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RGB:僕と浮世離れの戯画絵筆 ~緑色のアウトサイダー・アート~  作者: 雪染衛門
第三章 ろくでなしのロク

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19. やっぱり緑色の人って

開けた窓から、もう散ったはずの桜の花びらが風に舞い込む。

そして、緑光(ろくみつ)とタブレットの間に落ちた瞬間、彼の集中力は完全に切れた。


人生の方向性を決める大事な局面。

それでも、クラスの会話が気になって仕方ない。


それもこれも、彼が浮夜絵師(うきよえし)に人一倍、強い憧れを抱いているからだ。


タブレットの花びらを掃いながらも、クラスに響く浮夜絵師への称賛の声を聞くたび、ひとり大きく頷いている。首がもげそうなほど勢いよく。

漫画でしか見たことがない、()()()()()みたいな眼鏡が、いまにも吹っ飛んでしまいそうだ。


誰が見ても挙動不審だが、クラスメイトはそんな地味な少年を、教室の隅の(ほこり)よりも気にかけていない。


ふいに、誰かの不安げな声。


「この動画、ずっとアップされたままで大丈夫なのかな……?」


緑光の動きと、沸き立つクラスが、一瞬で静寂(せいじゃく)に包まれる。


絵憑師(えつけし)とかに、青ウサギが身バレしたらヤバくない?」


“絵憑師”とは、浮夜絵師と対極にある存在で、

明確な意志のもと落画鬼(らくがき)を使役し、社会を乱すことを目的とした凶悪な落書き犯(スクリブラー)のことを指す。


それは、描く場所を傷つけるだけでなく、見る者すべてに悪意を刻み込み、絶望を植え付ける。


世界を破壊せんとする絵憑師に対し――

夜空をカンバスにし、描く場所を傷つけることなく、見る者に夢や希望を与える浮夜絵師は、似て非なる者。


その差こそが、善と悪の境目であった。


「解像度良くないから、顔バレの心配はなさそうだけど……。でも、画風で特定されちゃったりしないのかな……?」


浮夜絵師はその能力ゆえ、悪しき者たちに命を狙われることも少なくない。


神絵師(かみえし)ほどの知名度と実力があれば、素顔を明かすことで犯罪の抑止力になる場合もある。

実際、公開している猛者もいる。

しかし、基本的に素顔を晒す浮夜絵師はいない。


懸念の声は瞬く間に広がり、不安が周囲に伝染する。

やがて、感情的な声が飛び交いはじめた。


「……画風、確かに」


たったひとりを除いて――


ガタッと椅子から立ち上がる音を皮切りに、それは動き出した。


「筆圧の強弱と、線の伸びやかさに若干、区別しにくい微妙な違いはあるけど……いや、でも!

“青ウサギの浮夜絵師”を継承してるだけはあるよ」


クラスに蔓延(まんえん)する感情論をぶった切ったのは、“画風”という単語だった。


その琴線(きんせん)に触れてしまった牛乳瓶の底は、早口で読経(どっきょう)するように淡々と分析をはじめる。


伝説の青ウサギと若き青ウサギを比較し、驚くほどの一致にひとり満足げに頷く。


そして急に何を思い出したのか、はっとした表情で

「『平家物語(へいけものがたり)』にも書いてあった!」と、さらに勢いづく。


落画鬼(らくがき)を倒した弓は、あの撮影環境でも音が拾えたくらい高い弦音だったから……たぶん、むかし黒雲に変化(へんげ)した妖怪を射落とした雷上動(らいしょうどう)だと思うんだ。

やっぱり、相当な絵心と画力がなければ、あんな美しい音まで忠実に再現できないんじゃないかな……!

むしろ、それを再現できたこと自体がすごいのかも……ああ、心が躍るよ。

だって、『源平盛衰記(げんぺいせいすいき)』や『前太平記(ぜんたいへいき)』でしか想像できなかった伝説の弓の音を、実際に聴けるんだよ!? 本当、すごいや!」


教室の窓際で、悶々としていたはずの地味な眼鏡が、突然クラスの中心に現れたものだから、

皆ぎょっとした表情を浮かべたまま固まってしまう。


当の本人は、そんな一同などまったく意に介さず、誰の反応も待つ様子もなく、

牛乳瓶の底みたいなレンズを輝かせ、夢中で語り続けている。


「それに、あの“英雄画(ヒーローイメージ)”。まるで本物の戦乙女(ヴァルキリー)を間近で見た人にしか描けないような解像度……いや、目撃してるとしか思えない!

配色もその神秘を助長する、冷たい空の色と神聖さを引き出す絶妙な(さじ)加減」


「織部……? ()()()()()()()()ってなに」


「それでいて、水彩画のようなみずみずしさや柔らかい雰囲気をそのままに、

揺るぎない意志の強さが紡がれたあの独特な少女漫画のタッチは、

かの御空(みそら)あいを彷彿とさせる画風だったし、あそこまで再現度が高いのは、

御空先生のファンだからって理由じゃ片づけられない」


「おーい、聞いてっかー? ()()()()()()()()()()くーん?」


ものすごい集中力を見せつけるいまの緑光には、どう呼びかけても無駄だ。

彼の持つタブレット画面に映し出されているのは、美しいイラストの数々。


それらは、史上最強と(うた)われた伝説の浮夜絵師、“青ウサギ”の手によるもの。

彼女は漫画家としても一世を風靡(ふうび)し、『マンガを読むと馬鹿になる』という古い意識を覆した人物でもある。


その遺作が、いまここに残されていた。


緑光はタブレットに視線を落としたまま、もはや周囲に伝える気すらなく、

高速でマニアックな長文を垂れ流し続ける。誰も付いていけないほどに。


一朝一夕(いっちょういっせき)でオマージュできるような画風じゃないことを踏まえると、

もしかしたら御空先生の親族なんじゃないかな。

彼女はアシスタントをとらなかったし。

でも……待てよ?

先生の息子さんは確か“絵心が死んでいてまったく絵を描かない”って、

むかしのインタビュー記事にあった……はず……」


緑光はタブレット端末を両腕と胸との間に挟むと、

英国の名探偵のように口元の前で両手の指先をつき合わせる。

完全に思考の海にダイブしている。

考えに没頭しすぎて、体勢を固めたままピクリとも動かない。


御空藍の画風は、多くの絵師、そして浮夜絵師たちに影響を与えた。

皆こぞって彼女に憧れ、模写したほどだ。


しかし、どれだけトレース能力が高くとも、それは似ても似つかない。

御空藍にしか表現できない、唯一無二の世界だった。


だが、ここにきて、まるで彼女の生き写しのような画風を持つ浮夜絵師が現れたのだ。


それだけで――国家機密になり得る存在である。


(なんで公安は動画を削除しようとすらしなかったんだ?

一般的なデジタルタトゥーと違って、その気になればネットの無間地獄(むげんじごく)から完全に消すこともできるはずなのに。

絶対バレない自信でもあるのか? それとも、ほかに何か狙いが……)


怒涛(どとう)の論説をはじめたかと思えば、突如、静止する緑光。


彼の真剣な眼差しに、クラスメイトたちは呆気にとられたまま――

やがて、徐々に正気を取り戻していく。


「……やっぱり()()の人って、診断通り“不気味”だよね」

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