16. 通知止まんないんだけどw
ショウの姿は、夜の闇へと溶けていく。
勿忘草は、その少年の背中を小さくなるまで見つめていた。まるで、上京する子どもを見送る親のように。
少年は、先ほどの落画鬼を小物だと言いつつも、頬への一撃を許してしまった。
それは単に子どもの強がりではない。
浮夜絵師史上最年少の十四歳。
その若さでありながら、比類なき才能を持つ彼ならば、確かに今回の落画鬼は敵ではなかった。
それでも、かすり傷とはいえ血を流させてしまったのは、連日の討伐による疲労のせいだ。
本人に自覚がないのは、己の限界を測る思考すら持たない子どもだから――いや、それだけではない。
少年が否定しようと、勿忘草にはわかってしまう。
平静を装った瞳の奥で、抑えきれない情熱が燃え盛っていることを。
――自分のせいで大切な人が死んでいる。
どんなに足掻いても変えられない結末。
どれほど自分を責めても、癒えることのない痛み。
未来を踏みしめるたびにのしかかる、自分だけが生き残ってしまった罪悪感。
明るい未来など描けるはずがない。己のために生きることすら考えられない。
そして、復讐相手が生きているなら、全力で殺しに行くはずだ。
(私だってそうする。それも、めっちゃ鬼の形相で。……もし、復讐相手が生きていたらの話だけどね!)
いまの少年にとって、復讐こそが生きる原動力であり、最終目的なのだろう。
だが、それがままならない焦りと、目的に囚われるあまり自身を顧みない無謀さが、すべて戦闘スタイルに表れている。
少年はまだ気づいていない。
この先に、何が待っているのかを――かつて彼と同じ道を辿った者たちがいたことを。
本来なら、オトナを気取って「復讐なんて良くないよ」と正しく導くべきなのだろう。
そもそも浮夜絵師の力は、落画鬼による武力攻撃災害の防除や人命救助、違法塗料犯罪の抑止と捜査協力時のみ行使が認められた、国家権力の一端だ。
私的な利用は許されない。(と言っても、四六時中監視されてるわけじゃないし、浮夜絵師ってどいつもこいつもクセつよ。お偉いさんの言いつけ通り清く正しくなんて、むしろレアだけどねーw)
人命を奪うなど、いかなる理由があろうとも、御法度中の御法度。
それは、一般市民はもちろん、邪悪を極めた殺人鬼や超能力を持つ改造人間であっても変わらない。
人間である限り――浮夜絵師が、その命を奪うことは許されない。
ゆえに、正当な観点からも、止めなければならない。
そうしなければ、少年も、目付役である自分自身も、重罰は免れない。
……とはいえ、男は無駄なことが心底嫌いだった。
果たして、自分が少年の立場だったら――はいそうですかと素直に引き下がれるのか。
その程度の覚悟なら、こんな過酷な夜を選ぶこともなかったはずだ。
ましてや、子どもながら、大の大人に復讐できるほどの力を備えてしまっている。
迷いなどあるはずもない。
そんな早熟で、付け入る隙のない者を、下手に止めようとすれば――
それこそ、“世界の敵”を生み出す分岐点になりかねない。
(子育てってホント難しいよねー!)
だから、問題を知りつつも、気持ちとは裏腹な言葉が夜空に紡がれてしまう。
「明日もお仕事あるからね~!」
実際、あんな子どもをコキ使わなければ回らないほど、浮夜絵師は足りていない。
「それに、私こう見えてけっこう協力的なんだよ?」
勿忘草は、少し離れた超高層ビルの三十二階に向かい、人知れず目配せする。
「……ショウくんの“三原色”、そろそろ見つけてあげないとなあ」
手にした黒い羽根をくるくると弄ぶと、ふいに無機的な闇へと手放す。
そのまま、かつて“紅灯の巷”と呼ばれていたことすら忘れた街に消えていった。
◆◆◆
一方、いつもなら超高層オフィスビルの窓ガラスに張り付き、走り去る終電を豆粒になるまで見つめていた“職場の地縛霊”こと社畜女・百里香。
自宅への未練を募らせるのが、彼女の深夜ルーティンだった。
だが今夜は違う。
テーマパークダンサーの如く軽やかな足取りで、窓際にある上司の高級なデスクを目指す。
予測変換には出てこないが、名を『ゆりか』と読む。
一見すると見逃されそうだが、実は隠れたキラキラネームである。
いや、いっそ堂々とキラキラしていたほうが清々しかった。
彼女は、自分のとは比べものにならない座り心地の椅子に深々と沈み込む。
頬を緩ませ、先ほどの一部始終をSNSへアップロードする。
上司を(心のなかで)ぶっ飛ばしたいと思うたび、流していたお気に入りの曲。
まさかここまで青ウサギのアクションとシンクロするなんて……。
これだから音楽の力は侮れない。
興奮冷めやらぬうちに、スマホにアップロード完了の通知がポップアップする。
直後、再生回数が跳ね上がり、視聴者のコメントが殺到する。
百里香のニヤニヤが止まらない。
「言ってみたかったんだよね~」
緩んだ頬を引き締めるように咳払いし、満を持して叫ぶ。
「ちょwww 通知止まんないんだけどwwww」
無論、百里香はただ動画を回していただけだ。
それでも、人々の注目と賞賛が雨あられと降り注ぐ。
ずっと座ってみたかった上司の椅子(リモートワークで放置してるんだから、いい加減よこせと思ってた)。
その王座のような威厳に、気分はすっかり成功者。
まるで偉業を成したかのような高揚感に酔いしれる。
――これからも、浮夜絵師の密着動画うp待ってます。
そんな何気ない一言が流れた瞬間、百里香は立ち上がった。
「私も仕事なんてしている場合じゃないわ!」
幼少期から親に口酸っぱく言われ続けてきたことなど、すっかりどうでもよくなった。
この女は、明日にも辞表を提出することだろう。




