1.旅立ち
むかしむかし、ある時代のある小さな国に、一人のお姫さまがいました。
姫は一度もその姿を見せたことがなく、民は誰もその姿を知りませんでした。
城から伝わってくるかすかなうわさでは、姫は体が真っ白な魔女の生まれ変わりだという話です。いつしか民は、その姫のことを「白の姫」と呼んでいました。
白の姫はいつも城の一番奥の部屋で、一人ぼっちでいました。
姫は魔女でもなんでもなく、どこにでもいるごく普通の女の子でしたが、うまれつき体が真っ白で、そのことを恥ずかしがって今まで人前に出たことがなかったのです。
そのことを心配した両親の王様と王女様は、有名な占い師をよびよせて姫を占ってもらいました。
「西の山脈を越え、海を越え、都を通り、広い広い平野を越えてどこまでも続く砂漠をわたった先の湖に、肌の色を自由に変えられるカラアの魔法石が沈んでいるという」
しかし、その西への旅は誰も行ったことのないようなよその国を何カ国も通り、恐ろしい魔物も出るところを通らなければならないとても危険な旅でした。
そんな遠くまで、本当にあるのかどうかも分からないそんな石を探しにいくことはこの国の誰にもとてもできません。
王様は話を聞いただけであきらめてしまいまいましたが、その話を聞いてから、姫は一人で城の塔に登り、塔から見える国を西から隔てた大きな山脈を眺めていることが多くなりました。
いままでお城の奥で静かに暮らしてきた姫の心に、おおきな決心がめばえていました。
そんなとき、城の召し使いたちが、こんなうわさばなしをしていました。
いまちょうどこの国に、あの魔物が出る西の岩山を一人で越えてきた旅人が、この城下によって体を休めている。
その旅人は剣士で、あちこちの国をまわって、魔物を退治して暮らしているといううわさです。
姫は顔と体を黒いフードで隠し、こっそり城下に剣士をたずねました。
「ほら、あいつがそうだよ。宿代のかわりに本物の龍の牙を出したので自由に泊まってもらってるんだけど。でも、龍を倒したなんて一言もいってないよ。その話ほんとうかねぇ」
剣士は安い宿屋で、かんたんな食事をとっていました。そまつな身なりに、これだけは不思議にぴかぴかな剣を背中に背負った、姫とあまりかわらない年の若者でした。
「剣士さま、お食事中失礼ですが、私の話を聞いてくださいませんか」
姫はていねいに若者に声をかけました。
「剣士って誰のことだい」若者はぶっきらぼうに答えました。
「海を越えたはるかかなたの西の湖に、カラアの魔法石が沈んでいると聞きました。わたしはどうしてもその石がほしいのです」
「おれの仕事は宝さがしじゃない。ほかの人にたのむんだな」
「取りにいくのはわたしです。でもわたしは一度もこの国を出たことがありません。だから旅の途中を、あなたに守っていただきたいのです」
「そんなめんどうくさい仕事はごめんだな」
「お礼はいたします。金貨を千枚用意しました。それをあなたにさしあげます」
「金のために仕事をしているわけじゃない」
そのとき、姫は初めて振り返った若者の目を見ました。勇気にあふれ、そしてとてもけだかくほこりにあふれたひとみでした。姫は一目見てこのそまつな身なりの若者が、まちがいなく本物の剣士であることを信じました。そして、お金で若者をやとおうとしたことが、剣士のほこりを傷つけたことを知りました。
「もうしわけありません、でも、またきます」
夜になって、剣士が酒場でお酒を飲んでいると、またあの黒いフードで身を覆った姫がたずねてきました。
「また、あんたか。こんな夜ふけにこんなところに、女がくるもんじゃないぜ」
剣士は振り返って、そして、おどろきました。
昼間、黒いフードをかぶって顔や姿を隠していた姫は、夜になって初めて、剣士の目の前で厚いフードを脱いで、素顔をさらしていました。
透けるように白い肌。
銀色に輝く髪。
ルビーのように透明で深い、赤いひとみ。
剣士はこんなきれいな人を見たことがありませんでした。
「白の姫だ!」 だれかが、叫びました。
「お願いします。わたしには、どうしても必要なものなのです」
剣士は姫をぼんやりと見つめながら、つい、こう言ってしまいました。
「おれの女房になってくれるなら、行ってもいいがな」
姫は驚いたように目をまばたかせ、そしてうつむいてしばらく迷いました。
酒場にいたみんなが、かたずをのんで姫の返事をまちました。
「わかりました。かならずあなたの妻になると、約束します」
剣士は自分でも自分の言ったことが、本気なのか、酔った上での冗談だったのかわかりませんでしたが、剣士として結婚の約束はもうやぶることはできません。
剣士は、しぶしぶながら、西の湖への旅を約束しました。
二人は旅の準備をするために、城下の市場にやってきました。お城をほとんど出たことのない姫には、体や魔法をなおすいろんな薬、長い旅にもくさらない食べ物、魔物に出会ったときのための武器など、剣士が買い集める冒険のためのさまざまな道具が、見るもの、聞くものすべて、初めてでした。
手慣れた様子で道具をそろえる剣士に、姫は言いました。
「わたしにも、できることはないでしょうか?」
「そうだなぁ。なんでもいいから役に立つ、魔法がつかえるようになってくれると、ありがたいんだけど」
二人は市場のはずれの、うらぶれた魔法の店をたずねました。
ここでは魔女のおばあさんがいろいろな魔法の道具を売っていて、お客によっては魔法を教えてくれることもあるのです。でも、ほとんどの人は魔力などもっていないのが普通なので、魔法を教えてもらえる人はめったいにいないのでした。
姫は魔女に言われたとおり、水晶玉に手をかざし、自分の魔力を占ってもらいました。
魔女は水晶玉をのぞきこんで言いました。
「そなたには、人を信じる純粋な心がある。信じる心は、のろわれた心をときはなつ大きな力となろう。呪いの魔法をとく呪文をそなたにさずけてあげるよ」
姫は呪文を教えてもらい、お礼をいってお金を払おうとしましたが、魔女のおばあさんはお金を受け取ってくれません。
「そなたは白の姫だね。みんなは私のことを魔女だといって気味悪がって近寄らないが、きっとそなたはこの国を私のような年寄りの魔女にもくらしやすい国にしてくれる。占いにそう出ているよ。さあ、おゆきなさい」
もちろん魔女はそんなことは知りませんでしたが、白の姫のことは、きのうの酒場の一件いらい、国中のうわさになっていました。
「そんな危険な旅に姫をいかせるなど、とんでもない」
王様の追手がかかり、おおぜいの城兵が城下の姫を探しだしました。
剣士はまるで姫をさらうように馬を飛ばして城門を抜け出し、たくみに追手をまいて西の森に消えてしまいました。