26. 胡蝶の夢
黒い死の進行は、よりたくさんの絵を描いてきた人ほど速く、名のある絵師はあっという間に肉体が綻んでいった。
夢の僕は大人になることを理由に、絵描きになる夢を諦めていたので、いまだ中途半端に肉体を維持してしまっている。
だからその分、長い後悔が続く。
どうして、子どもの頃はいつも当たり前にそばにあったものを、大人になっても変わらず好きでいると、好奇の目に晒されるのか。なんで、それらの目に屈して大切な夢を手放してしまったのか、と……。
夢を夢と自覚している僕ですら、この僕は僕じゃないとわかっていても、心はやけにリアルな悲愴感に支配される。
(落書きしてた頃に戻りたい。もう一度、やり直せたならきっと、俺は……)
胸を締め付けるような痛みが、この絵を描いていた頃はまだ、世界が平和だったことを教えてくれる。
現実の僕が最後に絵を描いたのは、まだ紙と鉛筆が一家に一式、“文房具”と呼ばれるアナログアイテムが存在していた時代のことだから、デジタルを使いこなすこの僕は、やっぱり僕じゃない。
こんな風に、定期的に夢と現実との些細な違いを確かめてないと、息が詰まってしまう。くり返し見る夢だから、展開はわかっている。頭でも客観視できているはずなのに、でも心はまるで僕自身のことみたいに、しっかり痛むからだ。
そんなに辛いなら、目を開けてしまえばいいじゃないかって話なんだけど……。
僕がこの夢を見るようになったのは、ちょうど絵を描かなくなった五年前。デジタルを使いこなすどころか、この光線すら出せそうな見た目のスマホもなかった、小学生の頃だ。
当初は、夏休みを理由に一気見した、ハイテクがばかすか飛び交うアメコミ映画シリーズの影響が夢に出たんだと思った。
けど、現代社会のデジタル化があっという間に夢に追いついたいまは、ひょっとしたら予知夢なんじゃないかって……。
だから、この恐ろしい終末を見届けようと、閉じた瞼により力を入れてしまう。いつも同じ場所からはじまって、いつも同じ中途半端な場面で終わってしまう悪夢の続きが気になって、つい足掻いてしまう。
『絵心ある者、すべて処せ』
再び、攻撃的な声が静寂を貫く。世界の崩壊は絵師の仕業だと信じた人々の、空気震わす正義の合唱だ。同時に断末魔の叫びがだんだん近づいてくる。
僕と同じく塵になりきれず、倒れ伏す人々がとどめを刺されているからだ。
この夢は、何度見ても無茶苦茶なんだけど、絵師を名乗るほどでもない、ただ一度か二度、絵描きを経験しただけの人ですら処される。慈悲の欠片もなく……。
例の一気見したアメコミ映画みたいに、“世界人口の半分がいなくなる”とか、そんな易しい次元じゃない。生き残れる人間を探し出すほうが難しいだろう。
当然、僕も殺される。追い付かれる前に、一刻もはやくここから離れなくちゃ。
そう思って立ち上がろうとしても、四肢の感覚がない。僕の手足だったものは、すでに黒い雪になって、辺りを延々とキラキラ舞い続けているのだから。
僕はもう、スマホを見つめることしかできない。
「推しに会いたいよ……」
これが漫画やゲームの世界だったなら、僕の目力に呼応した推しが、スマホから颯爽と飛び出し、世界の崩壊を食い止めてくれることだろう。
でもスマホの前では、どんなに願っても夢は夢のまま、なにも変わらない。どう祈ったところで幻は幻のまま、なにも起こらない。
推しが画面から出てこない……。
スマホからついに、光が消えた。――
「なにも、ない。もう……なにもない、本当に……」
夢の僕がすべて奪われ尽くしたと絶望するそばから、どこからともなく現れる蝶の群れ。この世のものとは思えない極彩色に輝く美しい羽をひらつかせながら、僕の目を覆い尽くす。
恐れ、悲しみ、悔しさ……。
目に浮かぶ最期の感情すら奪うつもりなのだろう。無数の口吻がハタハタと視界を突き刺すように、ありったけの涙を吸いつくす。痛みも痒みも感じない、ただただ不快感があるだけ。
僕がそれでも振り払おうとしないのは、腕がないからじゃない。
もしかしたら、僕って、本当は……。




