41. ごく普通の人
「はいデッキブラシ」と、勿忘草はどこに隠し持っていたのか。唐突に、グラフィティ除去の道具を差し出してくる。アオは渡されるまま、素直に胸に引き寄せると、再び犯人捜しの話題に戻した。
「これだけ証拠が揃ってるのに、落書き犯はまだ特定できないのか?」
「実はもう、アタリはついてるみたいよ」
想像以上にあっさり答えが返ってくる。アオが冷静な青色でなければ、度肝を抜かれていたことだろう。
「落画鬼が絡んでる事件って、容疑者特定までは難しいことってほぼないのよね。大変なのはそこから先。逮捕に至るまでの証拠不十分なケースが多いからさ。今回は特にそう。殺人の実行犯は別で、彼らは落書き犯から直接、教唆されたわけじゃない」
現に捕まった容疑者たちは、ポルノ・グラフィティに関する供述ばかりで、その裏に潜む落書き犯について、誰も口を割らない。主犯を庇っているというより、本当に知らない様子なのだという。
「だから、元凶を逮捕するには、もう現行犯しかないんだよね」
「ほかの浮夜絵師は、この事件に全員、駆り出されてるんじゃなかったのか」
勿忘草の発言を百パーセント鵜呑みにしていたわけではないが、三日前の夜に聞いていた状況とは変わってきているようだ。それについてアオは勿忘草を咎める気は毛頭ない。一分一秒、状況は常に変化し続けるものと、理解しているからだ。
「ひょっとして、浮夜絵師は万能だと思ってない?」
アオの気持ちとは裏腹に『浮夜絵師が総力を挙げた上でこのザマかよ』と捉える勿忘草。
「想像できることならなんでもできちゃうのが、浮夜絵師なんだろ?」
己の発言がいつも通り、曲解されていると察したアオは、先刻の勿忘草の言葉を皮肉めいた口調で復唱する。
「大抵ね、大抵のことはってことね!」
勿忘草は、アオに相手されることがよほど嬉しいのか、大袈裟に慌てる素振りを見せては補足する。
「でも落画鬼の能力によっては、相手する浮夜絵師にも向き不向きがあるでしょ。画風とか、得意な浮夜絵との相性とかさ」
張り切って「ゲームでいうところの属性相性みたいな、ありがちなやつね!」と長々説明したあと、アオの顔色を伺いながら切り出した。
「いくら無敵の浮夜絵師がいたとしても、対峙する落画鬼との相性が悪ければ、意味がないし……」
「それは、無敵とは言わない」
アオは、本物の無敵を知っていると言った口振りで、素早く反論する。
勿忘草は(やっぱり、食いつくよね)と彼女を一瞥すると、すぐに胡散臭い笑みを浮かべ答えた。
「うん、そうね! 私のは極端な例え話だと思ってね!」
アオにとってセンシティブな話題だと知りつつ、ここぞとばかりに続けていく。
「実際、弱点無しの唯一無二な浮夜絵師もいたけど、それでも、その類い稀な能力を使いこなせるのは夜だけで、昼間は一般人と変わらなかったし」
「そうだな。ごく普通の人だった……」
勿忘草の思惑通り、アオは在りし日の誰かを懐古しているようだった。しかし、彼女はすぐに「とでも言えば、満足か?」と言いたげに白けた目つきを向ける。勿忘草は、その冷めた視線をかわすように両眉をクイッと上げると、話題を戻す。
「だから事件の全貌が明らかになればなるほど、適任な浮夜絵師は絞られる。それにいま日本で起こってる事件は、ひとつじゃないでしょ」
「じゃあなんで五人も殺されてる? その適任とやらは、なにしてるんだ」
僅かながら苛立ちの色を瞳に宿すアオに、どうどうどうと馬を落ち着かせるが如く、仰々しい仕草を見せる勿忘草。
そして、彼女に求められるまま素直に答えるべきか(この詳細教えたらきっと嫌な顔されるだろうなあ。無理に言う必要性はないしなあ……)と、様々な思考が脳内を駆け巡ったが、それが一周した頃には口が勝手に動いていた。
「今回、活躍してるのは……言いにくいけど、AI術士ちゃんたちらしいよ!」
全然、言いにくそうではない満面の笑みを浮かべる勿忘草の狙い通り、眉をひそめるアオ。
いまにはじまったことではないが、この男は、言葉の端々でアオの感情を揺さぶろうと仕掛けてくる。彼女の名前を間違えたのもわざとだろう。アオはこうして彼に試されていることを理解しているので、大抵のことは聞き流す。
だが、あからさまに“AI術士”の話を出されると、どうしても身体が勝手に反応してしまう。
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