12. (物理)だけど
青ウサギの少年は、(せっかくビルを傷つけない動きしてたのにな)とでも言いたげに、軽く肩をすぼめる。
どうやら、本人も想定外。はじめて使った技だったのだろう。
この光景を見たら、『西遊記』の如意棒は実在したといっても、誰も否定できないはず。
「“ペンは剣よりも強し”とは、言ったもんだな」
そう、少年のGペンが――巨大化したのである。
自慢の毒牙ごと磔にされ、のたうち回る蛇。
そのままぶら下がり、状況を把握できず借りてきた猫のような落画鬼。
少年は目の端でそれらを捉えつつ、片手で巨大化したペン軸に宙吊りになっていた。
そんな危うい体勢のまま、飄々と言い放つ。
「(物理)だけど」
本来の意味とは違うが、承知のうえだ。
とはいえ、もともと絵を具現化する力に、自在に形を変える最新鋭テクノロジーが加わった“文房具”。
――とは名ばかりで、実態は兵器に匹敵する代物だ。
感心せずにはいられない。もちろん、皮肉たっぷりに。
遅れて、やっと思い出したかのように怒り狂う落画鬼。
牙を粉砕され、尾も封じられ――残されたのは、虎の獰猛さを宿す冗談みたいに硬い爪。
それを惜しげもなく振りかざし、一直線に飛びかかる。
少年は微動だにしない――むしろ、誘うように見えた。
渾身の一撃が鼻先をかすめ、鋭い風が髪を散らす。
それでも、少年はまるで無風のなかにいるかのように動じない。
爪先が紙一重で届かないことも、少年は最初から計算済みだった。
誰の目にも、その姿は揺るぎない絶対者だった。
煽っていると捉えられてもおかしくない無防備さ。
落画鬼の爪がかすめるほどの間合いを保つ肝の座りよう――死の意識に無頓着な子どもの無邪気さか、それとも自身の強さに対する過信か。
身の安全など一切考えない、危険な闘い方だった。
落画鬼は攻撃が届かないとわかっていてもなお、馬鹿のひとつ覚えのように飛びかかる。
まるでブランコで遊ぶデカブツ。必死な顔つきが、なおさら滑稽だ。
「絶対殺すって感じだな」
この落画鬼には、
『浮夜絵師を見つけ次第、必ず殺せ』と、
書き手の執念が描き込まれているのだろう。
その狂気を目の当たりにし、これまで無表情だった少年が初めて鼻を鳴らした。
「猿に鳥、蛇に虎……。思いつくもんぜんぶ盛れば、俺に勝てるとでも?」
少年に煽られたように、四方八方から烏羽が襲いかかる。
しかし、街の底から逆さまに降り注ぐ、伯林青色の雨がその軌道を奪った。
片翼を失い、地上に伏していた戦乙女が、残された羽根を散らし、落画鬼の烏羽を払い落としたのだ。
「センスがない」
淡々と告げられる言葉は、もはや落画鬼ではなく、その生みの親に向けられる。
闘いはまだ終わっていないというのに、少年のこの化け物への興味はすでに尽きていた。
片手で身体をゆらし、暇を持て余す様は、鉄棒で遊ぶ年相応の子どものようで――
そもそも、世界を滅亡させるかもしれない代物ですら、ただの遊び道具のように扱われているのだ。
そんな少年の色のない瞳に、烏羽の羽柄が映る。
細く尖った先が、眼球を貫かんと迫る――
刹那、少年は腕を軸に後方へと身体を逸らす。
羽柄が寸前の空間を裂いて突き抜けた。
風を引く軌跡を残しながら、少年はペン軸の上に着地する。
まるで平地にでもいるかのように、足元を気にする素振りすらない。
片手には、赤錆色の鏑矢。そして、壊れた弓。
少年は、途切れた動作を改める。
外れた弦の先と短くなった上弭を片手で握りしめ、片足で下弭を押さえ込む。
失われた形を補うように、弦を強引に引き絞った。
ピン、と弦が鳴る。
その音に、身動きのとれない落画鬼は、さっきまでの殺意を忘れたかのように、
烏羽を一枚残らず身に集め、防御に徹する。
七層にも及ぶ、これまでで最も分厚い鎧が、少年の前に立ちはだかる。
だが、少年が無表情のまま、山鳥の美しい尾を矧いだ鏑矢を向けると、
落画鬼のもがきなど、いっそ哀れに映るだけだった。
「だからrkgk止まりなんだよ」
感情のない声色は、落画鬼を生み出した犯罪者を容赦なく批難する。
弦は引き絞られた――
耳をつんざく澄んだ弦音が、闇を裂く。
そして、浮夜絵が苦戦したものよりさらに分厚い、漆黒色の雲を一気に貫いた。
「お前の敗因は、コンセプトがブレ過ぎたことだ」
落画鬼の断末魔は、ちょうど近くを通った最終電車の走行音に虚しくかき消される。
社畜女のスマホが垂れ流す、シャウト混じりのアウトロと共に――
――浮夜絵師。
思い描いたものを具現化する、特異な絵師たちの総称。
夜空に浮かばせるように描く“浮夜絵”を使役し、人の力では到底及ばぬ落画鬼討伐を可能にする唯一の存在。
彼らは、いつしか“英雄”と呼ばれるようになった。