死神少女と死刑囚
薄暗い石畳の廊下に二人分の足音が響く。
鍵がかけられた扉の前に着くと、看守が鍵の束を探り、その中の一つを鍵穴に差し込んだ。
「・・・どうぞ、執行人殿」
小馬鹿にしたような恭しい動作で扉を開く看守に一礼し、牢獄の中に足を踏み入れる。
「やあ、来てくれたんだね」
小さな鉄格子の窓から差し込む月明かりのような髪を揺らし、男が振り向いた。
「ほんの少し興味があっただけ」
「僕に?それは嬉しいな」
「貴方じゃなくて、死刑前日に執行人と話したいなんて言う人間に」
僕で合ってるじゃないか、と男は微笑んで冷たい石の床に腰をおろした。
「で、何?命乞いなら私にしても無意味だけど」
「命乞いなんて、そんな無駄な事するわけないだろ?」
「じゃあ何?」
死刑執行人は忌み嫌われる存在だ。
私は裁かれた人間を断罪するだけ。
それでも人々は「恐ろしい」だの「死神」だの。
首が飛ぶ瞬間まで罵ってくる罪人も少なくはない。
この男も自分の罪を棚に上げて、生きているうちに暴言を吐くつもりだろう。
「ただ君と話がしたかった。それじゃあ不服かな?」
「・・・は?」
意味が分からない。
「・・・私は執行人。明日の朝、貴方の首を刎ねる者よ」
「それは知っているさ。執行人と話がしたいと言ったのは僕だからね」
まるで茶会の最中のように、穏やかな顔で男は笑う。
「怖くないの?」
「僕は望んでここに居るからね。死への恐怖は微塵もないよ」
「死刑を望んで?その為に何人もの人を殺したの?」
「9人。数は多い方が確実だろ?」
「・・・死にたいなら勝手に死ねばいい。貴方の自殺願望で罪のない人を巻き込まないで」
「そうは言っても、もう巻き込んでしまった後だからなぁ」
男は困ったように頭を掻く。
その姿や言葉からは罪の意識など全く感じられない。
「僕は死にたかったわけじゃない。死刑になりたかったんだ」
「死ぬ事には変わりない」
「変わるさ。僕は君に殺されることを望んだんだ」
「私に殺される為?何故?」
「一目惚れさ」
「・・・・・・」
揶揄ってるのか?
眉を寄せれば、男がわざとらしく肩を落とす。
「信じてない、て顔だね。寂しいなぁ」
「馬鹿なの?一目惚れなんてされる訳ない」
「どうして?」
「・・・執行人は忌み嫌われる存在」
望んで執行人になった訳じゃない。
怯える目が、断末魔が、噎せ返るような鉄の匂いが大嫌いだ。
それでも誰かがしなきゃいけない。
誰もが嫌がる事を、この一族に生まれた私がしなきゃいけない。
「街を歩けば石を投げつけられる。そんな私が愛される訳ない」
処刑の度に心が擦り切れていった。
いつしか剣を握る手が震える事もなくなった。
ただ淡々と罪人の命を刈り取るだけの死神に、私は成り果てた。
「君は美しい」
思いがけない男の言葉につい後ずさる。
「何を、」
「初めて君を見た時、美しいと思ったんだ」
その時を思い出すように、男が目を閉じる。
「外見だけじゃない。仕事をするその姿がとても美しかった」
「・・・人はその姿を『死神』と呼ぶの」
「死神にはとても見えなかったよ。まるで天使のようだった」
目の前にいる男は罪人だ。身勝手な理由で罪なき命を奪った男だ。
そんな男の言葉に、どうしてこんなにも心がざわめく。
「君が刈り取りたいのは、命じゃなくて罪なんだろう?」
・・・・・・ああ、そうだ。その通りだ。
私は罪を犯した彼等が憎くて剣を振るうのではない。
その罪を洗い流す為に振るうのだ。
報いを受けた魂が神の膝元で安らかに眠れるように。
そう願って剣を振り下ろすのだ。
処刑場に集まる野次馬は誰一人分かろうともしない思いを
まさか罪人に、私が首を刎ねる相手に理解されるなんて
「皮肉ね・・・」
ぽつりと呟いて彼を見つめる。
「いずれは終わる命だ。それなら君の手で幕を下ろして欲しい」
「変わり者なのね、貴方」
「ふふ、よく言われたよ」
どことなく嬉しそうに笑う彼につられ、思わず口角が上がりかけたその時、背後で扉の開く音がした。
「執行人殿、そろそろ・・・」
看守の言葉に無言で頷き、牢獄を出る。
「おやすみ。また明日」
その言葉に振り向くと、閉じかけた扉の隙間から柔らかな笑みで手を振る彼が見えた。
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翌朝、処刑台の上に私と彼はいた。
『この悪魔め!』『早く首を刎ねろ!』
広場に群衆の罵声や石が飛び交う。
処刑が終われば、その的は執行人の私に切り替わる。
何とも都合のいい人間達だ。
「さぁ、僕の罪を洗い流してくれ」
彼は怯える様子など微塵もなく、自ら断頭台へと頭を垂れた。
「言い遺すことは?」
「そうだなぁ・・・君の名前を聞いても?」
「・・・マリー」
「マリー・・・素敵な名だ」
「・・・・・・貴方の名前は?」
「僕はジョセフだ」
「そう・・・いい名前ね」
微笑んだ彼の白い首に真っ直ぐ剣を振り下ろす。
飛沫が視界を赤に染め、ふわりと鉄の匂いが広がる。
籠に落ちた首を両手で拾い上げて見ると、とても穏やかな顔をしていた。
五月蝿い群衆の声が、何故だかとても遠くに感じる。
「おやすみなさい、ジョセフ」
もう動かない、熱の消えかけた唇にそっと口付ける。
最初で最後の接吻は、鉄と涙の味がした。