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RGB:僕と浮世離れの戯画絵筆 ~緑色のアウトサイダー・アート~  作者: 雪染衛門
第五章 AI術士

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45. 憂世の英雄

「私はね、アオちゃん」


 勿忘草(わすれなぐさ)は、フードを脱ぎながらアオに語り掛ける。しっとりとしたツーブロックの黒髪から漂う大人の艶っぽさ。そこから覗かせる爽やかな顔立ち。黙っていれば確実にモテる容貌なのは間違いない、黙っていればだが。


浮夜絵師(うきよえし)は、誰も幸せにはなれないと思ってるんだ。少なくとも、私はこれまで幸せそうな浮夜絵師を見たことがない」


 勿忘草は「もちろん、本人たちが実際どう思ってるかなんて、わからないけどね」と、補足しながら言葉を継ぐ。


「ちょっと絵を浮かせられるからって、理不尽に、不条理に色んなことを押し付けられる。損ばかりしてる」


 アオに向かって差し出された右手からは、ただただ雨水がこぼれていくばかり。それはかつての浮夜絵師たちが世のため、人のために手放し、あるいは取りこぼし、そして散らしていった“なにか”に見えた。


「私たちは、憂世(ゆうせい)の英雄なんだ」


 その雨は、涙を忘れてしまった大人に代わるように、しとしとと降り注ぐ。


「だから苦しいなら、いますぐ辞めたっていいんだよ」


「熱でもあんのか」


 アオはいつになく真っ直ぐ勿忘草を見据える。本質を見抜かんとする冷徹な瞳で。


「あんたは余計なことばっか言う奴だが、無駄口は叩かない」

「やだ。私のこと理解してくれてるっ?」


 両手で口元を隠し、わざとらしく恥ずかしがるこの道化を、アオは軽く顎を引いては見つめ続ける。その無言の圧に、やがて観念したのか肩を落とす勿忘草。


「どうだろうね。雨の日の憂鬱さは、道化(ピエロ)だってキャラ崩壊させるものじゃない?」


 力なく笑う勿忘草は、雨でずぶ濡れになっているせいか、捨てられた仔犬のように見える。アオはそんな彼を、ちょっとなに言ってるかわからないと突き放すこともできず、そっと傘を差し出す。


「諸説あるだろ」


「やっぱりキミは優しいね♡」


 勿忘草はビニール傘越しに語り掛けてくる雨音を真上から感じながら、いつも通りわざとらしく目配せする。


「風邪を引かれたら、俺の仕事に影響するからだ」


 淡々と答えるアオから、浮夜絵師を辞める気はないと強い意思が感じられる。彼女はそのまま空を見上げながら、ふっと呟いた。


「自分の幸せなんて、考えたこともない」


 雲が薄くなってきている。その明るさに目を細めながら、無意識に空の青色を探している自分に気づく。もうじき雨は止むのだろう。


「そっか」


 ビニール製の雨音が再び頭上に戻ると共に、どこか切なく物優しい声色が、短く返ってくる。その声に、アオは見上げていた顔を戻す。


 差し出されていた雨水は、いつの間にかロリポップキャンディーに変わっていた。ビロードのような複雑な色艶、光沢を放っている。明らかに身体に悪そうな見た目だ。


「私の言葉を忘れないで、アオちゃん」


 ほんの一時、アオの目に映る勿忘草がまるで別人に見え、思わず息を呑む。底意地の悪い勿忘草が清浄無垢に見えるなど、いよいよ疲れているのかもしれない。


「私たちがいますべきことはこれ以上、落画鬼(らくがき)の犠牲者を増やさないことさ」


 アオは、勿忘草の右手にあるそれを黙って受け取ると、そっと舌に乗せる。


(……不味(マズ)


 眉間に(しわ)が寄る。この味は何度口にしても、いまだ少しも慣れない。甘くないだけならまだしも、どうしたらこんな味になるのか。シンプルに不味い。


「そんなわけで、このまま町絵師ごっこ(ボランティア)だけして、はいさようならとか浮夜絵師としては納得いかないよね!」


 どういう風の吹き回しか、勿忘草の口から出た意外な言葉。本気で熱があるんじゃないのかと不安げな表情を作るアオを両手で振り払いつつ、口の端を上げる。


「私だって腐っても元浮夜絵師だよ? このまま黙って見過ごすわけにはいかないよね」


 そろそろ本気で行くと言わんばかりに、態度だけは人一倍やる気を見せる勿忘草だが、張り切ったところで彼は当然、戦う術を持たない。

 アオはやれやれとため息をつくと、口を開く。


「命令以外の行動は、御法度(ごはっと)じゃなかったのか?」


 はったりくさいのは重々承知だ。だが、委員会に忠実だと思われた勿忘草がこう言うのだ。たまには乗っかってみるのも悪くない。

 勿忘草は、そんなアオに目配せすると片手を挙げる。


「いままで上の命令に忠実だった浮夜絵師が、いったい何人いたと思う?」


 さっぱりその指を折らない勿忘草に、アオは思わず鼻を鳴らす。


「それに、私は少しも命令に背いてないよ。上からは必要に応じて、町絵師(まちえし)の穴埋めしろって言われたんだから」


「夜通し張ってもいい。そう解釈していいってことか」


「もちろんボランティア活動の延長上として、ね! 町絵師の夜間作業は禁止されてるけど、私たちそもそも町絵師じゃないしね!」


 アオは(ああ、やっぱりこいつは食えない奴だ)と、期待に輝く瞳を気取られぬよう、そっと目を閉じる。


「名付けて『町絵師のお手伝いしてたら、たまたま落書き犯(スクリブラー)遭遇(エンカ)しちゃった作戦』!」


「ダサいし、長い……」


 一瞬、見直した気持ちを返して欲しいとでも言いたげに、アオは肩をすくめる。そんな彼女を「風邪引かないようにね」の一言と、柔らかなタオルの感触が包む。


 勿忘草は再びフードを被り顔を隠すと、わざとらしくそして白々しく言い放つ。


「ショウくんにも伝えなきゃなー。期待していいかもよ♡って」


 アオは唇をきゅっと結んだ。弾みで口のなかがカランと音を立てる。ふわっと広がる不味さに耐えながら、勿忘草に物申そうとした時だった。


 町絵師三人組付近が騒がしい。どうやら新たな登場人物のお出ましのようだ。


 アオは怪訝な面持ちのまま、その声の主を見た。

ここまでお読みいただきありがとうございます!


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