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花の雫  作者: 深澤雅海
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女官の名前は覚えなくて大丈夫です。

 「ルピナ王女」と共に案内されたのは予想通りサロンだった。

 庭にそのまま出られる作りになっているサロンで、お茶の用意は室内にしてあったが庭に面した窓とドアが全て開かれ、夕方の涼しい風が入るようになっていた。

 春の終わりと夏の始まりの境目になるこの季節、なかなか良い趣向だ。


 叔父から送られてきた菓子はすでに女官に渡され、席に着く直前に偽物の目の前に出された。偽物は一瞬驚いたように目を見開いたが、すぐ「ルピナ王女」の笑顔になり静かに礼を言う。もう少し喜んでもらえると思ったが、女官の前では「ルピナ王女」を崩せないのだから仕方がない。


 女官のひとり、マロウが紅茶を入れて下がるとほぼふたりきりの空間になる。入り口近くにジョイとライアとリンネの三人が立っているだけだ。小声で話せば何を話しているかまでは分からないだろう。


「本当に綺麗。ルピナにも食べさせたいな」

 偽物が微笑みながらそうつぶやく。王女はそれほど興味ないと思うが笑顔で頷いておく。

「ルピナは部屋にいるのかい? マイエあたりがひとつ持って行ったんじゃないかな」

「ルピナのことを知っている女官が近くにいれば良かったんだけどね」

 影武者のことを知っているマイエとサキエナもあの場にいたのだが、後ろにいたので動けなかったのだろう。


 「ルピナ王女」には侍女が存在せず、女官も序列がほぼない。影武者の存在を知っている者たちが知らない者たちよりわずかに仕事が多い、というぐらいだ。

 王女に侍女がいないというのは珍しいと思い女官長にそれとなく聞いてみたが、どうやら以前トラブルが絶えなかったらしい。

 侍女というだけで王女の地位を狙うものから暗殺の手引きを強要されたり情報を流すように脅されたりと侍女自身の身が危なかったらしい。

 ただでさえ影武者という最大の秘密を抱えている。流された情報によっては影武者の意味がなくなる危険もある。

 貴族、しかも王族が侍女を付けないというのは異例だ。しかし王女はそれを受け入れ、自分の身の回りのことは大抵自分でできるようだった。

 影武者の事を知っている女官も王女に付きっきりというわけではなく、秘密を知らない女官と同じ仕事をする。どうしても王女だけでは手が足りない時に呼ばれるだけらしい。

 聞いた時は自立した王女だ、と思ったがなんてことはない。偽物が王女の世話をしているのだ。


 侍女が色々危険な目に遭っていた、というのは分かる。

 「ルピナ王女」の婚約者になってからそういう類の者から数えきれないほど「挨拶」をされたからだ。

 王女の暗殺だけではなく「王女とご一緒にお楽しみください」と毒を送られたこともある。

 今はもう誰が何を狙っているのかほぼ把握している。


 ふと偽物を見ると庭を見ていた。目線を追うと鮮やかな花を見ていた。

 背が高く円錐形に花を咲かせ、空に伸びるように咲き誇っている。この庭だけではなく、敷地内のあちこちで見る花だった。


「このゼリー、ルピナスだね」

 偽物はそう言ってはにかんだ。

 自分の目の前のゼリーに目を落とす。花弁が多い花だとは思っていたが、言われてみれば庭の花だ。ルピナスというのか。

「ルピナの名前と同じだね」

「知らなかった? あの花が由来だよ。王と王妃の出会いの場に咲いていたとかで王が名付けたんだって」

「そうなんだ」

 あの王にそんな可愛気があったとは驚きだ。

「そう。視察に行った先の領主の花畑で、王妃と出会ったんだよ。そして花畑ごと王のものになった」

「花畑ごと?」

「……今のキェアル領。ねえもう一つ食べていいかな」

「いいよ」

 キェアル領。元キェアル国。

 俺の国と同じこの国との戦争に負けてこの国の一部となった国だ。

 そうやってこの国はどんどん大きくなっていく。


 少し前に彼女から「憎んだり恨んだりしたことはないのか」と訊かれたことがある。

 ないわけないじゃないか。

 目立たない様に且つ控えめになりすぎない様に適度に存在する。出過ぎるのも駄目だが引っ込み過ぎるのも駄目だ。回廊に飾られる彫像の様にそこにあるのに主張は少なく、そして無くなったら物足りなく感じるように。それがこの国で無事に生きるために必須の能力だ。


 この国に来てまず、逆らわない様に利き手を傷つけられた。

 婚約者の肩書を得ても調子に乗るなと足の指をつぶされた。

 従順であることを示すために挨拶に行けば慰み者にされ、行くのをやめれば何か企んでいると言われ鞭で打たれた。

 王女をかばって怪我をすればその部分を杖で殴られる。

 剣術大会で勝ち進んでしまうと何様のつもりだと膝の骨を折られた。


 憎まずにいられるほど馬鹿じゃない。


「色が違うと味も違うんだね」

 彼女の声に我に返る。見るとふたつめのゼリーをすでに半分ほど食べていた。

 彼女だけが俺の救いだった。

 助けを求めることは出来ない。けれど優しくすれば優しさを返してくれる。

 笑顔で食べる彼女を見て笑顔になる。ゼリーを送ってきた叔父に感謝した。


「ルピナ様、少々よろしいですか?」

 控えめに声をかけてきたのは先ほど去ったはずのマイエだった。

「何か?」

「少し人手が足りなくて……ここの女官をお借りしてもよろしいでしょうか」

 人手がいるような行事はないはずだが、何かあったのだろうか。

「何かあったの?」

 同じことを考えたらしく偽物が問いかけるがマイエは目を伏せて言い淀んでいる。何か事情がありそうだ。じっと見ていると目が合ってしまった。仕方がない、助けるか。

「いいんじゃないかな。ジョイもいるし。ふたりでゆっくりお茶をしていよう」

 笑顔でそう言うと偽物は少し考えてから頷いた。マイエは明らかにほっとした表情で深く頭を下げると、壁際に立っていたライアとリンネを連れて部屋から出ていく。

 部屋に残ったのは入り口のすぐ横の壁に背を張り付けているジョイと俺と偽物だけになった。


 ジョイは俺が偽物を気に入っていることを知っているし、空気を読んで出しゃばらないだろう。思わぬふたりきりの状況に顔が緩んだ。

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