27. やみわだの悪夢
世界がこんな風になる前から、目に見えて悪い方へ向かっていることを、夢の僕はずっとわかっていた。地球温暖化など人為的な影響を受けた自然災害、定期的に人々を襲う大規模な疫病、少し遠い外つ国でくり返される戦争……。
その混乱に乗じて増える怒りや憎しみ、悲しみを叫ぶグラフィティ。
公共の場に野放しにされたそれらが世界に与える影響は大きかった。町も人の心も、どんどん暗く穢れていった。世界は悲鳴を上げていた。
目に見えて、終末に向かっていた……。
でも、この僕はそれを見て見ぬふりをしてきた。
だって、僕ひとりが頑張ったところでなにも変わらないと思い込んでいたから。僕よりも、もっと優れた人たちがどうにかしてくれると、現実から目を逸らし続けていたから。
そんな頑張る人たちの傍らで、僕は普通に暮らせれば、それでよかった。
でも、その普通こそ、個々の努力なしでは実現しないことを、この悪夢によって思い知らされている。
(世界がこんな結末を迎えると知っていたなら、俺は……)
静かな殺意が、足音に乗って近づいてくる。
『すべての絵師を処せ』
僕にとって、神に等しい絵師たちが、この世から消えてしまうこと自体がまさに終末だ。僕は、これまで多くの絵師たちが睡眠時間を削って具現化させてきた作品に生かされている。毎日、拝むほど眺める尊い絵がこの世から消えてしまったら、なにをよすがに明日を生きればいい?
「……俺が――に……」
僕の声はいつも肝心なところでノイズが走り、聞き取ることができない。
なんて言った? 思い出せ、もう時間がない。
『絵心ある者、すべて処せ』
殺意のこもった声。その振動を受け止めた背筋がゾクリと反応する。足音と共にピタリと止まったしめやかなBGMの余韻は、新たな戦慄のはじまりだった。
僕は咄嗟に、腹の底から声を絞り出す。
「絵師が世界の敵だって……みんなが言ったからって、軽率に排除していいわけない。……大勢が同意したからって、それが正しいとは限らないじゃないかっ」
僕を美しく幻想的に彩る蝶のせいで、僕の背を見下ろす殺意がどんな人物なのか、確認することはできない。ただ、辺り一面の黒よりもさらに暗い影が、僕の背に覆いかぶさっている気配と、重たい金属音の様子から、成人男性の身の丈ほどある大鎌を構えていることはわかる。
誰かもわからない相手に、それでも僕は対話を試みようと言葉を尽くしていた。
ひとりでもいい。わかって欲しかったんだ。
アニメ、漫画、ゲーム……。創作物が子どもひいては社会へ悪い影響を及ぼすと嘆く人もいるけど、そればかりじゃないということ。明日を生きる理由を与えてくれるキャラクターや物語があること。一枚のイラストを通して優しさや勇気を教えてくれる絵師もいることを。
しかし……。
『すべての悪は、人の想像にして創造から生まれるのだ』
この世界において、絵師たちの持つ影響力は僕が思っている以上に脅威なのか。僕がどんなに命懸けで声を引き絞っても、それは頑なで決して意見を曲げることはない。
『絵師は想像を絵にするから、人に悪影響を及ぼす。創造するから世界が壊れる』
彼らによれば、世界を壊す原因は、人間の想像による創造なのだという。
そして人間の想像のはじまりは、“絵”であること。
だから、その創造の先駆者となる絵師たちをすべて排除すれば、世界は原初の均衡を取り戻し、また元通りに春夏秋冬がめぐり巡ると信じている。
『絵は有害だ。人々の想像を掻き立て理想を抱かせる。創造を助長する。創造物はこぞって世界を破壊する』
その声は夢のせいか、男なのか女なのかも判別が難しい。複数の声が混ざっているようにも聴こえるし、実はひとりしかいないのかもしれない。
『想像は、本来在るべきありのままの姿を否定する。そして否定は混沌を生む』
絵師処刑こそ世界平和に繋がると結論付けた者たちは、その歪んだ正義に、己の思考まで委ねてしまっているのだろう。もはや個々の想像力を失い、教え込まれた言葉しか紡げない様子だった。
『よって、諸悪の根源たる絵師は死刑に値する』




