24. 東雲色
「織部くんには、選べる自由めっちゃあるのにさ。それを奪う権利なんて、誰にもないっしょ」
(選択の自由が……たくさん……? 僕が?)
さすがポジティブカラーの赤色と言うべきか。
どうやら東雲さんは、緑色の“特筆なし”を、それだけ自由に選べるという意味で捉えているみたいだ。
(それなら……。赤色のほうが、選択肢が限られてるって感じちゃうのかな)
東雲さんの言い分に反発するように、桃山くんがすかさず口を挟む。
「いや違えわ、ぼたん。緑色は最初から詰んでんだよ。“社不”ってこと!」
(……社会不適合者って。いくらなんでも、ひどすぎないっ!?)
東雲さんのまっすぐな怒りが、ずっと麻痺していた僕の“痛み”の感覚を、少しずつ呼び覚ましてくれる。
ただ、それ以上に――彼女の表情に、どこか引っ掛かるものを覚えていた。
輝かしい未来が約束されている赤色にも、緑色の僕には想像もつかない悩みがあるのかもしれない。
――『ロクの目に見えていることだけが、すべてじゃないんだよ』
父の言葉が、東雲さんの凛とした横顔に重なる。
その間にも、桃山くんの言葉は続いていく。
「特別なもん、なんもない緑色が、わざわざ荊の道選ぼうとしてんだぜ?
赤でも青でも黄でもねー、勝ち組色じゃねーやつを、応援とかマジ無責任じゃね?」
「なら、あたしは無責任でいい」
あまりにも自然に放たれた言葉。
その意図がつかめず、僕はぽかんと立ち尽くしてしまった。
(……え、なんて?)
「無責任だって言われたっていい。
織部くんなら、自分の力でちゃんと答え出せるって――」
彼女が振り返った途端、赤い花や果実を思わせる甘やかな香りがふわりと漂った。
その香りに乗って靡く、ハイトーンの長い髪。
内側から覗くイヤリングカラーの赤を辿った先に、満面の笑みが咲く。
「マジで信じてるし」
時が止まったみたいだ。
距離なんて何も変わっていないのに、妙に近く感じる。
「だから、あたしは応援する!」
どんな罵詈雑言よりも深く突き刺さった。
何かが、胸の奥で音を立てた。
不思議と痛くはないのに、目頭がじんと熱くなる。
頭のなかは、真っ白に塗り潰されたみたいだった。
心は、弾けるような黄色に浮き立ち――
耳はじんじん赤く染まり、指先には青い光がぴりぴり走った。
風邪かと思うほど、身体中で色がパニックを起こしているのに、なぜか心地いい。
(……なんで、こんなに……僕、どうしちゃったんだろう。なんか変だ……)
胸の奥がふわっと色づく。
その色が何色なのかわからなくて、戸惑うしかなかった。
「“緑光の緑は、ろくでなしのロク”。
そんな風に言われてるこいつに、どこにそんなポテンシャルあんだよ」
そうだよ、“信じてる”なんて、僕には眩しすぎて。
“ろくでなしのロク”ってバカにされるほうが、まだ納得できる気がする。
(だって、いままさに女の子に守られてる僕には、ぴったりのレッテルだし……)
そんな思考で意識を逸らす僕の隣で、やっぱり東雲さんは殺意にも似た正義感を燃やしていた。
「は? ぶっ飛ばすよ?」
「おおお落ち着いて、東雲さん。それこそ内申点に響くから……」
背の高い男子に囲まれても怯まず、拳を鳴らす東雲さん。
その制服の裾を、僕は指先だけで申し訳程度にそっと引く。
僕なんかが触れていいのかと不安になりながら、それでも彼女を止めたかった。
戦力外のモブ男だと自覚しているのに、この場を収める力もないくせに、勝手に心配してしまう。
けど、そんな僕の心配も、いつも通り杞憂に終わる。
東雲さんは赤色らしく、いつだってエネルギッシュでパワフル。
どこか垢抜けてて、芸能人に多い紫色と見間違われるほど可愛い――男女問わず人気者だ。
だから誰も、本気で彼女を敵に回そうなんて思わない。
“御三家色”として地位を築く“勝ち組色” に逆らうなんて、考えるだけ無駄だ。
実際、桃山くんも鼻を伸ばしながら仲直りの握手を求めてる(僕じゃないんだ)。
お転婆で向こう見ずなところはあるけれど、気づけばいつも僕の一歩先を歩いている。
それが『東雲ぼたん』という、芯のある女の子だ。
この三年間、僕がひどいイロハラを受けずに済んでいるのは、彼女がこうして守ってくれたおかげにほかならない。
いや、彼女に言わせれば、僕はもう十分、ひどい扱いを受けてるらしいけど……。
何度でも言うけど、こんな扱いに慣れてしまった僕には、何が正しいかどうかすら、まだ曖昧だ。
本当のところ、陰キャオタクの僕と、陽キャギャルの東雲さんは、普通なら関わるはずもない。
こうして守ってくれる理由が、いまだによくわからない。
この状況で僕の肩を持って、得することなんて、ひとつもないのに。
(どうしてここまで、僕を庇ってくれるんだろう?)
それは、緑光にとって中学生活最大の謎だった。
思春期ど真ん中も手伝って、異性と話すだけでもいっぱいいっぱい。
人気者の東雲と親しくなれるかなど、考えたことすらない。
友達と呼んでいいのかも、不安になる――そんな距離感だった。
“緑色だから”という理由で気にかけてくれているのは、たぶん間違いない。
でも、時折見せる意味深な表情を見るたび、それ以上の理由を考えずにはいられなかった。
ただ、緑光には問題があった。
何しろ、女の子の手を握ったことすらない彼にとって、異性という存在は難解――まさに未知との遭遇レベル。
そんな未熟な思考回路は、すぐにオーバーヒートするだけだった。
――あの頃の僕はまだ、その悲しい理由に気づくことはできなかったんだ……。
教室のドアが開き、皆は蜘蛛の子を散らすように解散していった。
僕は席に座った東雲さんの背中を、眼鏡越しに――いつものように、そっと見つめる。
(……やっぱり、東雲さんには敵わないや)
東雲さんだけじゃない。
クラスメイトたちの背中も、僕にはどうしようもなく眩しく映る。
皆は僕を、緑色の人間としか見ていないだろう。
だけど、僕は皆のいいところをちゃんと知ってる。
たとえ、どんな扱いを受けようとも。
僕は、すべてに誠実でいようと決めてる。
この不遇な“緑色”の未来を、いつか救えるように。
僕がいま前向きにできることは、緑色らしい誠実さを貫くことだって。
そして――
(僕を信じてくれる東雲さんのためにも、やっぱり緑色らしくあるべきだ)
そう信じてる。
これが、“緑色”の僕にとって、よくある日常なのだから――




