47. フルーエントソニック
“ポルノ・グラフィティ”の一端を垣間見たことで、現場に漂っていた重苦しい空気。その流れをあっという間に変えた“異色”の少年。そんな彼を、勿忘草の目が追わないはずもなく。
「あの子、喧嘩っ早いねー。『ブチギレ炎神ずどっこ』って感じだねっ!」
「なんだそれ」
「あー。私が小学生の時にちょっとハマったゲーム」
視線はそのままに、言い難そうに頭を掻く。
「誰にも通じなくて全私が泣いたくらい、まったく売れなかったゲームだから忘れて忘れて。あ、私はもちろん神ゲーだと思ってるよ!」
最後は開き直って胸を張るが、アオの反応のなさから(まったく知らんし、興味もない)という強い意思を感じ取っていた。
「やっぱり赤色かなー?」
少年が醸し出す攻撃的な雰囲気やタンクトップの色から、紛れもなく“赤色”だと察しがつく。魂の色は振り分けられる基本六色のRGB値に近いほど、適性色診断に記された人物像に当てはまるからだ。
「さあな」
アオは、心の底から興味なさげに答える。
「えー、アオちゃんと同い年くらいの子だよ」
「どうでもいい」
デッキブラシを持ち直すと、現場に向かってさっさと歩き出す。
「ああいう第一印象最悪な子が、“後の伴侶である”って展開も結構あるのに~」
アオに続きながら、少年との勝手なカップリングトークを持ち出す勿忘草。
「おい勿忘草」
言うが早いか、突き出されたデッキブラシの先端は、身を捩った勿忘草のフードを掠める。
「ダメよ、そういう使い方! 私じゃなかったら避けられなかったからねっ!?」
「だったら、気色悪いこと言うな」
思春期の少女とは思えないほど、少しも表情を変えることなく、ただ心底迷惑そうに吐き捨てる。彼女に答えるように勿忘草が首をすくめると、アオは再び背を向け歩き出す。
だが、少しも反省する気のないこの男は、視線から解放されるとすぐにわざとらしく頬杖をつき、悪戯っぽくささめいた。
「私は、ありえると思うんだけどなー」
感情のない殺意は時に、玄人の反応をも鈍らせるもので。――
はじめは全身から冷や汗が吹き出す理由がわからなかった。考える必要もなかった。なぜなら、ペン先がすでに眼球の一ミクロン先にあったからだ。一声でも発せば確実に突き刺さる。息を殺したまま焦点距離を変えると、こちらにGペンを突き出すアオがゆっくり浮かぶ。
ご丁寧にも勿忘草と目が合うのをただ静かに待っていたかと思えば、「刺すぞ」とありったけの殺意を含んだ一言を解き放った。ところが。
今度は、アオの血の気が引く番だった。――
「アオちゃんだめだめ~。か弱い民草にペン先向けるのは御法度よ~」
瞬きひとつしてなかったというのに、気付けばペン先を失った軸の前で、大根役者のように嘆く勿忘草がいる。
いつの間にやられたのか。アオにはその瞬間がまったく見えなかった。
アオは一呼吸しながら冷静さを取り戻すと、すぐに左手を前に差し出す。同時に宙を舞っていたペン先が、ストンと彼女の掌に収まる。
「なにが、か弱い民草だ」
「大丈夫? 壊れてない!?」
白々しい声に、アオは鼻を鳴らしながら銀色に輝くペン先を軸に収める。その傷ひとつない美しい姿に勿忘草は、大袈裟に胸を撫で下ろした。
「あざとかわいい寝ボケっぷりに定評のある、寝起きの私は手加減できないんだから、気を付けてよー」
「寝言は寝て言えよ」
ギンギンに冴えた目を見て、自然と紡がれるアオのツッコミ。勿忘草の表情筋の様子から、無視されるよりはマシと自分に何度も言い聞かせているようだったが、やがて肩を落としながら注意を促す。
「そのペンは、“浮夜絵師の心臓”だってくらいの意識は持ってほしいのよね」
言ったそばから、アオはいつものようにペン回しをはじめては聞き流す。この癖は無自覚だ。あくまで自動的で(恐らく)決して悪気があるわけではない。一説によると、ペンを扱う仕草は言葉以上によく語るという。アオのそれは、精神を落ち着かせる時や、思考を整理する際に表れる。
「この間は言いそびれちゃったけど、最近、雑に扱い過ぎだからねっ!?」
精神を落ち着かせる時。それは目の前で頬を膨らませる鬱陶しい男が対象なのではない。彼女にとって、もっと心の奥底にあるものに対してである。
「もし、壊したりしたら『あんた地獄に落ちるわよ』って、なぜか私が怒られちゃうんだからね。私、地獄とか絶対に行きたくないからねっ!」
「地獄」と聞いてなにを思ったか。Gペンをまるで指の間を這う生き物のように、くるくると華麗に滑らせる。彼女の指に一番馴染む、フルーエントソニックという技である。
一連の流れを涙目で見届ける勿忘草。アオはようやく腰へGペンを隠すと、ポルノ・グラフィティをまっすぐ見据えたまま、躊躇うことなく突き進んで行く。
「本当の地獄は、人を殺したいって思っちまった瞬間だ」
そう独り言ちながら……。
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