File.1 あの手この手を愛しましょう1
File1. あの手この手を愛しましょう ―――START
僕、小田桐雄介は隣町にある少しお高めのスーパーに居た。
近所のスーパーでは売っていない商品が売っているそこは、お値段も普段より高めである。値段的に買えないということはないけれど、普段使いをするには、節約を考える主婦たちにとって高い、そんな値段の店だ。
僕の目当ては餃子の皮である。
餃子は餡が命だと思う人が多いのかもしれないが、皮も重要である。
餡が幾ら美味しくても、皮が美味しくなければ餃子は美味しくないのだ。
これは、僕だけではないと信じたい。
『いやいや、君が気にし過ぎなだけだと思うよ?』
『良いでしょう、艶華さん。その喧嘩は全力で買います』
『……君は餃子の皮程度で熱くなりすぎじゃないかい? 少なくとも俺は気にしない』
『艶華さん、話はここで終わりです。僕が全力をお見せします。僕が餃子の真の美味しさを、艶華さんのその馬鹿な舌に叩き込んであげます』
『そ、そうか……』
これは先日の話だ。
この時、艶華さんはその程度などと馬鹿げたことを言っていた。
一昔前の僕であればその言葉に同意していたに違いない。
だが、料理と言うのは美味しく食べてもらうことが大事なのだ。
その為に、手間をかけて調理するのだ。
まあ、僕の場合は素人なので皮を作るところからはやらない。
下手に素人が皮づくりに手を出すと厚みが均一にならず、味が一つ一つ変わってしまう。
店内は少しいい恰好をしたおばさんたちが買い物を楽しんでいる。
そんな中、僕みたいな若い男性が買い物を一人でしているというのは珍しい光景かもしれない。
チラチラと視線を投げかけてくる人が稀にいるようだ。
その視線に居心地の悪さを感じる――と言うことはなく、僕は餃子をどれだけ美味しく作るかということしか頭になかった。
どこの企業の餃子の皮が美味しいのか、米粉が入っているのかどうか、厚みはどれだけあるのか、僕は幾つもある商品を取ってメーカーごとに比べていた時だった。
ふと、手の感覚が鈍くなったような気がした、
些細な違和感ではあった。だが、餃子を作る、と言うことを考えていた僕は餡を皮で包むということをイメージしていた。
その為、指の動きが悪くなったのはダイレクトにイメージに影響を及ぼしたのだ。
だが、それも直ぐに治まった。もしかしたら、冷蔵棚の冷気で手が悴んだのかもしれないと思えるほどには手が冷え切っていた。
訝しんでいる僕だったが、背後から声をかけられた。
「随分と熱心に餃子の皮を見てるんですね」
声をかけて来たのは20代前半位の妙齢の女性だ。僕の様な平日の昼間からスーパーで買い物をしているような不審者(自分でも言いすぎかなとは思う)に声をかけるのは中々勇気があることだ。
それに、声をかけれられる様な事でもないので僕は困惑しつつも、黙っているのも悪いと思い言葉を発した。
「ええ、その、美味しい餃子を作ろうと思いまして」
「まあ、それは彼女さんに?」
「いえ、彼女はいません」
「じゃあ、純粋に料理が好きなのね? 私もよ」
随分とグイグイ踏みこんでくる人だなと思いつつも、僕は悪い気がしなかった。
料理が好きな人と話すのは有意義だからだ。もしかしたら料理のコツを教えてもらえるかもしれない、という打算的な考えが働いたのである。
「美味しい餃子、ということは皮にこだわってるのね? 私も皮が美味しくないと餃子全体の味がワンランク落ちると思ってるから……」
「僕もなんですよ!!」
僕は餃子の皮が味に関係するというのは料理をする人には通じるのだと革新を得た。一人目だけど、餃子の皮を吟味しているだけでこれだけを察してくれるのだ。やはり僕の考えは正しくて、艶華さんがずぼらなだけだと理解したのだ。間違いない、餃子はやはり皮も大事だ。
「ということなんですよ」
「そ、そうなの……」
僕は初対面だと言うのに並々ならぬ熱い思いを口にしていた。
料理に対するこだわりや艶華さんがそれを分かっていないことにたいする憤り。気付けば40分近く話しこんでいたみたいである。
僕の気迫に圧されたのか、女性は苦笑している様子だった。
……よく店員さんは警察を呼ばなかった。しっかりと状況も見てくれる地域の目に感謝しよう。
「そうそう、突然話しかけてしまったけれど、私こういうものなのよ」
餃子の話がひと段落ついた所で、目の前の女性は一枚の名刺を差し出してくる。スーパーでやるやり取りとしては浮いたものであるとは思うが気にせずに受け取る。
紙面にはハンドモデル兼芸術家、園田涼子と書かれていた。
「ハンドモデル兼芸術家……ですか?」
「ええ。元々は色々な人の手を塑造してたのだけれどね。その趣味がいつのまにかハンドモデルなんてお仕事をするようになったのよ」
そう言って園田さんは手を見せてくれる。
コマーシャルでしか見た事が無い様な綺麗な手は、なるほど、これは凄いと思うほどに美しいものだった。
「料理とかをする時も気を使わなくちゃいけないんでしたよね?」
「ええ、とっても気を使うわ。でも、手は魅せるだけじゃなくて使うことも含めて『手』という役割を果たしてるのよね。料理も塑造も色んな動きをするからいいわよ?」
そういう園田さんだが、僕に声をかけて来たのは何故だろうか。
僕の疑問を感じ取ったのか、園田さんはにっこりと笑って僕の手を取った。
「ねえ、貴方の手を作品にさせてくれないかしら?」
「はあ……、僕の手をですか……?」
自分で言うことでもないが、僕の手は綺麗でも美しくも無い。平凡、と言うのが一番だろうか。
素直にそう告げると、園田さんはそれがいいのだと言う。
僕にはよくわからないが、芸術家というのはそう言った人たちなのだろう。感性が違うというか、そういった所に価値を見いだせるからこそ芸術という世界に身を置いて活躍しているのだろう。
モデルというのも大衆に理解された美の追求という一種の芸術と考えると、納得は出来なくないのかもしれない。
「今度作品展をやるの。見に来てから判断してくれてもいいから考えておいてくれない? なんならお友達を連れてきてくれてもいいから」
作品展のチケットを二枚貰った僕は、ただ気の抜けた返事をしたのだった。
園田さんと別れ餃子の材料を会計した後、僕は家路に着く……ということはなくとある場所を目指した。
そこは高級住宅街としても知られる場所だ。一つ一つの家は大きく、また、マンションも高層な物が多い。
僕という一般人が住むには不釣り合いな場所ではあるが、僕の目的はそこに住む人物に会うのが目的だ。
高級マンションのエントランスを貰った鍵で通り過ぎ、僕はエレベーターで2階に上がる。
普通のマンションならそこで沢山の扉が並んでいるのだろうが、このマンションは扉は一つしかない。
そう、フロアまるまるが部屋なのだ。普通の感覚では考えられない。
しかし、僕も慣れたもので買って知ったる他人の家のようにして鍵をあけ、扉の内側へと入って行く。
廊下まで沢山のもので散らかっている中を進み、目的の人物がいる部屋へと進む。
「艶華さん、戻りましたよ」
「ああ、お帰り。だいぶ時間が掛かったようだね」
僕が艶華さんと呼ぶ少女。
改造した制服を着用し、その上から白衣を着た少女。
黙っていれば誰もが見惚れるであろう美少女だというのに、その生活は怠惰とも言うべきだらしなさだ。
そして彼女こそがこの部屋の主であり、僕の雇用主でもある。
勘違いしないでほしいが、僕は彼女の家政夫ではない。
これは僕がやりたくてやっていることである。
「ええ、隣町のキングス伊瀬屋まで行ってきました」
「近場で済ませればいいのになんでまたそんな遠くに」
「餃子の皮を買いに行ってました」
「……」
艶華さんは先日の話を思い出したのが美少女にあるまじき渋い顔をした。
「意味の熱意は一体どこから来るんだい? 俺には全く理解できないんだが」
「理解しなくていいですよ。その舌で分かればいいんですし」
僕は張り切って仕込みを開始する。
ものが散乱する部屋ではあるが、艶華さんがいる部屋と台所だけは綺麗にしている。
流石の艶華さんも僕の執念じみたものを感じ取ったのか、この部屋と、特に台所だけは綺麗にしようとしているのは分かる。
そんな僕の聖域じみた場所で僕は早速買って来たものを使って餃子の重要とも言うべき餡を作る。
豚肉は10℃以上で特有の臭いを発するらしい。そこで僕は自分の手をキンキンに冷やしてから作業に臨む。
ボウルは予め冷やしておいたのでそれにひき肉を入れ、茹でたあとに刻んだ白菜とニラ、長ネギ、ニンニクを入れていく。
それに醤油と料理酒などで味付けをし、混ぜ合わせていく。
この際に、茹でた白菜の水分を絞らずに混ぜるのがポイントだ。
よく行く中華料理屋のおばさんが教えてくれたのだが、水分を餡に入れることで餡がよりジューシーになるのだという。
そうして出来あがった餡を買ってきた皮に手早く包んでいく。この皮は100%小麦粉ではなく、米粉が含まれているものだ。
油を引いたフライパンを熱してよく馴染ませておき、包み終わった餃子を対呼びで焼いていく。
底面にしっかりと焦げ目がついただろうところで片栗粉を溶いた水を投入し、蓋をして蒸し焼きにする。
これにより餃子がモチモチになり、片栗粉によってお店の餃子でよく見るハネが出来る。
そうして出来た餃子を更に並べる。底面の焦げ目はしっかりとついていて香ばしい臭いが食欲をそそる。その上に言ったゴマをかけて完成だ。
「さあ、艶華さん」
「お、俺は自分で食べれる。食べれるから熱々の餃子を顔に近づけるのはやめてくれ」
そう言って僕は艶華さんが餃子を食べる姿を見つめる。
艶華さんはフーフーと冷ましてから口に入れ、顔を見開き、それから悔しそうにして言った。
「……君の言う通りだった」
僕は艶華さんの言葉に満足して自分も餃子を口に運ぶのだった。