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RGB:僕と浮世離れの戯画絵筆 ~緑色のアウトサイダー・アート~  作者: 雪染衛門
第五章 AI術士

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46. 蘇芳色

「テメーら、チルってるだけなら、さっさと失せろや」


 ひとりの少年が、ガード下の方々(ほうぼう)で怯え立ち尽くす町絵師(まちえし)を蹴散らすように悪態をついている。その勢いのまま許可なくデジタル規制線をすり抜けようとするので、その場から立ち去ろうとしていた不言(いわぬ)でさえも、大慌てで少年を呼び止めた。


「あっ新人くん! まだなかに入る許可下りてないよ!」


 元来の社交的で面倒見の良い橙色の面が咄嗟に出てしまったのだ。


 (はした)はふたりを目で追いながら、緑青(ろくしょう)に語り掛けるように呟く。


「見ねえ顔じゃね、知らんけど」

「昨日から、町絵師(ボランティア)に参加されたんですよ。まだ中学生だそうです」

「やけに詳しいんじゃね、ノリ」


 想像以上に少年の情報を持っていた緑青に驚き、思わず顔を見る。あんぐり口を開けたままの半に、緑青はニッコリ微笑むと丁寧に説明する。


「私が町絵師復帰の手続きを行っていた際、居合わせたのですよ。長いことアメリカに留学されていたらしく、勝手がわからないようでしたから、私から声を……」


「へー。帰国して早々、ボランティアとは殊勝なこった。ま、N.Y.(ニューヨーク)のグラフィティ規模よか劣るだろうが、仕事は()()()()あるんじゃね、知らんけど」


 ケラケラ笑う半に緑青は「子どもの前で不謹慎ですよ、(はした)さん」と(たしな)めつつ、少年に声を掛ける。


「おはようございます、蘇芳(すおう)くん。その格好で寒くないのですか? 五月も近いとはいえ、朝はまだタンクトップ一枚では……。上着、貸しましょうか?」


「ウゼえ」


 全身全霊で、余計なお世話だと言わんばかりのオーラを放つ蘇芳少年。


「口悪ぃガキじゃね。人のこと言えんけど」


 緑青は苦笑を浮かべながら、半の耳元に口を寄せる。


「まあまあ、ここは許してあげてください。今朝も日本には1ドル・ピザ屋がないことで苛立っていたようですし……」


「は?」と、半は(はと)が豆鉄砲でも食らったような顔をして固まる。

 緑青はしみじみと頷きながら「子どもは風の子。若いって良いですねえ」と、昔を懐かしむように薄着姿へ微笑んでいた。


 当の少年は、温度差のあるふたりを後目に、不言を睨め付ける。


「おい、オッサン」


 不言は、少年を二度見する。この突然の振りが、どう考えても確実に自分に向けられていると知るや否や(なんで俺?)(いやまだ二十六だが?)と疑問やショックが一気に押し寄せ、まごついてしまう。そんな不言を少年は待たない。


「心中お察しするぜ、とでも言われてえところ生憎(あいにく)だがな」


 真っ赤なタンクトップに最新の高圧洗浄器を引っ提げた姿は、とても今日が初日の新人町絵師とは思えないほどの貫禄がある。


「オレはな。年齢がどうのこうの才能がああだこうだ、くだらねえことばっか考えてモタモタしながら、できねえ言い訳だの諦める理由を、ひたすらブーブーぶーたれてるブタが大嫌えなんだ」


 少年はどうやら、不言たち三人の会話を聴いていたようだ。研ぎ澄まされた切先の如くキレッキレな言葉は、コンマ一秒で不言の心を貫く。


「世の中ってのは、挫けた時点で誰かに先越されるし、だからってなんもしなけりゃ、なんも起こらねえんだよ」


 そのまま「歳食うと、そんなド単純(シンプル)なことも忘れちまうのかよっ」と吐き捨てながら、ポルノ・グラフィティの真正面に立つ。


 不言は、少年のあふれんばかりの熱量と気迫にただただ圧倒されるばかり。自分よりひと回り小さな背中が、なぜかとんでもなく大きく見える。


 まさか干支一周したくらいの子どもに、世の中を説かれるとは思いも寄らなかった。別になにか特別な言葉を投げかけられたわけじゃない。いつからそんな当たり前のことを忘れてしまっていたのだろう……。


 それだけに、走った衝撃は計り知れない。


「君はもしかして……」


“浮夜絵師を目指しているのかい?”と、口から出かかった言葉をそのまま飲み込む。もし肯定されたら、少年の放つ若々しい眩しさに打ちのめされることが目に見えるからだ。


 不言の心境を感じ取っていたのか、少年は背を向けたまま、静かに言い放つ。


「あとから来たのに追い越されて、惨めになるくれえなら、ウジウジしてんじゃねえよ。とっとと足掻けってんだ」


(それがもうできないから、諦めようとしてるんだ!)


 堪えた叫びが、不言の脳裏に虚しく反響する。例え声に出していたとして、どうしてできないのかと問い詰めてくる少年の姿が、容易に想像できる。その理由をいまの不言は答えられない。


――ああ。俺はまたできない理由にしがみつこうとしている。


 少年は震える不言を一瞥すると、めんどくさそうに舌打ちする。その態度から、さらにキツい言葉が飛んでくると身構えたのだが……。


「……遅すぎることはねえ。手ぇだけは止めんな」


 ぽつりと放たれた低い声。朝焼け空の色を彷彿とさせる穏やかなそれは、自分に言い聞かせているようにも聴こえた。


(遅すぎることは、ない……)


 少年の言葉は重かった。心のどこかで(こいつはまだ世間の荒波を知らない子どもだから、正論でしか殴れないんだ)と決めつけようとしていた。

 もしかしたら、少年もいままさに足掻いているのかもしれない。そんな風に思わせられる声色だった。


 ちょうど現場検証が終わったようだ。少年は、退紅(あらぞめ)巡査部長の誘導に従い、規制線のなかへ入っていく。



「ガキは容赦ねーな。大人の事情も考えねーし、怖いもの知らずっつーか。()()()()()()かよ。ちとウザ絡みしてやろーか」


 半は少年を追いかけようと一歩踏み出す。それを片手で制するのは緑青だった。


「いいじゃないですか。大人の事情を知らないいましか、できない発言でもありますよ」


 緑青は顎に片手を添えながら「それにしても」と半に向き直る。


「水戸黄門の主題歌みたいな子ですね、蘇芳くんは」

「なんそれ怖っ。俺、歌詞知らんけど……」


 ふたりは赤いタンクトップを目で追いながら、後に続く。



 場にひとり残された不言も、人知れずブラシを持つ手に力を入れた。

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