エッチな物 一番強い
「エッチな物を買うなって言ってるんじゃないの」
仁王立ちする少年の前には三人の女性、少年の姉たちが居間で正座し頭を垂れていた。
「申し訳ありません」
「年頃の女性の部屋に勝手に入って掃除しようとした僕もデリカシーが無かったと思うけど、これはないよ」
「申し訳ありません」
顔を青ざめさせ謝罪マシーンと化している三人の目の前にあるのは『月刊年下男子(成年版)』という身も蓋もない名前の雑誌。それも三冊。それぞれで購入していたものがものの見事に発見されたのである。それも弟に見つかるという大失態。これまでの詩季ならば絶対に姉たちの部屋に入るなど有り得なかったため、しっかり者の長女の春姫でさえ油断しすぐ見つかる場所においてしまっていたのである。そもそも隠してさえ居なかった。
「あのね、こういうものを」
「申し訳ございません」
折角仲良くやっていた弟に嫌われたくない一心で謝罪マシーンとなる三人。完璧に血の気が引いていた。
「ちゃんと僕の話を聞いて。女の人だからこういうのも必要なのは解るんだけどね?」
解るのか!? 解ってしまうのか!? 思春期の男の子ならば『不潔きもい消えろ』位言いそうなものだと思っていた三人は驚き顔を思わずがばっと上げる。
「冬美ちゃんが見てしまうかもしれない場所に放置は無いでしょ」
どうやら弟は妹の教育に悪いとご立腹のようだと理解。
「あ、まだ小学生の冬美ちゃんの教育に悪いから怒ってるのであって私たちが隠れて読む分には、詩季君的にオッケーってこと、なの?」
「まぁ……しょうがないでしょ。生理現象だし変に我慢する方が不健全だと思うよ。年齢制限云々についてはツッコむだけ野暮だし。でもまだ小学生の女の子には刺激強すぎるでしょ」
その言葉に三人は安堵し同時に歓喜した。この世界の詩季と同世代の男性はとかく女性からの性的な言動に嫌悪感を抱く傾向が強い。それは詩季の前世での思春期の女子の数十倍ほどと言える。そう意味では詩季のこの反応こそ普通は有り得なかった。自分たちの弟はどれだけ天使なのかと。
「あ、でも冬美……既に俺の部屋でたまに隠れて読んでるぜ? 場所が微妙に変わってたりするし」
ガタッ
たまたま、丁度帰宅した冬美はそのやり取りを聞いてしまった。手提げを落としてしまったようだ。
「あ、わり」
「うっぅう」
最近やっと距離が掴めてきたと思った兄にエロいと思われる。それは女子小学生にとってレベル5デス・死の宣告並みに致命傷を与えられる内容であった。顔を真っ赤にしたと思えば白く、そして徐々に青になって冬美は逃げ出した。
「冬ちゃん!」
自室のある二階に一気に駆け上がりガチャガチャと鍵を掛ける音が下に居る四人にまで聞こえた。
「あの、女だもんよ。小学生だってエロいの興味あるってば。ましてや六年生だぜ?」
「夏紀姉さん、そうだけど今のはそういうことじゃないさ」
「夏紀。あれはない」
「ぐぅ」
一瞬機能停止した詩季は焦りを覚えた。部屋で自傷行為や自殺などされては堪らない。
「冬ちゃん!」
そこまで大事にとらえていない姉三人は決まり悪く正座を続けているが最早詩季にとってそんなことをしている場合ではない。勝手に正座してろと。
「冬ちゃん! 冬ちゃん!」
ドンドンドンと何度も扉を叩くが堅く閉ざされていた。中の様子を伺おうと耳を澄ますが何も聞こえない。詩季は血の気が引いたまま、何度も呼びかける。
「開けて! お願い、冬ちゃん! お願いだから!」
何度ドアを叩いても開かれない。それは冬美の心の壁そのものである。
「う……うぅ」
ドアの前に座り込んでいるのだろう。冬美のうめき声が聞こえた。
「冬ちゃん……全部夏紀姉さんが悪いんだよっ」
詩季はまた前世の営業マンでの禁じ手「○○が悪い!(断定)」の封印を解いた。論破される前に決めつけてそんな雰囲気にする、という最低の技だ。これを一度でも使えば普通の職場ではハブられる。論破などされれば上司からの説教物だ。だが、夏紀もデリケートな問題なのだから黙って後で冬美を諭せば良かったのだと詩季は考えたのも事実。事実無根ではない。
「うぇ! 俺かよっ!」
「そりゃ姉さんが悪いのさ」
「妹を道連れにする時点でちょっと庇う気にならん。普通グレるぞ」
「ちょっとそこ黙って!」
「はいっ」
「ラジャっ」
「うむっ」
詩季の一喝に土下座ーズ再結成。
「冬ちゃん。あのね」
何と言ったものかと詩季は頭を抱える。気にするなと言うにしてもいやいや気にするだろ普通と自分にツッコミ入れてしまうのだ。
「エッチなのが悪いんじゃなくて、エッチな本を無造作に置いておくお姉ちゃん達が悪いんだよ! そんなの見つけたら普通読んじゃうよ!」
「ぅうっひぐっ」
本格的に泣き出した。エッチだと言っている時点で慰めにはなっていないと、言った後に気付く詩季。所詮は元駄目サラリーマンである。と、なると後は自虐しかない。
「僕だってエッチなの持ってるよ! なんかベッドの下にあったし! 一番古いのの奥付見たら20××年発行だから小学校の頃に手に入れたものっぽいよ! なんか大事にジップロックに入ってたしどんだけお気に入り何だっつーの! だから、えと、冬ちゃんよりもっと遙かに、昔からエッチなんだって! 熟女から中学生まで幅広いのに記憶がないから余計に自分で自分にドン引きだよ!」
何を言っているのだこの男は。
そう己に対し絶望する詩季。妹が自己嫌悪で自殺などしないよう、その妹よりも酷いと自分にネガティブキャンペーンをしようなどと思ってもみなかった。が、これもある一定の効果が顕れた。それはこの世界の男からすると相当慎みの無い話であるし、冬美にしても何でもない時に兄がそんな事を言い出せば「うわビッチ野郎だ」と引く。だが、当然男である兄が、自分を慰めるために赤裸々に必死になって自分のことを語っているのだ。そんな話を聞いていると「姉のエロ本盗み読みくらい、よく考えてみるとそんな恥ずかしくもないか」と思えるようになってくるのだから自分でも不思議だった。
「あとね、パソコンのDドライブには」
かなり特殊な趣味、それも本当に微妙すぎて詩季自身が最もドン引きしたのが「鼻フック」である。女にさせるのではなく自分に鼻フックを掛けてピースの自画撮りである。どうも以前の詩季はナルシスト過ぎて敢えてそれを崩して悦に入る自虐趣味があったようである。多数の鼻フックあへ顔ピース自画撮りファイルを見ていると絶望と嫌悪感しか生まれなかったのでそっと削除したのはつい昨夜の事である。容量が大きくなかなか削除完了とならなかったのが非常に暗澹たる思いに浸る要因となった。だが、そのことを伝える前に冬美は遮った。
「だ、だいじょぶ」
「冬ちゃん?」
「もう、だいじょぶ」
「本当? 心配だからドア開けて顔見せて? ね?」
「ん」
冬美はドアを少しだけ開き、泣きやんだものの全体的に赤くなってしまっているであろう顔を伏せがちに詩季に見せた。
「冬ちゃん、ありがとう……うん、姉さん達は僕がしっかり怒っておくからね?」
詩季は妹に笑顔を向け、顔をのぞき込むがぷいっと逃げるようにそむけられた。だがそれは照れ臭いと言った表情だったので大丈夫そうだとやっと詩季も安心することが出来た。
「さて。姉さん達、特に夏紀姉さん、どうしてくれようか……ってどうしたの? 何か言いたいこととかある?」
腕を組んで考える詩季の服の裾をドアの隙間からくいくいと引っ張る冬美に尋ねた。
「ん……あの、ありが、と。も、だいじょぶ」
そう、囁くように冬美は言うとドアをそっと閉めるのであった。
「僕の妹が可愛すぎて困るんですけど」
何かのラノベのタイトルのようなことを呟きつつ、詩季は冬美の敵討ちをしようと気合いを入れて階下に向かうのであった。
「あの、詩季」
「何でございましょうか。夏紀さん」
「あ、いや、なんでも、ない、です。ええ」
「あの詩季君? 私はお姉さんだから秋子お姉ちゃんって呼ばれたいのさ」
「はぁ? 何を不思議なことを……秋子さんどうかされたんですか?」
「い、いえ。あの、不思議ですね、ええ。くっ……夏紀姉さんは本当に馬鹿さっ」
「い、いや、だってよぉ」
三人が三人とも詩季に他人行儀に接せられるというペナルティを受け、精神をガリガリと削られるのであった。弟の怒りがどれほどのもので、どれだけ持続しどれだけの被害を出すのか探り探りの状態だったので余計に疲れた。しゃらくせぇと切り捨てることも出来なくはないはずなのだが、三人とも最愛の弟にそんなこと怖くて言えないのである。
「ちょっと出かけてくる」
「あれ、春姫さん。どちらにお出かけで? もうすぐご飯が出来上がりますよ? まぁご自由に?」
「いや、準備を手伝おうっ」
慌ててエプロンを付ける春姫。
「えと、ちょっと勉強してくるさっ」
「あれ? そういえばまだお風呂の掃除してなかった。あー大変だなぁ」
「お風呂掃除大好きさっ」
腕まくりをして風呂に駆けていく秋子。
「あ、あの詩季? いっそ罰を与えて欲しいんだぜ?」
もうさっさと断罪してくれ、涙目の夏紀。
「あ。アイロン掛け忘れてた」
「任せろ!」
避難することさえ許されない状況で与えられた労役に三人とも終始冷や汗をかきながら従事するのであった。
それを盗み聞いていた冬美は「お兄ちゃんがやっぱり一番強い」と改めて認識し、より一層仲良くなろう、というよりも気に入られよう、と決意したのであった。