13. 必ず殺してやる
落画鬼が沈んだ路地裏にはすでに、天敵である青ウサギの少年が降り立っている。
彼の眼下には射貫かれた屍骸が、
“色があるようで色のない少し色のある名状し難い不気味な液体”へと変化していた。
少年は液体に向かって、まじないめいた仕草で消しゴムをなぞる。
すると、熱せられた鉄板にある水分のように沸々と踊り、徐々に昇華していく。
それを確認すると、少年は傷ついた頬を再びウサギフードの奥へとしまった。
「やあ！ 最近の東京は、ほんっと星がよく見えるねー！」
突然、少年の背後から響いた声。
飄々とした調子で、どこか人を食ったような話し方。
なんの気配もなく現れたのは、黒光りするローブ姿の男。
ふてぶてしい態度と、テカテカとした装いが、しぶといGを思わせる。
男は少年の反応などお構いなしに、夜空の星を数えはじめた。
「私が子どもの頃は、夜も車通りが多くてさ、排ガスひどすぎて星なんて見えなかったんだよ！」
少年は、顔見知りらしきその男を一瞥し、表情ひとつ変えずに言う。
「昔話は興味ない。消去対象、間違いないか？」
男は肩をすくめ、陽気な口調で応じる。
「うんうん、もうバッチリ！
警察の報告書と一致してるし、漏れはなさそうよ！」
「警察か。公安絡みじゃないとは思ってた」
「あ、説明不足でごめんねー。最近、鳥獣保護管理法違反と器物損壊罪で捕まった落書き犯がいたでしょ？」
男は右手を挙げ、消しゴムをかけるようなジェスチャーを交えながら続ける。
「奴がボムったグラフィティ、消し残しがあったらしくてねー！」
落画鬼は太陽を嫌い、夜の間しか行動できない。
昼間は、無許可で書かれた破壊行為の姿に潜み、人間の“負の感情”が増幅する逢魔時になると、それを糧に壁や地面から這い出してくる。
そのため、“俗筆な絵師”と呼ばれる落書き犯を早急に検挙し、昼のうちに元となるグラフィティを除去すれば、落画鬼の発生を未然に防げる。
「ほら、先月末から騒がれてる……いま一番ヤバい例の事件。あー、えっと……」
男は少年の年齢を気にしたのか、事件名を口にするのをためらう。
いまさらかよと、少年は目をぐるりと回し、淡々と口を開いた。
「……“ポルノ・グラフィティ連続通り魔殺人事件”。
今月だけで四件、犠牲者はすべて女性だ」
男は両手でL字を作ると「そうそれ！」と少年を指し、解き放たれた鳩のようにしゃべり出す。
「その事件が落画鬼の仕業だって言われるようになって、大人はみーんな駆り出されちゃっててねー。都内の町絵師さんですら総動員で、そっちの対処に必死さ！」
“町絵師”とは、地域警察と連携し、グラフィティ除去を担当する防犯ボランティア団体だ。
普段は落画鬼の発生を未然に防ぐ役割だが、今回は、“ポルノ・グラフィティ連続通り魔殺人事件”への対応に追われていた。
ただでさえ、近年では落画鬼を生み出す違法塗料が、SNSの密売によって一般にも出回るようになっている。
結果、街には爆発的にグラフィティが増え、町絵師の対処も追い付かないのが現状だ。
そんな状況に輪をかけ、一点集中を余儀なくされたことで、手薄になった場所から、新たな落画鬼の発生を許してしまう。
そのひとつが、この場に顕れた落画鬼だった。
「だからって、他のグラフィティをおざなりにされちゃ、困るけどね～」
男はやれやれと大げさに両手を広げる。
少年はすでに興味を失い、遥か彼方の夜空を見やると、ぽそりと呟いた。
「……通りで。小物だと思った」
戦った落画鬼は、手応えがなかった。
薄々とは感じていたものの、男の口から改めて公安案件ではないと聞かされ、気の遠くなるような感覚を覚える。
公安案件とは、違法塗料の流通ルート特定や、国を揺るがす組織的なテロ犯罪など、大規模な事件を指す。
町絵師や地域警察さえ付け入る隙を与えないほど周到に計画され、高度な能力を持つ凶悪な落画鬼が絡むことも多い。
ゆえに、浮夜絵師は基本的に公安警察直属に近い立ち位置で行動する。
少年には探し人がいる。
その人物は公安に関わっていれば、いずれ必ず見つけられると踏んでいる。
だから、特段なりたくもない浮夜絵師になった。
しかし、回ってくる仕事はいつも公安以外の警察案件ばかりだ。
（俺がまだガキだからか？ 実力は、そこらの浮夜絵師よりも上のはずだ。
……こんな回り道、してる暇はねえってのに）
自分に何が足りないのか、見つからないまま、人知れず奥歯を噛み締める。
――すぐに奴を見つけ出して、必ず殺してやる。
冷たい憎しみが青い炎となって彼を追い立て、生き急がせていた。
