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RGB:僕と浮世離れの戯画絵筆 ~緑色のアウトサイダー・アート~  作者: 雪染衛門
第四章 ポルノ・グラフィティ

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32. 緑青色

「現場検証終わるまでは、ここらで待機してろってさ。知らんけど」


 気怠そうな声が、デジタル規制線の外側で緊張気味に待機する、ふたりの町絵師に届く。


 野次馬がひとりもいない現場は、それだけ危険な場所だということを物語っており、周辺でそれぞれ待機している町絵師たちも、己の恐怖心と必死に戦っている。そんな彼らもすでに多くが逃げ出してしまったのか、片手で収まる程度の人数しか残っていない。


 なぜなら今回殺害された被害者が、同じく町絵師だったからだ。


 その事実を知った途端、大多数の町絵師が「ボランティアで命まで取られるのは割に合わない」と意気消沈し去っていった。


 周囲の重たい空気に飲まれずに踏み止まった者も数名いたが、先ほどの常軌を逸した容疑者確保の瞬間を目の当たりにしたことで、完全に心が折れてしまったのだろう。さらにその数を減らしている。


 気怠そうな声の町絵師が、馴染みの輪に戻ったところで、待っていたうちのひとり、長身痩軀(そうく)の枯れ木を思わせる容姿の男・不言(いわぬ)が口を開いた。


「……消そうとしたからだ、ポルノ・グラフィティを……」


 現在、都内の町絵師たちは例の連続通り魔殺人事件発生を未然に防ぐため、事件に繋がる可能性のある卑猥なモチーフや、女性モデルのグラフィティを除去することに、多くの人員を割いている。


「怒らせたんだよ。だから殺されたんだ……」


 今回の被害者と共に、この場所のグラフィティ除去に参加していた不言は、声を震わせながら昨日の記憶を(さかのぼ)っていた。


「被害者の女の子、八王子から来てくれた応援組の四大生なんだ。昨日、同じグループだったからよく覚えてる」


 生前の被害者との会話を思い出しているのか、震える両手で頭を抱えながら、声を絞り出す。


「あの子、言ってたんだ。就活も終わったから卒業までの今年いっぱい、町絵師としてボランティア頑張るって。張り切ってたのに……」


 あんなに普通で元気だった子が、殺されてしまうなんて……。その事実をすぐに受け入れられるほどの殊勝な心を、不言は持ち合わせていなかった。


 そして不言と共に、並んで待機していたもうひとりの男も口を開く。


除去(バフ)が終わらないからと、危険を承知で夜遅くまで作業してしまったようですね。さぞ真面目で正義感の強い方だったのでしょう……」


 不言とは対照的に、大兵(だいひょう)肥満ながら清潔感のある佇まいのあるその男は、ブルーシートに向かって手を合わせる。その背筋の美しさ、合掌する手の角度はプロのそれだった。ハンチング帽で隠しているが、彼は剃髪(ていはつ)している。

 寺の息子として順当に出家しこの春、修行を終えたばかりであった。


 そんなふたりに埋もれてしまうくらい小柄な男・(はした)が、相変わらず気怠そうな声のまま、ふたりの会話を掻き分けるように入っていく。


「張り切んのはいいが、命まで手放したら元も子もなくね。知らんけど」


 投げやりな物言いだが、ほかのふたりがまるで気にしないのは、これまで幾度となく、町絵師として苦楽を共にしてきた付き合いの長さによるものである。当然、いちいち突っ込んでいられるほどの余裕がないせいもある。


「俺はほかの区へ応援に呼ばれたから、最後まで一緒に作業できなかった……。こんなことになるなら、途中離脱なんてするんじゃなかった……」


 不言は、ボブカットされた細長い茶髪を柳のように揺らしながら、自らを追い詰める。見開かれたままの目からは、後悔の念がひしひしと伝わってくる。


「いやせめて……俺が、あの子に一言、無理せず早く帰れって、ちゃんと声をかけてあげられていたら。死なせずに済んだんじゃ……」


――凍てつく長い夜が続く冬は、いつだって落書き犯(スクリブラー)の味方をする。

 そんな季節がようやく終わると、町絵師たちはたちまち忙しくなり、人手不足に拍車がかかる。


 こうした町絵師事情を知らないネット上では、今回の連続通り魔殺人事件は、「グラフィティ除去作業が遅い町絵師の落ち度」などと言いたい放題で、好き勝手に叩いては、町絵師たちの冷静さをさらに奪っていた。


 そんな中でのグラフィティ除去作業だ。


 一日では到底終わらない場所だと判っていても、そして町絵師の夜間作業はその危険性から禁止されていることを把握していたとしても、被害者が出る度に不特定多数から、()()()()()()()を受けるのだ。


 己もまた、限りある命を持つ人間であることを忘れて、無理をしてしまう。


不言(いわぬ)さん、それは考えても仕方のないことですよ」

緑青(のりはる)……」


 緑青は、朝の勤行を終えたその足で現場に駆け付けたのだろう。伽羅(きゃら)の香りを纏った手が、不言の震える肩に優しく添えられる。


 漂う香りを感じながら、半が口を開いた。


「ノリもマジモンの坊さんになったんだし、いまは“緑青(ろくしょう)”って呼んでやったほうがいいんじゃね、知らんけど」


 オンライン講座でも僧侶資格が取得できる、このご時世。緑青はわざわざ世間を遮断する厳しい修行で二年間、町絵師のボランティア活動から離れていた。


 そのせいか、久しぶりに再会した仲間たちは、剃髪しすっかり坊主の佇まいに仕上がった彼の呼び方に、どこか戸惑っている様子だった。


 緑青は、代々続くお寺の家系であり、なにより魂の色(ソウルカラー)的にも生まれながらにして僧侶の道が決まっていた。よって、出家してもそのまま戒名として使える名を親から与えられたと、以前話していたことをふたりの友人は、覚えていたからである。


得度(とくど)を受けましたから、いまはそちらの呼び方が正しくはありますが」


 そんな彼らに緑青は、以前と変わらない微笑みを向け、少し間を置くとゆっくり答える。


「我々の仲ですし、これまで通り()()と呼んでくださって構いませんよ、(はした)さん」


 そして仏の微笑みも束の間、緑青は再び真剣な眼差しで、規制線の中に描かれたグラフィティを一望する。


「それにしても、私が修行で俗世を断つ生活を送る間、ずいぶんと様変わりしたのですね」

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