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彼女の最悪な救世論  作者: 雪国
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始まりは終わり際に

最悪とは何だろうか。


心電計が漏らす光で霞んだように照らされた病室で、私は問いかける。周りに答える人はいない。当たり前だ、周りにあるのはごちゃごちゃした機械と花瓶に活けてある花くらい。時間は深夜、看護婦さんも先生も呼ばない限りこないだろう。


もう何度目だ。何度も何度も、飽きるほどにこの自問自答を繰り返した。飽きるほど、心電計の音を聞きながら、この天井を見つめて問い直してきた。


生まれてからこの今まで、私はここ以外を知らない。この病院から出たこともない。


私は母さんのお腹に宿った頃から弱っていた。死産でなかったのが奇跡だと言われるくらい、体が弱かった。


幸いと言っていいのか、父さんはこの病院の院長だった。生まれてすぐ万全の医療体制で保育され、弱り切った私の命を繫ぎ止めた。もちろん私にはその時の記憶もなければ自我もなかったんだろう。あったのなら、私はきっとここにいない。


それからも私の虚弱っぷりは治らなかった。父さんと病院の先生方の懸命な治療を馬鹿にするように、私の身体は壊れていった。壊れては治し、壊れては治し。生きているのが奇跡だと言われるような身体だった。


そんな騙し騙し生かされている私に、すり減るように死が近付いてくる私に救いがあったのだとすれば、愛されたことだ。


こんな壊れた娘見捨ててくれればいいのに、父と母は懸命に、私を愛してくれていた。毎朝毎朝、どうしようもない時以外は私に会いに来てくれて、身の回りの世話をしてくれて、私の知らない外のことを話してくれて。

外には良いことが、楽しいことがたくさんある。元気になったらみんなで一緒に行こう、だなんて。

私が行けないなんて分かりきってるはずなのに、精一杯、私に希望を見せようとしてくれた。


妹だって、私を愛してくれた。

2つ違いの妹。私と違って丈夫に元気に育っているこの妹は、自分が体験したことを何でも伝えてくる。

今日は幼稚園で何があった。今日は学校で何があった。友達とどこどこへ遊びに行った。楽しかった。お姉ちゃんも元気になったら一緒に行こう。

いつもいつも、用事が終わったら顔を出してくれた。私にも自分が感じたことを感じて欲しいというように、色々な事を話してくれた。私が感じることができないなんて分かりきってるだろうに、精一杯、私に希望を見せようとしてくれた。


ばあちゃんだって、命尽きるその時まで私を愛してくれた。ばあちゃんも入院していたから、ばあちゃんが死ぬその時まで、私はばあちゃんと一緒にいた。

今まで体験した事を、感じてきた事を病室のベットに横たわりながら、穏やかに笑いながら話してくれた。


私は、愛されていた。


身体中が壊れていても、血反吐を吐くような痛みの中にあっても、延命にしかならない拷問のような治療の中でも。愛してくれたこの事だけは幸せだったと言い切れる。


だから、私は勝ったのだ。


心臓が狂ったリズムを刻んでいる。内臓がミキサーにかけられているように気持ちが悪い。脳みそを混ぜこぜにされているように頭痛がする。

ナースコールを押そうにも、身体中の筋肉が痙攣して思ったように動かない。

もう何度も経験している発作だ。でも、今までとは別物だと確信できていた。


私の命はもう終わる。


齢17歳。今度はここまで保ったのが奇跡だといわれるんだろうか。騙し騙し生き延びてきて、それでも私の身体はもう限界だと言っていた。


恐怖はなければ悲しくもない。狂いそうな痛みはあれど辛くはない。むしろ、私はこの時を待ちわびていた。


幼い頃に。ばあちゃんが死んだ日に誓った私の勝利条件。ぼろぼろな私の人生において、勝ったと言える、自分は生き抜いたといえる三個の条件を満たせるこの時を。



ドタバタと、何人かの足音が部屋に入ってくるのを壊れかけの耳が拾った。心電計の異常で当直の看護師さんが飛んできたんだろう。

夜中に騒がせてしまってすいません、申し訳ない。そんな事を言おうとして、もう呼吸もしてないのに気がついた。

おい、私の肺。もうちょっと働いてくれよ。せめて最後の一言くらいさ。

できるだけ喋る努力をしてみて、やっぱり無理だと諦める。もうこの身体はダメらしい。先生が私に何か言ってるのが見えているのに、それも聴こえなくなっている。


周りで慌ただしくしているのを尻目に、私はかすれてきた目でまた天井を見つめた。何度も繰り返した問いを、最後の最後に確認するために。



人にとって、悪と言えることはたくさんある。私が知る限り、むしろほとんどが悪ともいえる。

悪とは自己に対する不利益をもたらすモノ。己の利益を消し去り、損害を与えるものだ。


窃盗は他者の価値あるものを奪う。被害者の不利益を生み出す。だから、悪と言える。


放火は他者の価値あるものを消してしまう。被害者の不利益を生み出す。だから、悪と言える。


詐欺は他者の価値あるものを奪う。被害者に不利益を押し付ける。だから、悪と言える。


悪とは、自己に不利益をもたらすモノの共通認識だ。

早い話、大多数の人がされたら嫌なことだ。


では、最たる悪とは。


最たる不利益とは。


最たる、大多数にとって嫌なこととは。


それはーー



『殺人、かい?』



ーーは?


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