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「リアン、もしかして緊張しているの?」
「言っただろう。外は怖いって」
「私の誘いを断る方便だと思っていたわ」
雨季祭の三日目。城下町に来ていた。初日より落ち着いているが普段の数倍は賑わっている中央通りを王女と雨の中、身を寄せ合って歩いている。いちゃいちゃしているわけではない。防犯だ。傘は邪魔なのでふたりともレインコート姿だった。王女は変装すると言っていたが実際は地味な服装にしただけで、あとはこのレインコートが全てを隠していた。
王女の見事な髪も一つにまとめてフードを深く被ってしまえば顔すら見えない。服の質から貴族だということは分かるだろう。
すぐ後ろをジョイと女官のスイユがついてきているし、その後ろに護衛の騎士がふたりいる。傍から見れば貴族の若者が祭りを楽しみに来た様に見えるはずだ。そうゆう輩はたくさんいる。
しかし祭の初日や最終日に来るよりは安全ということで三日目の今日来ているが、街が落ち着いている分、目立っている気がする。
「ナーには何をお土産に買おうかしら」
「僕も選ぶのを手伝おうか」
「リアンはリアンで買ってよ。別々に二つの方がお得じゃない?」
王女が「お得」というのはどうなのだろうか。
「君が僕と祭に来たがるなんて珍しいけど、何かあるのかい?」
土産を、という割に俺の腕から離れようとしない王女を見下ろす。王女はちらりと見上げたが、近くの屋台に並ぶ色鮮やかな丸い花を見ながら小さく笑った。
「あなたとふたりで話がしたかったし、ナーをひとりにしてあげたかったし、祭にも来たかったの。三つの事を同時にできるからあなたと来たのよ」
「ひとりにしてあげたかった?」
「私がお城にいる間は、ナーはいつ呼ばれてもいい様に用意をしているのよ。でもこうして外に出てきてしまえば、誰もナーの邪魔をしないわ」
「彼女が何かをしたがっているのかい?」
「そう、ひとりで色々考えたいはず」
考える? ずっとふたりを見てきたが、最近何かあったわけでもない。今更何を考えるというのか。それとも俺の知らないところで何かあったのか?
「ねえ、リアン、あなたは私と結婚するのよ?」
歩きを止めずに王女はそう言った。それこそ今更の事を。
「知っているよ」
「知っているけど分かっていないのよね。ナーとではなく私と結婚するのよ。私はあなたと結婚するのが最善だと思っているし、あなたのことは嫌いじゃないし、子供を作らなければならないことも承知しているわ。あなたがどう思っているかなんて正直どうでもいい。今まで通りナーを好きでいても気にしないわ。でもあなたは? 私を抱きながらナーを想って苦しくならない? 腹いせにナーにひどいことしない?」
笑顔のまま、流れるような言葉に驚く。
分かっていない、と言われればその通りだった。いや、結婚することは分かっていた。三人の関係まで深く考えなかった。実際、結婚もまだ先の話だ。だから考えることを先延ばしにしていた。
俺が嫌がったところで、王女の婚約者だということは覆らない。
俺は王女と結婚する。王女はいずれ女王となる。子も産む。そしてその隣には俺が立つ。
そうすれば俺の地位は安定だ。捕虜として蔑まされることはなくなる。暮らしやすくなる。
偽物は? これからもずっと王女の身代わりとなって隣に居続けるのだろうか。
人形でもあるまいし。
「君は……彼女を解放する気はないのか?」
思わずそう言ってしまった直後にぎくりとして誤魔化そうとしたが、王女は今まで以上に花の様に笑った。
「子供の頃、お父様が何度目かの凱旋された時、盛大にお祝いをしたことがあったわ。お祝いの最中に紛れ込んだ敗戦国の兵士に襲われてナーが大怪我をする事件があったけど、お祝いは一週間続いた」
突然何の話だ、と思ったが口を挟む前に王女は続けた。
「お察しの通りお父様はナーを囮にしたんだけどそれは別の話ね」
本当にあの男だけは好きになれない。
「一週間のお祝いが終わった翌日、城内は非常に緩み切っていたわ。幸せいっぱいの空気が満ちていた。子供の私が気付くくらいに。子供の私に警備兵が誘導されるくらいにね」
「それは…」
「その日のお父様の公務も、捕虜をひとり受け入れるだけだった」
俺は足を止めた。
「大人たちはナーを見くびっていた。大怪我しているのだから部屋でおとなしく寝ていると思い込んでいたの。ナーは城を抜けて城下町まで逃げ切った」
王女は俺の二歩先で立ち止まった。
「その日のお父様のたった一つの仕事が、ナーも連れ戻してしまったの」
何の話かは訊くまでもない。
「ナーの傷は悪化して一か月どころじゃなく寝込んだし、リハビリも半年以上かかったわ。その間も私の代わりとして公務に出ることをお父様は命令し続けた。私はナーを逃がそうとしたことを後悔したわ。子供の浅知恵だったと」
「ルピナ」
「ナーはそれ以来考えることすらやめてしまった。私のせい。でも逃げられなかったのは」
俺のせいだ。
王女は動けなくなっている俺に近付き首に抱き着いてきた。後ろにいたスイユが驚いた声を上げるのが聞こえた。
王女は小さな声で一言つぶやくと、素早く離れた。
いつも通りの二歩の距離。
「ちょっと女官とあの店でお買い物してくるわ。ここで待っていてくれる?」
王女が指したのは屋台ではなく女性向けの雑貨屋だった。小さい店だが混んでいるのがここからでも分かる。俺やジョイが入るのは遠慮しろということだろう。
かろうじて笑顔で頷くと、王女は後ろにいたスイユに声をかけ店に入っていく。護衛の騎士は入り口からふたりを見ていた。
「リアン様、大丈夫ですか?」
ジョイが話しかけてきても、俺は王女の後ろ姿から目を離せなかった。
「あなたはナーに償いをすべきだわ」
一言、ひどく耳に残った。




