プロローグ
小さい頃から歌が大好きだった。新しく覚えた歌を、親戚や友達に披露するのが私の楽しみだった。幼いながらもしっかり音程をとり、声を張り上げて元気に歌う私を、みんなが凄いと褒めてくれた。歌っている時は、自分はなんでも出来るような気がした。あの頃からずっと、歌うことが私の生きがいであり、それは今も変わっていない。
けれど今、私は人前で歌うことが出来ない。そのきっかけは、小学校3年生の時。合唱祭の練習中のことだ。私はあの時自分が「変だ」ということに気づいた。最初は、音程もろくにとらず、ボソボソと恥ずかしそうに歌うクラスメイト達に違和感を覚えた。しかし直ぐに、おかしいのは私の方だと気づいた。私はいつまでも幼稚園児のように歌っていたのだ。自分が「浮いていた」ことに気づいた私は、それから酷く臆病になった。
合唱の時は口パクで歌い、人とのカラオケはなるべく行かないようにした。私自身あまり友達が多い訳では無いのでそもそもあまり誘われなかったのだが。
それでも「歌が好き」という気持ちだけは変わらなかったので、私はその情熱を発散するためにヒトカラに通うようになった。流行りの音楽、昔好きだったあの童謡、ちょっと古めの曲まで、歌いたいという衝動に駆られた音楽を歌い続けた。
そしていつの間にか、私の歌はかなり上達し、カラオケの採点では90点台後半を連発するようになっていた。私はその喜びを噛み締めると同時に、上手くなった自分の歌を誰にも聴いて貰えない虚しさも感じた。だからといって、誰かの前で歌うことはやはり出来ない。
だから、これでいいんだ、と私は自分に言い聞かせている。別に誰かに聴いてもらう必要なんてない。自分が歌うことが好きなら、歌っていて楽しいなら、それでいいじゃないかと。そしてこのまま、誰にも知られることなく、歌い続けるのだと。
私の運命を変えた「あの日」も、そう思いながらカラオケボックスへ向かったのだ。
「100年に一人の天才」と呼ばれた。
両親の英才教育を受け、幼少期を全てピアノに捧げた。その甲斐あってか、俺はあらゆるコンクールを総なめし、将来はショパン国際ピアノコンクールの優勝まで出来てしまうのではないかと、周りからは重すぎる期待をかけられた。
ピアノは好きだった。作曲者に寄り添い、共に作品を作り上げていく過程にわくわくした。けれど、どれだけ弾いても俺の心が完全に満たされることは無かった。
転機になったのは高校生の時、動画サイトでとある楽曲を聴いたことだ。その作曲者は、顔も名前も知られていない人物だった。無名の人物が、作曲し、ネットの海に放流する。俺は、「そんなのアリなのか」と衝撃を受けた。ずっとピアノ漬けでインターネットなど触れたことがなかったから、今までの常識を、根本から覆された気分だった。
いてもたってもいられなかった。俺はまずピアノ教室を辞めた。両親は一度も俺にピアノを強制したことはなかったので、俺を止めることはなかった。同じ教室の面々には全力で止められた。俺は少し申し訳無い気持ちになった。でも、俺の決意は変わらない。ピアノが嫌になった訳では無い。ただ、それよりも俺の熱意を駆り立てるモノが見つかったのだ。
まずはボーカロイドを使って一曲作ってみることにした。機械に不慣れである上、高校生で時間もあまりない為、一曲作るのに何ヶ月もかかった。投稿してみると、なんと1000回も再生された。俺は嬉しくなって、その思いを糧に次の曲を作り始めた。
大学に入学してからも曲を作り続け、合計10曲以上投稿した。再生数も3000回近くで安定するようになった。この頃にはもう、自分には作曲の才能が無いことは分かってしまっていた。俺の曲には何かが足りない。それは恐らく、本物の天才しか持ちえないものなのだろう。ピアノでは天才であっても、作曲に関しては凡人の俺に、それを埋めることは不可能だ。
でもこのままで終わりたくない。もっといいものを作りたい。悶々とした思いを抱えながら、俺は気晴らしにカラオケボックスに行ったのだった。まさかのその日が、俺の運命を変える日だとも知らずに。