3.黒ドラゴン
岩山から遠くのふもとに、村が見えました。追手をさけて、わざわざ遠回りしてきた村です。剣士はその村に向かって馬をはなし、荷物を自分でかつぐと、岩に気をつけて山を登りはじめました。
ときどき姫の手をひき、すこしずつ、すこしずつ、ゆっくりと山を登ってゆきます。夜になって、姫を休ませるために岩かげに身をかくし、眠りにつこうとしたとたん、剣士がさっと緊張して岩山を見上げました。
「なにかいる」
岩山の頂上ちかくにくろぐろとしたおおきな影がうかび、どすん、どすんとおおきな足音をたてながら姫たちがかくれている岩かげに近づいてきました。
それは恐ろしい姿をした巨大な黒い龍、黒ドラゴンでした。
コウモリのようなつめの生えた羽根を大きく広げ、黒光りするうろこをなみうたせ、長い首の先に恐ろしい牙をはやした口を開けて、姫たちの前に立ちはだかりました。ドラゴンは天に向かって大きく吠え、姫たちを見おろし、ぎらぎら光る赤い目で姫たちをにらみつけています。
剣士は身を低くかまえ、剣のつかに手をかけ、油断なくドラゴンとにらみ合っていましたが、白の姫はすっと剣士の前に立ち、いきなり黒ドラゴンに話しかけました。
「お願いします。私たちはここを通りたいだけなのです。決してご迷惑はおかけしません。どうかわたしたちを通してください」
ドラゴン相手にそんな話が通用するわけがありません。剣士はあわてて姫の腕をひっぱり、自分の後にさがらせようとしましたが、そのときドラゴンが返事をしました。
「わたしがここをさえぎるのは、この先が危険な道だからだ。人間が通れるような道ではないぞ」
それは地面をふるわせるように低い、大きな不気味な声でしたが、おもいもかけずやさしい言葉でした。姫はこのドラゴンがみんながいう人をおそうようなドラゴンとはちがうと感じました。
ドラゴンはこんどは剣士にむかって言いました。
「おまえたちはこの山をこえる自信があるのか。道はけわしい、魔物も出る。おまえはわたしを倒してでもここを通ろうとするだろうが、そこの女はだめだ。危ない目にあわせたくなかったら、女のほうはかえしてやりなさい」
姫はドラゴンの言葉にすこしおどろきました。あの黒ドラゴンが、剣士のことを自分よりも強いというのです。姫の信じたとおり、やっぱり若者は本物の剣士にまちがいありませんでした。
剣士は姫の何倍も驚いていました。今までになんどもドラゴンと戦ってきましたが、ドラゴンがこんなふうに人間と話が出来るなんて、考えたこともなかったのです。
「旅をしているのはわたしです。このかたはわたしを守っていただくためにともをお願いしているのです」
ドラゴンは姫の返事に不思議そうにたずねました。
「なぜおまえのような若い娘が、こんな危険な旅をする?」
姫は頭にかぶっていたフードを脱いで、ドラゴンに見せました。
「わたしはこの白い体を普通の色にかえられるという、西にある魔法石をさがしにいきたいのです」
ドラゴンは長い首をのばして、姫の白い顔をのぞきこみました。いまにも火を吹きそうなおそろしいドラゴンの顔を目の前にしても、姫はたじろがずにまっすぐにドラゴンのひとみを見つめました。姫とおなじ、燃えるような赤いひとみでした。
「ふうむ、おかしな話だ。わたしはこの黒い体を白に戻したいと願っているのに、おまえはその逆とはな。だが、その気持ちはわたしにもわかる」
「白い体って、まさか、ホワイトドラゴン?」
剣士が叫びました。ホワイトドラゴンとは、人々に幸福をもたらすという、伝説の白い龍のことです。そんな龍が今は黒い体の黒ドラゴンとなって人々の行く手をこの山でさえぎっている。そんな話は剣士にはとても信じられるものではありませんでした。
「わたしは遠い昔から長い間人間たちの味方をしてきたが、そのことをよく思わない魔物たちに呪いをかけられてこの姿にかえられてしまった。人々はわたしを恐ろしがるようになり、人間の里にいられなくなったわたしは、いまはこうしてせめて人間が魔物におそわれたりしないようにこの山の入り口を守っているのだ」
姫はにっこり笑ってドラゴンに言いました。
「わたしは旅のまえに呪いを解く魔法をならいました。おぼえたてでうまくいくかどうかわかりませんが、よろしければためさせてくださいませんか」
ドラゴンはしばらくじっと姫の顔をながめていましたが、その大きな頭をそっと地面において、目をつぶりました。
今なら黒ドラゴンを楽に倒せるはずです。でも、剣士はなんだか剣を抜く気になれませんでした。姫の素直な態度を見ていて、今はこのドラゴンを信じてみようという気になっていたのです。
姫はひざまずいてドラゴンの頭に手をあて、かたく目をつぶり、祈るように魔女のおばあさんから教えてもらった呪いを解く魔法をとなえました。
すると、ドラゴンの体が急に光りはじめました。
白い光がドラゴンの体をつつみ、まぶしくてなにも見えなくなりましたが、そのうちその光の中から白い翼が大きく広がりました。光がだんだん消えてゆき、姿を変えたドラゴンの体が見えてきました。天使のような羽根をもち、体はふさふさとした真っ白な毛でおおわれた、美しい龍です。それは姫が子どものころに見た、お城にかかっていた伝説のホワイトドラゴンの絵そのままの姿でした。
ドラゴンは長い首を回して体をながめ、自分の体がもとどおりになったことを知りました。剣士は目を丸くして見ていました。いままで、めんどうばかりかかる足手まといぐらいにしか思っていなかった白の姫が、魔女に教えられたばかりなのに、こんな魔法の力を持っていたなんて思っても見なかったのです。
姫も、自分でもこんなことができたことに、びっくりしてしまっています。
「いままで、ここを通ろうとした名のある魔法使いがおなじことをしたが、みんなわたしの体を元にもどすことはできなかった。それは、心のどこかで、わたしがホワイトドラゴンだということを疑っていたからだ。あなたはわたしのことを信じ、疑う心をもたなかった。だから呪いがとけたのだ」
ドラゴンのひとみにも、いっぱい涙がたまっていました。
ドラゴンはていねいに頭を下げて言いました。
「ありがとう、さっきも言ったとおりこの山には魔物がでる。せめてものお礼にあなたたちを乗せて、海辺まで飛んであげよう。さあ、乗りなさい」
姫と剣士は大きく翼を広げて地面にふせたドラゴンの背中に乗り、白いふわふわの毛に荷物を縛ってつかまりました。
「準備はいいか、さあ、飛ぶぞ」
ドラゴンはそのおおきな体をすっと立ち上げて、翼を大きく数回はばたかせました。
「うわわわっ」
ドラゴンの背中が大きくゆれて、剣士がころがりおちないようにあわててつかまりなおしたとたん、ドラゴンの体がふわりと宙に浮きました。そのまま、大きな羽根を力強くはばたかせて、ドラゴンはどんどん夜明けの空に昇ってゆきます。
姫がふりかえると、朝焼けに照らされて、あのけわしかった山や、通り抜けてきた深い緑の西の森や、そのずうっと遠くの雲にかかすんだ小さな国が見えてきました。姫は王様や、王女様が自分のことを心配しているだろうなと少し思いました。
でも、今は前を見ると、ドラゴンの頭のむこうに、山をこえて、雲をこえて、大きな草原が広がっています。お城の塔から見えていた山脈のむこう、それは姫が、まだ一度も見たことのない新しい世界でした。
ドラゴンはいまはもうまっすぐにすばらしいスピードで飛んでいて、ゆれはおさまり、ごうごうと速い風だけが二人を通り抜けてゆきます。
となりを見ると、剣士がドラゴンの毛をぎゅっとにぎって、姫がふりとばされないように姫の背中に手を回して一緒にしがみついています。姫は自分もおんなじかっこうをしているのに、そのしぐさがおかしくてくすくす笑ってしまいました。
「ドラゴンとは何度もやりあったが、ドラゴンに乗って飛んだのはこれが初めてだよ」 剣士もうれしそうに笑っていました。
「姫さんはすごいや。おれ、見直したよ」
お城を逃げるように出てきたときは、不安でいっぱいのつらい旅でしたが、このことで姫はこの旅になんだかすこし自信がでてきたような気がして、にっこり笑ってうなずきました。
次回「4.はじめての海」