“真実”と“事実”
言葉の意味について語るだけですが、ここで一言。コナン君に屁理屈こねたかった(IQ低下)
私が語ろうと思う論題は、真実と事実についてである。
この二つの言葉は良く似通っている。しかし意味を紐解けば違いに分かるはずだ、言葉の意味については 本当の所各自で調べて考えてほしいところではあるがこの場では一先ず私の解釈をもとに勝手に話を続けさせてもらう。
事実とは実際に起きたことを指す言葉であり、真実はうそ偽りのないまっとうなことというと思う。これだけ聞けば言い方が違うだけで意味の指すところは同じと思う者も少なからずいるはずだ。
だがそれは間違いであると言わざるを得ない。わかっているものもいることと思うがここで一つの例をあげたいと思う。
例えば、がたいの良い人間がほっそりとしたなまめかしい人間を殴りつけているとする。
これが事実だ、これ以上の情報は事実足りえない。この短い文を読んだ方はこれを男性が女性を殴りつけたと想像したのではないかと思う。しかしこの文には性別を指す表現は一つもない。ガタイが良いのも何かボディビルディングでもやっているような女性の可能性もありうるのだから。性別など想像していないというのなら殴り方はどうだろうか?本気かあるいは演劇のワンシーンか。殴り方も様々あることだろう。
そうやって自身の解釈が混じった内容はそれを思った人自身の真実なのだ。
決して嘘ではない、しかし事実とも違う。
ここまで来て「お前は結局何を言いたいのか」と思ってくれると私は嬉しい。私が論じたい事柄は「事実と真実のどちらを重視すべきか」というところである。
世の中に話される、語られる情報の多くは“真実”だ、ブン屋がはやし立てあるいはソーシャルメディアで顔もわからぬ人が扇動している。私はこれを本質的には悪い事または害のあるものとは微塵も思わない。
そうやって意志表示を行い大衆がそれに流される、古来より人間とはそういうものだ。それでいいのだ。
しかし、それで実害をこうむることは避けねばならない。そこで役立つのが事実だ。一つの事柄のいくつもの真実を見て、そこから本質的な事実を見出す、あるいは最も事実に近い真実を見つける。それを常日ごろから心がけていってほしい。
間違った真実に騙されたとき悪いのは真実を吐いた人間であるが騙された方が悪いというのもあながち間違いではないのだから。
結論を申せば、重視すべきは真実だが事実を忘れないでほしいということである。
他者の真実を楽しみ、また事実をもとに自らの真実を語っていってほしい。そうすることで人の心はつねに研鑽の機会を与えられ、人々は選択によって成長することができるのだ。そう私は思っている。
意見があればコメントを残して下されば返信をさせていただくと思う。しかし私は学がなく愚鈍な者なので、満足のいく言葉を返せる保障はない、その点はあしからず