっていない、きょとんとした顔で。
「は? テメーこそ、なに言ってんだ」
素直な切り返しに、我に返るアオ。わざわざ手の内を懇切丁寧に説明する、漫画の愚かな悪役が脳裏をよぎる。いまの自分はまさにそれだ。
「いやなんでもない」
粗暴な言動の割に人の機微に敏感な少年は、アオの微細な動揺も当然のように気付いている。少年はくだらねと一蹴するように鼻を鳴らすと、彼女ににじり寄る。
「なに必死に隠してんのか、なに目指してんのか、知らねえが」
アオは隠していたホルスターに手をかけるが、女だからって容赦しねえと開き直った少年は、躊躇うことなくその距離を詰めていく。
(……近)
アオも諦め微動だにせず、少年を受け入れる。冷めた目で取り繕うと、少年は首を傾け、下から睨め付けるようにして言い放つ。
「もし自分捨てようとしてんなら、やめとけ」
アオの緊張を余所に「女はどいつもこいつも、ないものねだりだな」と、少年は心底めんどくさそうに言葉を吐き捨てる。そして、両肩で担いだ高圧洗浄器を後ろ手に、さっさと別の場所へ移動してしまった。
(……正気かよ)
綺麗に除去された壁と共に、ひとり残されるアオ。やけに大きい心拍音をその胸で感じ取りながら、原因となった後ろ姿を静かに睨む。
「トゥンク、トゥンク……」
なぜか、恋する乙女の心が奏でる音が実際に聴こえてくる。近づいてくる……。
(正気かよ……)
アオはすっかり忘れていた。確かにここに来る途中、辺りを巡回する警察官から「あなたは、なにをされている方なの?」と職質を食らったところまでは見届けた。そのまま捕まってくれていたら、どんなに良かったことか。
生暖かな呼気が肌に感じるほど、“恋する擬態語”が耳元に迫る。
「……恋だね」
アオは無言のまま、自分史上最大源の明確な殺意を込めたペン先を、いま世界で最も胡散臭い男に向ける。
「ああもうほんとごめん。だからやめて。あとお願いだから、ペンを大切にするの忘れないで……」
このどうしようもない勿忘草に殺意を向けたまま、アオは再び少年を目で追う。
無論、そこに恋心など一切ない。漠然とした焦りにも似た感情だけであった。
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