40. 神隠しの正体
「だから正直、私は絵憑師の仕業ではないと思ってるんだけどねー」
勿忘草という男は、ふざけた奴ではあるが、いい加減ではない。恐らく、彼が断言する通り、絵憑師が直接関与している可能性は低いのだろう。
落画鬼が認知されたことで、“神隠し”を筆頭に、これまでの不可解な現象や未解決事件の多くは、絵憑師の仕業であったことが明らかになっている。それほど、彼らは強かで証拠を残さない。特定の難しい点が脅威であったはずだ。
それゆえに浮夜絵師や公安はともかく、町絵師程度の一般人にまで勘付かれるほどの今回のやり口。勿忘草の知る絵憑師としては、らしくないのである。
「方向性変えたのかしらねー」と眉を寄せながら、少し考える素振りも見せたが、すぐに気に入らないといった表情で、舌を出す。
「どちらにせよ、血も涙もない連中のことなんて、考えたって仕方ないよね。理解したくもないし!」
「いま知りたいのは、落画鬼をわざわざ人に憑依させる目的と、憑依される側の共通点だろ」
アオは(血も涙もないのはどっちだか)と突っ込みが浮かぶも、勿忘草が醸し出すふざけた空気には流されず、冷静に論点を主張する。
「その気になれば、落画鬼ひとつでその場にいるすべての人間に憑依できるってのに、特定の人間に絞られている。無差別に見せかけて、犯人には目的がある」
「まったくヤバいよね。浮夜絵一体、浮き世に維持するのだってしんどいし、それをさらに他人に憑依させるなんて、鼻血が出るほど大変なのに!」
勿忘草は大きく頷きながら、浮夜絵を具現化させ続けることの大変さを嘆き、アオに同調して落画鬼のチートっぷりを雑に説きはじめるのだが……。
「それに比べて落画鬼ときたら、その場にいる全員に憑依することもぜんぜん不可能じゃ……」と、話し途中で、思い直すように肩眉を上げる。
「いやでもね。落画鬼は、浮夜絵と違って基本的に言うこと聞かないから、普通はそう易々とできるものでもないからね? それこそ絵憑師レベルじゃないと」
補足しつつ、そして余計なことまで口走る。
「そもそも、浮夜絵師は“GIGA絵筆”を握っている限り、落画鬼に身体を乗っ取られる心配もないしね、いまのところ!」
ニコニコと不審なほど満面な笑みで、アオが制服に忍ばせているであろうホルスターへ視線を送る。
「だから、そのペンは肌身離さず持ってるんだよアオちゃん」
そんな忠告も、アオは完全に無視して、落書き犯の考察を続ける。
「躍動感重視の構図……。他人のグラフィティを世界観のひとつとして抱き込む工夫や、ストーリー性。プロであることは間違いないんだろう」
遠巻きで見るとそれは顕著なのだが、修復されたグラフィティたちは、その要素もスタイルもすべて異なっている。にも拘わらず、ポルノ・グラフィティを中心に、まるで最初から示し合わせた寄せ書きのように、一枚のアートとして完成していた。
「“手は口ほどにものを言う”じゃないが、ポルノ・グラフィティから感じ取れる犯人の癖を見る限り、恐らく漫画家の心得がある人物じゃないのか」
「さすがアオちゃん、鋭いね! こんなことなら被害が増えるもっと前に、現場へ連れてくるべきだったよ。ホンッッット、上は見る目ないな~」
現場に着いてから、警察や町絵師など人の動向にしか興味を示していなかった勿忘草が、ようやくグラフィティに目を向ける。わざとらしく額に片手をかざして見渡す様子は、やはりどこかふざけているようにしか見えないのだが、アオは構わず言葉を続けた。
「目付役のあんたが、俺の仕事内容を選んでたんじゃないのか?」
アオは瞳に一瞬、不満の色を滲ませる。その一瞬だけで『ガキだからって、いつもザコい落画鬼処理ばかり押し付けやがって』と、言われたような被害妄想に駆られた勿忘草は、慌てて両手を振った。
「まさか! 仕事がデキる優秀な私は、いつだって実力至上主義さ!」
隙あらば、実のない自分語りを挟むのだが、すぐに眉を八の字にする。
「アオちゃんに満足してもらえる仕事を見繕ってあげたいのは、山々だけど……」と、浮夜絵師たちを束ねる“委員会”の愚痴をこぼす。
「基本的にトップダウンだし、キミをここに連れてきたのだって、上からの命令だよー。今日は町絵師がたくさん抜けるから、必要に応じて穴埋めをしろ~ってね」
勿忘草は、アオが絵憑師と高確率で対峙する公安案件にしか興味がないことを知っている。気を利かせているつもりなのだろう。次の瞬間には、聞かれてもいないことまでペラペラと語り出す。
「実のところ、私も公安が絡んでいるかどうかは、蓋を開けてみなくちゃわからないんだよね! 公安って、どいつもこいつもムッツリだしさ!」
なにを言っても、アオは押し黙ったままなので、勿忘草はさらに言い訳めいた口調で言葉を重ねていく。
「私だって最初は、“浮夜絵師にただの雑用やらせる気、正気なの!?”って、上にちゃんと抗議したんだよ! そしたら、ポルノ・グラフィティ案件だって言われてさ。ひょっとしたら公安絡みの秘密作戦かもって深読みしちゃうじゃない?」
アオは「そうか?」とでも言いたげに訝し気な表情を浮かべるが、勿忘草はすかさず「そうなの! 高度な情報戦ってやつなのよ!」と、言葉を押し付ける。
だが、息つく間もなくしょんぼり肩を落とす。
「そう思って引き受けてみたものの、まあ結局……公安のコの字も説明なかったし、実際にそれっぽいのが潜入してる気配もないし……」
勿忘草は、存在自体がすこぶる嘘くさい奴なのだが、言ってることは本当なのだろう。事実、この現場に公安の作業班が紛れ込んでいそうな“色の気配”をアオも感じられていなかった。
「これもう本当に、ただの町絵師の仕事だよ。浮夜絵師の無駄遣いだよね! アオちゃんにおかれましては割と真面目に、申し訳なく思ってるんだからね~」
少しも申し訳なさそうでない妙な言い回しと声色で、延々と話し続ける勿忘草を後目に、アオは思考に耽る。
今回の落画鬼は、絵憑師が関与していないにせよ、間違いなく適当な落書き犯が生み出したものではないと考えている。だとすれば、絵憑師とて黙っていないのではないだろうか。組織的犯罪集団である奴らは、有能な落書き犯を取り込む活動も、水面下で行っているからだ。
それこそ、“神隠し”として……。
よって、“憑依”という高度な異能を持つ落画鬼を扱いこなす落書き犯にいずれ絵憑師は接触する可能性が高い。そう期待できるのである。
「まったくもう。上も年功序列じゃなくて、せめて魂の色に則った、適切な能力判断をしてもらいたいものだね!」
勿忘草は、密かに高鳴りはじめたアオの胸の音に気付くこともなく、いまだ暢気に委員会への不満を放ったかと思いきや「青色は、浮夜絵師としても非常に有能なのだから!」と、自画自賛するが如く胸を張る始末。
そんないつもの茶番も、いまのアオにはいつも以上に頭に入ってこない。
彼女は全身を駆け巡る鼓動を強く感じる。こんな自分でも血の通った人間だったんだな、と……。
自然と口角が上がった。勿忘草がそれに気付いたかはわからない。
アオは、すぐに真顔に戻すと、ポルノ・グラフィティの舌に書き殴られた文字を改めて注視し、独り言ちた。
「“絵のせいにするな”か……」
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