000―青年、田舎に帰る
「岩村田ー、岩村田。お忘れ物の無いようにお降りください」
駅に着いたというのに一向に開かないドア。10秒ばかり立ち尽くして、自分で開けるものだというのを漸く思い出した。
ドアの脇に設置された緑色のボタンを押す。ピコーンと派手な音を立てて、ホームへの道が開く。
途端に吹き込んできた冷気に、思わず肩を震わせた。
雪がちらついていた。どうりで寒いわけだ。薄く白く化粧されたホームと、古びてこじんまりとした駅舎。風はほとんど無いというのに、肌に触れるだけで空気は切るように冷たい。
片田舎の駅に降り立ったのは俺一人だけだった。がらんとしたホームに、吐いたため息ばかりが白くなって空へ駆けあがっていく。
「迎えに来るって言ってたんだけどな……」
学生の時には数えきれないほど使った駅だった。だが、東京に出て一人暮らしを始めてから、もう十年以上が経ってしまっている。
発車ベルが鳴り、列車は俺を独り残してゆっくりと去っていく。
懐かしさよりも不安に襲われて、立ち尽くした
――――コンコン。
硬いものをたたく音がした。
振り返った、白く曇っていた駅舎のガラスが小窓のように拭われて、女の子の顔がのぞいていた。視線が合うなり、にっと満面の笑みを浮かべる。
お、か、え、り、な、さ、い。
大げさに動いた口の形。ただいまと返すのもなんとなく癪で、俺は肩をすくめて、改札へと向かう。正直なところほっとしたのは、年上の威厳を守るために顔に出さないようにして。
自動改札なんてありはしない窓口を覗き込むと、ぬっとはみ出んばかりの顔が見返してきた。
薄緑がかった厚い肌に、口からはみ出た牙。
俺の差し出した切符をしげしげと眺める。強面の割に、愛嬌のある仕草。
「随分と長旅だったね。帰省かい?」
「そうですね……ちょっと長めの帰省……かな」
歯切れの悪い俺の言葉に、何か察してくれたらしい。それ以上の詮索は無く、駅員さんは皺の多い顔をさらにくしゃっとさせた。ふごふごと豚に似た鼻が鳴る。
「ゆっくりできると良いね。東京の方は大変だって聞くけど、こっちは穏やかなものだよ」
「ありがとうございます」
一礼して、駅舎の中に踏み入れると、とたとたと駆け寄ってくる足音がした。
「おかえりなさい!」
「久しぶり、シア、大きくなったな」
「可愛くなったな、でしょ。惚れた?」
ふふんと得意げに笑って見せたのは、絵本の中から抜け出してきたような、綺麗な女の子だった。
絹糸のような柔らかい金色の髪がもこもこしたマフラーの間から零れ落ちる。長い睫毛に彩られた宝石のような青の瞳。肌の色は透き通るように白い。そして何より目立つ、ぴょこんと飛び出した尖った耳。
「はいはい、大人をからかわない」
ぽんぽんと頭を撫でてやると、俺の姪っ子であるところのシアは、寒さに血の色を透かした頬を、不満そうに膨らませて見せた。
「そういうさー、変に上から目線で大人ぶったふりしてるからさー、彼女出来ないんじゃないの?」
「うるせえ、俺は理想が高いんだ」
「母さんが、いつまでも絵に描かれた女の子が好きなようじゃ結婚できないわよって言ってたよ?」
「おいぃぃいっ、クソ姉!?」
急所を一撃で打ち抜かれてひざから崩れ落ちそうになる。何可愛い姪に、根も葉も無……くもないけど、明らかに言わんでいいこと吹き込んでくれてるわけ? 我が不倶戴天の姉は。
「ま、ナオトおじさん。折角帰ってきたんだし、さっさと行こ? 私こたつで暖まりたい」
「へいへい、可愛い姪御の頼みとあっちゃ、急ぎますかね」
電車の中ではずっとうとうとしてきたし、ここで休みたいほどのこともなし。駅員さんに軽く会釈して、足取り軽やかに先を行くシアに引っぱられるように、俺は駅舎の入り口をくぐった。
「うわー、こんな時期に珍しい、積もりそうだね、これ」
「そうだな……こんな中すまんな、シア」
「いーえ、大好きなおじさんのためですし? あ、美味しいケーキが食べたいなー」
「後半で台無しだよ」
雪は足取りを強めて、視界を奪うくらいになりつつあった。薄暗くなった空に、魔光灯がぼんやりとした光の輪を描きはじめている。
十数年の間にやっぱりこんな田舎も、何もかもが大分変わった。
いや……日本が、世界が大分変わったというのが、正しいんだろうな。
ちょうど俺が東京で生活を始めてすぐの頃だった。
『新世界ショック』
まぁなんて平凡な事件名だと思うが、どうにもこうにも、考えて見たところでそう言い表す他に無い。
原因や理由なんて誰にもわかりはしない。
俺達が平和に平凡にと思っていたこの世界は、異世界と融合を起こし、何もかもが変わってしまった。
事件の前の誰が想像出来るって言うんだろう。
オークが駅員さんを務め、エルフの男性と姉が結婚して、ハーフエルフの姪が出来て、魔法と剣を生活の糧にするような世界がやってくるだなんて。