#7 来訪者は砂埃とトモニ。
◇
それから暫しの時が流れ、覇王暦1383年。
エンドルゼア東の大地にある小さな村ワプルには僅か七歳にして神童と呼ばれる女の子が居た。
女の子の名はメル。肩で揃えた亜麻色の髪に笑顔眩しい青い瞳、同い年の子より少し小さく華奢な体は、見た目とは裏腹に大人以上の力を秘めている。
性格は優しく、礼儀正しく、動物や草花を愛し―――。
◇
「ああああ!危ない髭おじちゃぁぁん!!」
神童の叫びごえがする。メルが見ている先では、勢いよく宙を舞う太い木の枝が一人の男めがけて飛んでいる。
「うっうわあぁあ!」
メルの叫びに続き、男も叫び声を上げた。
あー、当たるわコレ。――バキッ。
当たった音……じゃないね、骨折れた音だね。
「うっぐぅあ~、痛たた……ぁぁあ!?腕が!腕が折れたぁ!」
運悪く木の枝が直撃してしまった男はその後頭部まで広がる大きな額に大粒の汗を浮かばせながら腕を押さえている。
「もぉー!避けてって言ったのに!(※言っていない)せっかく村の外れで練習してたんだから、もっと離れた所に立って見ててよ……。腕見せて?髭おじちゃんは大袈裟だからね」
神童が言うと男は痛そうに顔を歪めながら腕を見せた。
「うぁぁ……これは……折れてるね……!」
神ど……メルはゴクリと唾を飲み、傷口から目を逸らした。
「だから言ってるべや!痛ぇべさぁ!メルさ、何とか出来ねぇんだべか?」
「ちょっと待ってね……。癒しの精霊よ、大地の民に手を差し伸べよ。奇跡を信じる子羊のお肉は美味しくて、あっ。子羊に癒しの光を与えたまえ!!ヒール!!」
メルが仰々しく唱えると、同じ村に住む人とは思えぬほど訛りの強い髭おじちゃんの腕が緑の光に包まれた。
「おど!?痛みが引いていくべさ!いんやぁ、助かったべぇ……んだどもメルや、この腕さ変な方に曲がったままだど?」
頭上に荒野が広がっている髭おじちゃんだが、顔は幼さが残る可愛らしい面構えをしている。
腕をぷらぷらさせながら呟く髭おじちゃんの瞳は真ん丸で小動物のソレを彷彿とさせる。ただ、腕はグロい事になっている。
「うん、痛みを取っただけだからね!後はミルザさんの所に行って治してもらってね!」
メルは事後処理をミルザへ丸投げした。ミルザとはこの街唯一の教会に居るビショップであり、メルに回復魔法を教えている師匠でもある。
さらに言うと美人で淡いグリーン色の美しい髪を払いながら振り向く様はセクシーな黒淵眼鏡と口元のホクロも相まって、村に多数のファンを持っている。
無論、俺もファンの一人である!
「んだか!したら行ってみるべさ!」
ミルザに会う口実ができたからだと思うが、髭おじちゃんは鼻歌を歌いながらスキップして教会へと向かっていった。
大丈夫か?ちょっと骨見えてたしあんなにスキップしたら、腕ちぎれるんじゃね?
「ふぅ~!危ない危ない」
わざとらしく額の汗を拭う仕草をするメル。
この世界に魔法が無かったなら、とんだ一大事になるとこだったのに呑気なもんだ。
俺も人の事を言えた義理じゃ無いんだけどさ。
(『死ななくて良かったけど、ごめんなさいくらい言っといた方が良いんじゃないのか?』)
俺の声にメルは「あっ」という顔をし、慌てて髭おじちゃんの歩く先へと向き直った。
「髭おじちゃぁぁぁぁぁん!謝るの忘れてたぁぁぁぁ!ごめんねぇぇぇぇ!」
メルは叫んだ。二百六十デシベルくらいの声の大きさで叫んだ。俺に耳があったなら鼓膜は爆ぜ、消し飛んでいただろう。
この小さな体、小さな口の何処からこんな声が出てくるんだか。
「ぉー!ぃぃょーぃ!」
(『しっかし、離れた位置から木を斬れるか試したらあの太い枝が、あんなに簡単に斬れてぶっ飛んでいくんだから……ビビったな!』)
俺がやってみようぜ!って言ったのが原因なんだが、髭おじちゃんが天に召されなくて良かったよ。
枝が当たったのが腕じゃなかったらあの訛りが聞けなくなる所だった。まぁ、メルの成長は喜ばしい事だけどさ。
◇◆◇
人並み外れた身体能力を持っているメル。それに加え、記憶を保持した転生故の知力の高さもあり、物事の習得が速い。
しかも俺の力の一部を共有することが出来るというオマケ付きだ。
俺にとっても特別な存在で、他の人には姿を見ることも声を聞くことも出来ない俺の存在を知る唯一の相手にして妹属性を持つ少女だ。いつかお兄ちゃんと呼んでくれ。
体と魂で繋がった特殊な転生者である俺達は、三年後に予定している冒険者の育成支援学園への入学に向けて日々修行中なのであった。
剣も魔法も他の子供達とは比べ物にならない速度で習得していくメルを村の連中は神童なんて言ったが、イタズラ好きのヤンチャガールに育った所為で他の子供達より怒られる回数は多い。
ヤンチャなのは何よりだが、心配している事もある。
メルは転生前に辛いことがあったようで、前世の事をあまり話したがらないのだ。
それが関係しているのか、村の子供が親と遊んでいるのを見ては時折 酷く悲しそうな顔をしている。
一緒に遊ぶ事も殆んど無い。尤も、近しい年頃の子供達と言っても実際の年齢が離れすぎてるから仕方の無い事かもしれないけどさ。
このまま何事も無く成長して、この世界では幸せな人生を歩めると良いんだが……。
あれ?そう言えばメルは元々何歳だったんだろう。まぁ、何歳でも良いんだけど。
ともかく平和な村でのんびりやってちゃ三年なんてあっという間に過ぎてしまうだろう。
まぁ、メルが学校に通う頃には俺もスーパーハンサムのボディーガードとしてイケメンビッグバンになってる筈だけどね。
横文字が多いのは気にするな。
毎日の魔素吸収を怠っていないし、今のところ魔力の許容量に限界を感じないが、限界が来るまで溜めるつもりだ。
メルも誰に言われるでもなく日々の鍛練を欠かさず、剣の腕はとうに師匠である村長を越え、俺以外には練習相手を出来る者が居なくなってしまった。
俺が相手をしているとはいえ、端から見ればシャドウボクシングさながらメルが一人でブンブンと木刀を振り回しているだけなのが。
人目を避けているとはいえ、冷静に考えると一人で一心不乱に木刀を振り回す少女の絵面はかなり恐ろしい光景だが、警察も居ないし通報される事は無いだろう。
ただ、魔法はミルザから教えてもらった回復魔法の“ヒール”しか使えないようなので、魔法より剣が得意なタイプに違いない。
今日も日課のマナ吸収が終わった後でメルの修行に付き合ってやるとするか。
◇◆◇
俺が呑気に考え事をしていると、体にピリリと何かが走った。
普段感じることの無い感覚。これは……!
俺はこの感覚に似た覚えがある。これは俺が生まれたばかりの頃、ある事情で“悪霊退散魔法”みたいなモノを使われた時に受けた感覚と同じだ。
いや、やっぱり違うかも?んー。まぁ、気にする程のもんじゃねぇな。
得意の”まぁ、いいか理論“で深く考えるのは止めとこう。と思ったのも束の間で、これまでに無い魔力の波長を感じると同時に“ギラリ”と空で何かが光った。
(『ん?なんだ?メル、今あそこで何かひか――」』 )
――ドドォォオン!…ォォ…ン!!
「キャアッ!」
(『何か空から落ちてきたぞ!?なんだ!?ヤバくないか?』)
俺が感じる“ピリピリ”が先程よりも強くなる。血も汗も無いはずの悪魔の体、だというのに全身からブワッと何かが込み上げた。
「ルアさん、村の皆が心配!」
(『ああ、ただ事じゃないみたいだな。体を預けろ、飛ぶぞ!』)
俺はメルの体を絡ませたままフワリと宙に浮き、そのまま村へと向かい飛行、すぐに衝撃音の聞こえた場所の近くへと到着した。
(『メル、これ以上は人に見られるから走ってくれ』)
「うん!」
この世界に浮遊魔法が存在するのかは分からないけれど、大した魔法も使えぬ子供が空を飛んで来たらホラーの類になりかねないからね。
メルは俺の言葉に頷き降り立つと、力強く地面を蹴り一気に駆け出した。
体は偽りのない七歳の少女だというのに、その足の速さは俺が昔応援していたオリンピック選手など比にならない程の速さだ。
メルが全力で走る様は何度も見た事あるけど、この光景もなかなかホラーよね。
人垣ができていたのはワプル村の中心地、何かが落ちてきたと推測できる場所には砂埃が上がっていた。
「みんな!大丈夫!?」
メルが声をかけるが、集まっていた大人達は砂埃の方を見据えたまま振り返らない。
「この村の諸君よ、驚かせてすまない!私はテスタントという者である!君達を害する気はないので安心していただきたい!」
砂埃の中から聞こえてきた声にざわつく事もなく、物音一つ立たぬ静かな場は村人たちの緊張感が漂った。
数秒がとても長く感じる静寂の中、濃い砂埃は若干色を薄めたが、まだぼんやりとした人影しか見えない。
「この村に、少し気になる者が居るのでね」
まだハッキリと見えない“テスタント”だけれど、言葉の内容が、な~んか嫌な予感を匂わせる。
「テスタント殿!危害を加えないと言うのは本当ですかっ!?」
質問したのは村で一番騙されやすいと噂される雑貨屋の次男坊。彼も音を聞きつけ野次馬に来たのだろう。
パイナップルの蔕みたいなカットをされた緑色の髪をした彼は、背が高いのにとても細く体重も軽いので、村の子供達は彼の事をガリガリガリバーと呼んでいる。
けれど、可哀想なことに、本人はそのあだ名があまり好きでは無いらしい。
「もちろん、危害など加えません。ただ、私の期待通りの者がこの村に居たなかったならば、少し残念ですがね……」
少し特徴的な声でテントタス(だっけ?)が返事をする。
言葉遣いだけで判断するなら無法者だとか戦闘民族の王子が襲来したという訳では無さそうだが、中々収まらない砂埃にはちょっとした悪意まで感じるんだけど。
本当にいつ収まるんだか、全然姿は見えないし……どんだけ凄い勢いで落ちてきたんだよ、んバカタレがっ!
「そうですか……」
少しホッとしながらテントタス(だよな?)へ返事をするガリガリガリバー。
その直後、落ち着き始めた砂埃の中から歩み出て、ついに姿を現したテントタス。現れた姿を見て俺は……俺達はすぐに彼が人族では無いことを悟った。
「テスタントさん……あなたは一体何者ですか……?」
「フフフ、そう怪しまずとも良いですよ」
メルから自然に溢れた疑問。はともかく、テスタントか!なんか違うような気がしてたんだよ!名前が分かってスッキリしたぜ。
で、テスタントは褐色の肌にオールバックで整えられた髪。狙って染めているのかな?って具合に、白い部分と黒い部分が交互に並び、縦の縞模様を作っている。
目も特徴的で、人間で言う所の黒目の部分が赤く、白目の部分が黒の吊り上がった目付きだ。この目付き、ムッツリスケベに違いない!
体格こそ少し筋肉質で背の高い男性と言ったところだが、魔族ってやつなんだろう。服装は“怪人・ジェントルマン軍人参上!”って感じだし、こういう奴はどうせロクデモナイ奴と決まってるさ。
(『これは敵だな。ちょっと握り潰してくるわ』)
「(まっ、待ってルアさん……!)」
―――完全に落ち着いた砂埃。その時、砂埃の中からもう一人が姿を表した。後頭部まで続くオデコ、フサフサした立派な髭。つぶらな瞳は恐怖からか、涙でうるうるしている。
誰だ!誰だ!!誰だ!?光る頭に、黒い髭!!
「髭おじちゃん!!?」
「んだぁ……べぇ……」
目をパチクリさせて言ったメルに対し、硬直していた髭おじちゃんがチワワの様に震えながら消えてしまいそうな声をだした。
「ランドルフさん!?なんでそんなところに!」
ガリガリガリバーが続けて言った。というか髭おじちゃんの名前って思ったより立派だったんだなオイ。七年この村に居て初めて知ったぞ。
話の腰を折るように砂埃から沸き出た謎の人間。その存在にテスタントも少し驚いている様子だ。そんな中、村で一番純粋な男が、髭おじちゃんの異変に気付いた。
「あ、あ、ランドルフさん……!う、腕がぁぁぁぁあっ!」
ガリガリガリバーが麦わら帽子を貰えそうな勢いで叫んだ!どうしたんだ、ガリガリガリバー!略してガリバー!
「ランドルフさんその腕、やられたんですか!?」
ガリガリガリバーは震えながら髭おじちゃんの腕を指差した!集まっていた村人も髭おじちゃんの腕に注目した!
髭おじちゃんの腕が……今朝まで全然平気だったはずの腕が!折れているではないか!!それも見事にとんでもない方向を向いて折れている!!!これは事件である!!!“首に尋常じゃない量の麻酔針が刺さっている探偵”を呼ぶ必要がある!!
村人達も口をパクパクさせて唖然としている!そんな中、ガリバーは渾身の力で叫んだ。
「危害は加えないって言ったのに!僕たちを騙しましたねぇぇぇぇぇえ!?」
「………」
メルはお口にチャックをしている。
(『………』)
俺は言ってもどうせ皆には声が聞こえないしね、しょうがないよね。マジで黙ってるつもりは無いんだけど、本当にしょうがないし。
「………。」
(『………。』)