001―ボロ家にて
「ブレーカー落ちてるよな」
「こんなボロ空き家に電気通しておく余裕なんて、あるわけないじゃん。小海線だってディーゼルだったからなんとか運行続けられてるわけでさ」
手探りで探り当てたスイッチはパチンと音をたてるばかりの無反応。俺の希望的予測もシアの言葉で無慈悲に打ち砕かれた。駅からも、商店街からもそれなりに離れたところに借りた廃屋紛いの空き家。期待はそんなにしていなかったが、それにしたってというラインだったらしい。
「やっぱ東京とは違うかぁ……」
「ナオトおじさん、魔法士やってたんでしょ。明かりくらいどうってことないじゃない」
「まぁそうだけどさ……楽できるなら楽したいだろう。あとナオトお兄さんな」
「都会の人は軟弱なんだから」
発言の後半は綺麗さっぱり聞き流されたようで、俺はため息一つ。息を深く吸うと、意識を一段深い世界へ沈めた。
体の奥底、感覚的に言うなら下腹の奥の辺り。生き物ならば誰でも多かれ少なかれ持つオドの流れを引き出して、使い慣れた魔法式の一つに流し込む。頭のどこかに刻まれた魔法が眠りから覚める。
それは独特な感覚だ。オドは呼び水に過ぎない。魔法を本格的に行使するためには、自然を循環するマナの力を借りなければならない。高い丘に立って風を読むように、マナの流れを探る。
色んな思惑に引っかき回された都会のそれと違って、田舎のマナの流れは穏やかだ。その一筋を魔法式へと引き込む。
「――――灯火」
必要最低限の力を拝借して、魔法式を起動させた。白熱灯が灯るようにふわりと暖かい色の光りが俺の指先から広がって、築何年だか知れない木造の家の内部を照らし出した。
灯火の魔法を天井に固定し、ついでに、あちこちから吹き込んでくるすき間風を防ぐための即席の魔法式を編みながら――――
――――魔法、俺達がその言葉で指していたものと果たして同一の概念なのかはわからないが、『新世界ショック』によって、異世界からもたらされた最大の技術体系がそれだった。
自然界に存在する不可視のエネルギーを、いくつかの手段で編み上げた魔法式と呼ばれる概念を通す事によって様々な事象へと変換する技術。
異世界との融合によって送電網や通信網が寸断され……破滅的な危機に直面した現代文明を補うために、こちらの世界の人間達は必死になって魔法を習得した。
魔法士というのも、『新世界ショック』以降に成立した職業だった。
「よし、出来たぞ」
「おー、さすが」
「魔法士なら、一年目でもこのくらいならできるだろ」
ぱちぱち、とシアに拍手されて満更でもなかったけれど。
「私、魔法式構築あんまり上手く無くて……。身体強化とかの方が得意なんだよね」
「ハーフエルフなのに」
「それ母さんにも言われてむかついた」
「悪い悪い、でも身体使うのが得意なら、姉さん似だな」
体力抜群、活動性の権化。新世界ショックで混乱する世界を尻目に、いいとこのエルフ――――実際、血筋で言えば、なんだっけな月の枝葉に連なるとかなんとか、とにかくいいとこらしい――――を掴まえて、周りが目を白黒させてる間に娘まで作っちまうような姉だ。たぶん俺に配分されるはずだった運動神経とか社交性とか全部奪ってたんだと思うんだけどな……明るく活発なシアは性格だけ言えば間違い無く母親似だろう。
「そういえば姉さんは、元気か? 殺しても死なないとは思うが」
「ねー。今日からも、仕事だかなんだか旅に出るって言って、当分戻ってこないみたい」
「そりゃ大変だ。シア当分一人暮らし?」
「え? おじさんのところで面倒見て貰うつもりだけど?」
「そうか……そりゃ大変……は?」
荷物を取り出していた手が硬直する。見返したシアは、不思議そうに首を傾げてみせた。
「あれ? 母さんから聞いてない?」
「いや……全然」
そういえば、シアの抱えた荷物が随分大きいなとは訝しんでいた。よもやそれが生活道具一式だとは誰が想像するだろう。
「はい、これ母さんから」
シアが差し出した四つにたたまれた紙を受け取る。
――――直人へ
前にもお願いしたと思うけど、あれお願いしたっけな。まあいいや。
シアのこと、お願いね。
あんたに懐いてるみたいだけど、いかがわしいことするんじゃないわよ。
なお、この手紙は読み終わり次第消滅する――――
「ぬあっ!?」
文面の通り、ぼわっと一燃えして消え去った手紙。行き場の無い苛立ちだけが残される。
「こんのクソ姉、くだらない魔法式仕込みやがって……てか、明らかにお願いし忘れてるじゃねぇか!」
「まぁまぁ、あんな母さんじゃなくて、可愛い姪っ子からのお願いだと思ってここは一つ」
「お前さ、俺脱サラしてすごすごと田舎帰ってきた身だぜ?」
まともな定職についているのならまだしも、夢破れ――――特に夢なんかあったわけでもないと言ってしまえばおしまいだが、とにもかくにも、職を手放して、佐久でスローライフを(願望)とか脳天気に考えて居る身だ。
それが突然扶養が増えるとか震えるしかできないんですけど……。
「ちゃんと私も働くから大丈夫! 自分の生活費ぐらいなんとかするよ! おじさんも当面は冒険者やるつもりだったんでしょ?」
「まぁ、そうなんだけどな……」
その辺りは田舎に帰る話を姉やシアとした時に、喋ってしまっていたから、今さら隠しようが無い。
「私結構冒険者としてなら腕良いんだから!」
自慢げに姪っ子が差し出して見せた冒険者カードには、それなりの功績を示す星が刻まれている。
「だけどなぁ……お前、二人暮らしだぞ?」
姉の忠告じゃ無いが、いかな姪御とは言え、客観的に見て可愛いことこの上無い女の子。今のところはそんな気はさらさら無いとは言っても、過ちが無いとは限らない。
「大丈夫だって! ナオトおじさん優しいし」
「そうだな。だが、それとこれとは別問題だ」
「なーに、もしかして、母さんが言ってたみたいにいかがわしいことする気なの?」
「しねえよ。だけどなぁ、なんだかんだで年頃の子と二人暮らしなんてなれば気を遣うんだよ」
「えー、あやしい」
そんなことを言って、背中から抱きついてくるシア。
「こら、お前!」
小さい頃は帰省するたびにこうやってじゃれつかれたものだが、最近は仕事が忙しかったこともあって、直接会うのは久しぶりだった。
しばらく見ないうちに……なんだ、その……ブラウス越しでも十分分かるくらいに大きくなりやがって……!(主語は敢えて伏せる。
肩口に預けられた頭からはシャンプーか何かの良い匂いがするし、柔らかい髪の毛はくすぐったい割に心地良いし、これはいかがわしくならないのが無理というもの。いや、なっちゃいかんだろう。
「離れろって。小娘にじゃれつかれたところで、我が心は不動。しかして自由にあらねばならぬ。即ち是、無念無想の境地なり」
「なんか武士みたいになってますけど……おじさん顔に出やすいからばればれだってー」
「うるせえよ!」
「第一、母さん家他の人に貸しちゃったから、私ここしか行くとこないんだよー、可愛い姪っ子を路頭にに迷わせるつもり?」
「まじか……」
それなら俺がシアの家に居候した方がまだましだったのではと思いつつ、姉の誘いに、あっちの家に住むことを断固拒否したのは俺の方だ。旅に出るって事情知ってればまた判断は変わっただろうけど。
どちらにせよ、雪の降りしきる中シアを追い出すなんて、流石に出来るはずもない。
全身から力が抜けてしまって、俺は荷物にもたれかかるように崩れ落ちた。
「ふふっ、私の勝ちー!」
そんな、まだ小さい頃ゲームやら何やらで遊んでやったときと、全く変わらない得意げな笑みで宣言されて。
「やれやれだよ……さっさと飯にでもしようぜ」
先々のことはまた手のうちようがあるだろう。東京から引き上げてきたばかり、頭悩ませたところでろくな考えが浮かぶはずも無いのだ。