28. 夢か現か幻か
その声は、僕も心ある人間だということを理解してくれていない……。
いよいよ話が通じないと絶望のあまり言葉を失っていると、ひどく懐かしい声が頭に浮かぶ。
“脳死してる家畜どもには、言っても無駄だ。ぶっ飛ばすしかねえ”
ついさっき塵になった誰かの言葉だった気がする。
真っ赤にギラつく太陽を彷彿とさせる、決断の早さと行動力が魅力の――。
(本当にそれでいいのかな。敵対するとはいえ、世界を大切に想う気持ちはきっと同じなのに。わかりあえる方法はほかにないの? もう傷つけ合うことしかできないのかな……)
夢の僕は、恐らくこの自問自答をずっとくり返してきていた。そして計りあぐねているうちに、次々と大切な仲間たちが失われていった。
そんな首鼠両端な自分に、奥歯を噛み締めた瞬間だった。
“お前はもう、自分に嘘をつかなくていい。なんのために俺たちがいると思ってる”
今度は、青く澄んだ大海原を思わせる果てしない才能を持つ――。
冷静な声が脳裏に浮かぶと同時に、塵が僕の肩を優しく撫でた。
ふたりの名前も顔も思い出せないのに、誰かもわからないのに、僕の心は会いたがっている。確かになにか大切なものが存在したと、概念的に伝わってくる。
尊い記憶と、失った悲しみに押し出されるように、僕は言葉に力を込めた。
「……俺が――に……」
この夢に散りばめられた謎を解くには、やはりノイズがかった僕の声を思い出す必要がある気がした。くり返し見る意味を知らなければならない。
「……俺が――になって……れば……」
何度、声に出そうとしてもやはり聴こえない。焦がれるほどの想いが紡がれているはずなのに……目が覚めると、こうして必死で思い出そうとしていたことすら、忘れてしまう。
なんだっけ……。なんだったっけ……。
焦る僕に応えるのは、錫色の鯨が哮る音。蝶が一斉に飛び立つ、泣きたくなるくらい幻想的な光景。そして、数多の絵心を刈り取ってきた大鎌の風を斬る音。
――夢はいつも、ここで終わる。
現実で眠っている僕の肉体が飛び上がるほど驚いて、刃が身体を貫く前に目が覚めてしまうからだ。
夢が終わってしまう。
目が覚めたら、僕は社会のその他大勢に戻るだけだ。
成熟しきった、豊かでありふれた世界では、いまさらどんなに努力したところで、大した成果は得られない。便利な道具に飼い慣らされ、快適な生活にただ生かされるだけのちっぽけな存在のまま、一生を終えるだろう。
そうでなくても、僕は そういう色に生まれたのだから。
だからせめて、誰にも迷惑をかけない夢のなかくらい、結末を変えてみたい。逆境を乗り越えてみせたい。夢から醒めては成せない偉業、起こせない奇跡。
この物語をハッピーエンドへ導きたい。
そんな夢を描いたっていいじゃないか。
――“絵は、その描き手のすべてを物語る”
僕はすかさずに身体を転がした。世界が百八十度回転すると同時に、振り下ろされた刃が深々と地面に刺さる音がする。
……夢が、続いてる?
「やった」と喜んだのも束の間、振り下ろされた大鎌に刺激されたのか、乾燥した地面がサラサラと砂の瀑布になって崩れ出す。
夢の身体は、為す術もなく吸い込まれはじめる。
僕は恐怖のあまり、眠っている現実の肉体を突き抜けるほどの大声を張り上げてしまった……。その弾みで閉じられていた瞼越しに、うっすらと光を感じる。
きっと「ヤバい、ああもう……またダメか」と、寝言を言ったに違いない。
――“筆の揮い方ひとつで、人の運命を大きく変えていく”
目覚める前に、今日こそは思い出さなくちゃ。
「……俺が、僕が絵――になって」
憶えてなくちゃ……。
――“……師とは、そういう生き物だよ”
「僕が――師になって、世界をっ」
僕は昔ばなしのおむすびのように、真っ暗な大穴へと吸い込まれていく。
♪ころりん、こんころりん、ころりん、ころりん、すっとんとん
急な落下感に身体がビクリと反応し、僕は今日もよくある日常へと飛び起きた。




