静かな暗がり⑵
───ピチャッ。
静謐な路地に音が鳴る。
赤黒い血溜まりが少年の短剣から滴る血液で波紋をつくりだしていた。
少年は頬についた血を拭う。
「……」
少年にとってこれは正しいことだった。しかし、少年の顔に浮かぶのは濁った葛藤。涙を浮かべて息絶えている男性を、苦い顔で見下ろしている。
「残酷だなぁ、ヤウラドくん。彼はとても反省していたように見えたけど?」
頭の上から降り注ぐ不快な声。爽やかさの中にも混じる粘性は声の主の性格をあらわしているようだ。
少年───ヤウラドは声の出所に首を傾け、視線を向ける。
「反省しているしていないの問題ではないです。というか、あなたに残酷だなんて言われたくはありません」
「……ふーん、そっか」
ヤウラドに不満そうな返事を返し、声の主は腰を下ろしていた建物の屋根から飛び降り、路地に降り立った。
姿勢を整えた声の主は男性だ。
真っ黒なローブで体を覆い、フードは額までを隠している。唯一見えるのは不気味なマスクに隠されていない目元くらい。暗闇の中で緑の瞳を歪に輝かせている。
「どうして彼を殺したんだい?」
「報いは受けるべきだと思うからです。それに、明らかに嘘をついたので」
「なるほど……ヤウラドくんの言った『家族がいるかいないか』という問いに突然必死に反応したから、君は嘘だと考えたわけだ」
「どこから見ていたんですか、ケイオス」
声の主───ケイオスに向かって警戒心を高めた声色でヤウラドは答えた。
「わぁお、敬称の一つもつけてくれないのかい、ヤウラドく〜ん?」
「あなたに敬称をつける気はありません」
「そっか〜……それは残念」
体全体だけでなく足先まで覆っているローブの裾をはためかせながら、ヤウラドの隣にケイオスが並んだ。
ケイオスの視線は石畳の上で血溜まりをつくっている男性へと向けられている。
「あーあ……こんなに切り刻んじゃって。いろんな勘ぐりを受けそうだ」
「だとしても、ここまでやればあなたの事件に変わるんじゃないですか?」
「あー、やっぱりそれが目的なんだねぇ。なに、昨日の新聞に出ちゃった事件気にしてるの?」
ケイオスは緑の瞳を恍惚に歪めながら、こくりっと首を傾げる。自身の目上から発せられている陰湿な振る舞いに、ヤウラドは嫌悪の視線を向けた。
「君は面白い。本当は殺したくないのに、あとで後悔に苛まれるのに、ヤウラドくんはこんなことをする。もっと楽しめば良いのに」
「あなたとは違います」
淡々と答えるヤウラドにケイオスは乾いた笑いを上げた。
「そうかなぁ? 君が彼と同じ獣であるというのなら、僕と君は似たもの同士。どこが違うと言うんだい?」
「あなたのように、命を奪う行為自体を楽しんではいません。喜んでもいません。まったく心地よくもありません。むしろ、不快だ」
「自身の行動を己自身で否定するのかい?」
「それが僕です」
ケイオスは瞳を妖しく細める。それはどこか疑念に満ちていて、好奇心に満ちていて、そして不敵に不気味だった。
ほんの少しの間をもって、ケイオスが軽く笑みを溢して続ける。
「君は本当に息苦しい生き方をしているよ。楽しむことこそ、人に許された生の形だというのに……」
「あなたの息苦しさを僕に押し付けないで下さい」
あしらうようにケイオスは鼻で笑うと、パンッと手を鳴らした。
「ま、この話はまた今度にしよう」
「……自分から切り出しておいて、勝手ですね」
「僕は君から依頼を受けにきただけだから。それで、今回君の上の連中が狙いたいのは誰なのかな?」
ヤウラドは呆れた息を漏らしつつ、四つ折りにされた一枚の紙を取り出す。広げたその紙は写真のようで、紺の衣服に身を包んだ二人の少年が写っている。
背後から撮られていたため、顔はわからない。
「それは?」
「今回あなたに殺してほしい対象が写っているものです」
「あ、この妙な黒髪の子。ヤウラドくんが贔屓にしてる子だよね」
「贔屓にはしてませんよ」
ケイオスはヤウラドから写真を受け取ると目を見開いてからかうように言葉を紡ぐ。その言葉にヤウラドは不快さをあらわにしていた。
「じゃあ、今回はこっちの子が狙いか……それで、まさかあの学院に潜り込めとか言わないよね」
「言いませんよ。あの激戦時代の怪物が管理している学院に潜り込んだところで、ケイオスといえど返り討ちにあうだけですから」
「一応、死ぬって断言しなかったところは評価するよ。それで、場所は?」
ヤウラドは無言のまま、最初のものと同じような数枚の写真を取り出し、ケイオスに渡した。
一枚、二枚と目を通すケイオスはどこか憂い顔だ。
「ここ……魔獣隔離区域だよね? この時期、ここも危ないんだけど」
「多少の危険とあなたの興味関心。どちらを取るかはあなた次第です」
「どういうことかなぁ……───ッ」
ケイオスが三枚目の写真に目を通した時、瞳に好奇の炎が灯った。彼の目には一人の男性の姿が克明に浮かび上がっている。
写真は街中で撮られたもののようで、ケイオスの瞳に映る男性の顔がはっきりとわかる。
短い茶髪に紺色の瞳をもつ男性に目を留めながら、ケイオスは続けた。
「彼、講師になってたんだ……滑稽だねぇ」
「どうですか、ケイオス。依頼を受ける気になりましたか?」
ヤウラドの言葉にケイオスは写真を持っていない手で黒々しいマスクを取り去り、整った顔立ちを晒す。
子供のようなあどけなさと獣のような獰猛さで笑みを溢し、最初の二人の少年が写った写真をヤウラドに見せ、続ける。
「なったなった。それじゃあ、この紅髪の情報を教えて」